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	<title>沙石院ブログ &#187; 行った</title>
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	<description>靴をはいて、さあ、駆け出すべ。</description>
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		<title>一万人の第九！</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Dec 2009 14:52:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
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		<description><![CDATA[１２月５日６日に大阪に戻り、「一万人の第九」コンサートに参加してきました。広い大阪城ホールの中に、一万人の歌声が響いたのを聞いたときは、本当に感動的でした。
「一万人の第九」イベントは、その名の通り一万人の大合唱団でベートーヴェンの交響曲第九番を歌おうというイベントで、毎年、年末に開かれています。今年でもう２７回目だそうで、知る人ぞ知る年末の恒例イベントです。
合唱隊として参加することを決めたのは今年の夏。妻に誘われて応募してみたら、見事抽選を合格し、東京クラスのレッスンを受けることができることになりました。当選して喜んでは見たものの、ぼくは合唱なんてこれまで一度も参加したことがありません。歌が上手とはお世辞にも言えないし、歌詞であるドイツ語もいっさいわかりません。まったくずぶの素人が参加したわけです。
まず困ったのが自分のパート選び。合唱は男声・女声パートに分かれ、それぞれ音域の高低によって、
女声（高）ソプラノ
女声（低）アルト
男声（高）テノール（年配の方は「テナー」とも呼ぶ）
男声（低）バス
に分かれています。合唱の経験がないので、テノールとバスのどちらが自分にとって歌いやすいのかまるでわからないわけです。悩んでも仕方ないので潔く、きらびやかさのあるテノールを選びました。
パート選びは抽選前に決めなくてはなりません。結果的には、毎年男声の（特にテノールの）人材不足が深刻なようで、女声に比べると、男声で応募する人はずっと当選確率が高いようです。
抽選に通ったからと言って、「一万人」に参加できるわけではありません。その前にきちんと全１２回の練習に参加する義務があります。たしか今年は２回お休みすると本番に参加する権利を失うというルールだったと思います。平日夜のレッスンだったので、残業がちなビジネスマンはなかなか参加しづらいかもしれません。
初回から七−八回目くらいまでは合唱の一部を取り上げて繰り返し読み上げ＋練習することの繰り返しでした。ぼくのように初めての人の場合、曲の全体構造を知ること、自分のパートの楽譜を「正確」に知ること、歌詞を覚えることを同時に進めていく必要があります。第九の有名な合唱部（いわゆるMのパートです）以外は、なかなか聞き覚えのないメロディーですので、練習だけではどうしても覚えきれません。しかし、練習の回数は決まっているわけなので、どうしても練習以外の時間、つまり家に帰って自分で自習する必要があります。ぼくの場合、レッスン会場で販売されているパート別CDを買って、何度も聞くことにしました。楽譜をていねいに読み解くことができる人であれば、パート別CDをわざわざ買わなくても、楽譜を片手に、いろんな第九の録音を繰り返し聴くのでもいいかもしれません。
練習の後半は通し練習が中心でした。楽譜を見ずに円になって歌います。楽譜を手にしていると、ついうつむきがちになりますが、楽譜を投げ捨てると、両手が自由になり、リズムに合わせて左右に体を揺らしながら歌えるようになります。こうなるまでには、何度も何度も練習する必要はありますが、曲の全体の流れさえ覚えておけば細部はとりあえずうろ覚えでも気持ちよく歌うことができました。ぼく自身なまけものなので、一部歌詞をきちんと覚えていないところはありました（苦笑）全部の歌詞をきちんと覚えるのは来年以降の課題ですね。
11月の後半には佐渡裕さん直々の指揮による練習がサントリーホールの小ホールで行われました。世界で活躍するプロの指揮者が目の前にいて、直接指導してもらえるチャンスなんてめったとあることではありません。会場全体が一種の興奮に包まれていて、佐渡さん自身が表現したような「祝祭」的な雰囲気の中で、2時間の練習を行うことができました。見ず知らずの人同士が集い、「ベートーヴェンの第九を歌いたい」という気持ちを体中を使って、佐渡さんにぶつけていました。佐渡さんもその会場の思いに答えるように、いっさい手を抜くことなく、懸命に指揮をし、悪い点を注意し、そして何度も何度もほめていただきました。いま思い返しても、すばらしい時間だったと思います。会場の一体感・親密さという点では本番以上に充実した時間だったとすら言えます。
東京での最後のレッスンで通し練習を行うそのときまで、怠け者で歌の不得手な自分が本当に第九を歌いきれるだろうかという不安は拭い去れないままでした。テノールのパートは、音の高低の変化が比較的大きく、平気でオクターブ以上の動きがある部分もあります。また、後半には見せ場でもある「フーガ」があります。曲の展開が非常に早くなり、いろんな表情の声をめくるめく間に切り替えていく必要があります。もたもたしていて置いてけぼりにされてはいけないとがんばって歌おうとすればするほど、体が硬直し顔から笑顔が消え、お坊さんが早口でお経を唱えているような歌い方になってしまいます。無表情で声だけ張り上げているのです。こんな歌い方ではどんな名曲ですら台無しです。歌い手がもっとも喜びを感じていない「歓びの歌」なんて誰も聴きたくはないでしょう。
「笑顔、笑顔！」
「リラックス、リラックス！」
と何度も何度も指摘されました。
たしかに周囲の人達を見渡しても、慣れている人ほど自然な表情で気持ちよく歌い上げているかわり、ビギナーの人達はしかめ面・仏頂面で顔をゆがめながら歌っているように見えました。
ぼく自身、うまく歌うことはかなわなくとも、楽しんで笑顔いっぱい元気いっぱいに歌うことだけは忘れまいとしました。
12月5日がリハーサルで、12月6日が本番でした。
両日、大阪城ホールには1万人の合唱隊が集まりました。ホールの3分の2が合唱隊で占められています。男性はスーツに蝶ネクタイ、女性は白ブラウスに黒のスカート。ずらーと並ぶとやはり圧巻です。練習ではじめて全員で声を出したとき、やはり普段の教室の響きとは全然違うことに少しとまどいました。ソプラノやアルトの声が1秒以上遅く聞こえるのです。また声の響かせ方にも工夫がいります。遠く遠くに声を飛ばすように意識しないと、声がすとんと下に落ちてしまって、くぐもったような音色になるのだそうです。何度も何度も音を出し合って大阪城ホールの響きを確認しました。
何度リハーサルを繰り返してもやはり本番は空気が違います。
正装したオーケストラが入場し、佐渡さんの情熱的な指揮の下、第一楽章、第二楽章、第三楽章と演奏が続きます。第四楽章に入ると、合唱隊の人達の口元がきりりとなります。
低弦が「歓喜のテーマ」を奏でます。それに呼応するようにバイオリンも奏で始め、曲は一気に華やかさを帯びます。
ティンパニーが叩かれた瞬間が合図でした。会場の一万人でだんっと同時に立ち上がりました。会場の照明もぐんと明るくなります。はっとするようなこの演出も、佐渡さんの指揮のものと何度か繰り返し練習したものでした。どれほど効果的だったか、早く映像で確認したいものです。
一万人が立ち上がり、照明が会場全体を照らした直後、バリトンの厳かな独唱が会場を包みます。ここらです。ここから、オーケストラ、ソリスト、合唱隊の掛け合いによる第九の見せ場が始まります。
Freude
とバスとテノールの男声がはじめて響きます。このタイミングも遅れないように入念に練習しました。広い会場なので、佐渡さんの指揮を見てから声を出していては遅いのです。その２小節ほど前からFrの発音のために巻き舌を作っておき、あるいはこすれるようなFの音を先行して出しておく必要があるのでした。
この音がどれほど肝心であるかはいくら強調しても足りません。このFreudeがわれわれ合唱隊の第一声であり、このFreudeこそが全歌詞の中でもっとも重要な「歓喜」という意味を持っているのです。ぼく自身はリハーサルでの遅れてしまった反省があったので、普段より一歩早く発声したつもりですが、気持ちが先んじてしまって、少し声が空回りしてしまったように思います。やはりこの箇所はとても難しい部分です。
そこから後は、もう佐渡さんの指揮を見つめて必死に歌っていました。誰もが知ってる有名なパート、であるMの部分では、特に笑顔を意識して、朗々と歌い上げることを心がけました。しびれるようなフーガのパートはもう下手くそでもいいので、がむしゃらに元気いっぱいといった歌い方。「ひざまづきなさい」の厳かな部分も練習よりも本番が一番うまく歌えたように思います。一万人で静寂な雰囲気を作り出すことは容易なことではありませんが、何度も練習してきたところで最後の最後にひとつにまとまったのではないかと思います。
あっという間に歌い終え、オーケストラが最後の音を出し終えたときは、とてもさわやかな達成感を感じることができました。
「歌うことは生きることだ」
と佐渡さんは言っていたのですが、この歌い終えた瞬間は、老若男女問わず合唱隊全員が生気ある喜びの表情をしていたように思います。
まだまだ自分のすべてを出し切ったとまでは言えませんが、３ヶ月の練習した分だけ、その時間の努力の分だけはしっかり出せたように思います。
とても貴重な体験をすることができました。関係者の皆様の努力により何十年も続いてきたイベントです。これからもいつまでも続いてほしいものです。

１２月５日６日に大阪に戻り、「一万人の第九」コンサートに参加してきました。広い大阪城ホールの中に、一万人の歌声が響いたのを聞いたときは、本当に感動的でした。
「一万人の第九」イベントは、その名の通り一万人の大合唱団でベートーヴェンの交響曲第九番を歌おうというイベントで、毎年、年末に開かれています。今年でもう２７回目だそうで、知る人ぞ知る年末の恒例イベントです。
合唱隊として参加することを決めたのは今年の夏。妻に誘われて応募してみたら、見事抽選を合格し、東京クラスのレッスンを受けることができることになりました。当選して喜んでは見たものの、ぼくは合唱なんてこれまで一度も参加したことがありません。歌が上手とはお世辞にも言えないし、歌詞であるドイツ語もいっさいわかりません。まったくずぶの素人が参加したわけです。

まず困ったのが自分のパート選び。合唱は男声・女声パートに分かれ、それぞれ音域の高低によって、

女声（高）ソプラノ
女声（低）アルト
男声（高）テノール（年配の方は「テナー」とも呼ぶ）
男声（低）バス

に分かれています。合唱の経験がないので、テノールとバスのどちらが自分にとって歌いやすいのかまるでわからないわけです。悩んでも仕方ないので潔く、きらびやかさのあるテノールを選びました。
パート選びは抽選前に決めなくてはなりません。結果的には、毎年男声の（特にテノールの）人材不足が深刻なようで、女声に比べると、男声で応募する人はずっと当選確率が高いようです。
抽選に通ったからと言って、「一万人」に参加できるわけではありません。その前にきちんと全１２回の練習に参加する義務があります。たしか今年は２回お休みすると本番に参加する権利を失うというルールだったと思います。平日夜のレッスンだったので、残業がちなビジネスマンはなかなか参加しづらいかもしれません。
初回から七−八回目くらいまでは合唱の一部を取り上げて繰り返し読み上げ＋練習することの繰り返しでした。ぼくのように初めての人の場合、曲の全体構造を知ること、自分のパートの楽譜を「正確」に知ること、歌詞を覚えることを同時に進めていく必要があります。第九の有名な合唱部（いわゆるMのパートです）以外は、なかなか聞き覚えのないメロディーですので、練習だけではどうしても覚えきれません。しかし、練習の回数は決まっているわけなので、どうしても練習以外の時間、つまり家に帰って自分で自習する必要があります。ぼくの場合、レッスン会場で販売されているパート別CDを買って、何度も聞くことにしました。楽譜をていねいに読み解くことができる人であれば、パート別CDをわざわざ買わなくても、楽譜を片手に、いろんな第九の録音を繰り返し聴くのでもいいかもしれません。
練習の後半は通し練習が中心でした。楽譜を見ずに円になって歌います。楽譜を手にしていると、ついうつむきがちになりますが、楽譜を投げ捨てると、両手が自由になり、リズムに合わせて左右に体を揺らしながら歌えるようになります。こうなるまでには、何度も何度も練習する必要はありますが、曲の全体の流れさえ覚えておけば細部はとりあえずうろ覚えでも気持ちよく歌うことができました。ぼく自身なまけものなので、一部歌詞をきちんと覚えていないところはありました（苦笑）全部の歌詞をきちんと覚えるのは来年以降の課題ですね。
11月の後半には佐渡裕さん直々の指揮による練習がサントリーホールの小ホールで行われました。世界で活躍するプロの指揮者が目の前にいて、直接指導してもらえるチャンスなんてめったとあることではありません。会場全体が一種の興奮に包まれていて、佐渡さん自身が表現したような「祝祭」的な雰囲気の中で、2時間の練習を行うことができました。見ず知らずの人同士が集い、「ベートーヴェンの第九を歌いたい」という気持ちを体中を使って、佐渡さんにぶつけていました。佐渡さんもその会場の思いに答えるように、いっさい手を抜くことなく、懸命に指揮をし、悪い点を注意し、そして何度も何度もほめていただきました。いま思い返しても、すばらしい時間だったと思います。会場の一体感・親密さという点では本番以上に充実した時間だったとすら言えます。
東京での最後のレッスンで通し練習を行うそのときまで、怠け者で歌の不得手な自分が本当に第九を歌いきれるだろうかという不安は拭い去れないままでした。テノールのパートは、音の高低の変化が比較的大きく、平気でオクターブ以上の動きがある部分もあります。また、後半には見せ場でもある「フーガ」があります。曲の展開が非常に早くなり、いろんな表情の声をめくるめく間に切り替えていく必要があります。もたもたしていて置いてけぼりにされてはいけないとがんばって歌おうとすればするほど、体が硬直し顔から笑顔が消え、お坊さんが早口でお経を唱えているような歌い方になってしまいます。無表情で声だけ張り上げているのです。こんな歌い方ではどんな名曲ですら台無しです。歌い手がもっとも喜びを感じていない「歓びの歌」なんて誰も聴きたくはないでしょう。
「笑顔、笑顔！」「リラックス、リラックス！」と何度も何度も指摘されました。
たしかに周囲の人達を見渡しても、慣れている人ほど自然な表情で気持ちよく歌い上げているかわり、ビギナーの人達はしかめ面・仏頂面で顔をゆがめながら歌っているように見えました。
ぼく自身、うまく歌うことはかなわなくとも、楽しんで笑顔いっぱい元気いっぱいに歌うことだけは忘れまいとしました。
12月5日がリハーサルで、12月6日が本番でした。
両日、大阪城ホールには1万人の合唱隊が集まりました。ホールの3分の2が合唱隊で占められています。男性はスーツに蝶ネクタイ、女性は白ブラウスに黒のスカート。ずらーと並ぶとやはり圧巻です。練習ではじめて全員で声を出したとき、やはり普段の教室の響きとは全然違うことに少しとまどいました。ソプラノやアルトの声が1秒以上遅く聞こえるのです。また声の響かせ方にも工夫がいります。遠く遠くに声を飛ばすように意識しないと、声がすとんと下に落ちてしまって、くぐもったような音色になるのだそうです。何度も何度も音を出し合って大阪城ホールの響きを確認しました。
何度リハーサルを繰り返してもやはり本番は空気が違います。
正装したオーケストラが入場し、佐渡さんの情熱的な指揮の下、第一楽章、第二楽章、第三楽章と演奏が続きます。第四楽章に入ると、合唱隊の人達の口元がきりりとなります。
低弦が「歓喜のテーマ」を奏でます。それに呼応するようにバイオリンも奏で始め、曲は一気に華やかさを帯びます。
ティンパニーが叩かれた瞬間が合図でした。会場の一万人でだんっと同時に立ち上がりました。会場の照明もぐんと明るくなります。はっとするようなこの演出も、佐渡さんの指揮のものと何度か繰り返し練習したものでした。どれほど効果的だったか、早く映像で確認したいものです。
一万人が立ち上がり、照明が会場全体を照らした直後、バリトンの厳かな独唱が会場を包みます。ここらです。ここから、オーケストラ、ソリスト、合唱隊の掛け合いによる第九の見せ場が始まります。
Freude
とバスとテノールの男声がはじめて響きます。このタイミングも遅れないように入念に練習しました。広い会場なので、佐渡さんの指揮を見てから声を出していては遅いのです。その２小節ほど前からFrの発音のために巻き舌を作っておき、あるいはこすれるようなFの音を先行して出しておく必要があるのでした。
この音がどれほど肝心であるかはいくら強調しても足りません。このFreudeがわれわれ合唱隊の第一声であり、このFreudeこそが全歌詞の中でもっとも重要な「歓喜」という意味を持っているのです。ぼく自身はリハーサルでの遅れてしまった反省があったので、普段より一歩早く発声したつもりですが、気持ちが先んじてしまって、少し声が空回りしてしまったように思います。やはりこの箇所はとても難しい部分です。
そこから後は、もう佐渡さんの指揮を見つめて必死に歌っていました。誰もが知ってる有名なパート、であるMの部分では、特に笑顔を意識して、朗々と歌い上げることを心がけました。しびれるようなフーガのパートはもう下手くそでもいいので、がむしゃらに元気いっぱいといった歌い方。「ひざまづきなさい」の厳かな部分も練習よりも本番が一番うまく歌えたように思います。一万人で静寂な雰囲気を作り出すことは容易なことではありませんが、何度も練習してきたところで最後の最後にひとつにまとまったのではないかと思います。
あっという間に歌い終え、オーケストラが最後の音を出し終えたときは、とてもさわやかな達成感を感じることができました。
「歌うことは生きることだ」
と佐渡さんは言っていたのですが、この歌い終えた瞬間は、老若男女問わず合唱隊全員が生気ある喜びの表情をしていたように思います。
まだまだ自分のすべてを出し切ったとまでは言えませんが、３ヶ月の練習した分だけ、その時間の努力の分だけはしっかり出せたように思います。
とても貴重な体験をすることができました。関係者の皆様の努力により何十年も続いてきたイベントです。これからもいつまでも続いてほしいものです。
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			<content:encoded><![CDATA[<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">１２月５日６日に大阪に戻り、「一万人の第九」コンサートに参加してきました。広い大阪城ホールの中に、一万人の歌声が響いたのを聞いたときは、本当に感動的でした。</div>
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<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">初回から七−八回目くらいまでは合唱の一部を取り上げて繰り返し読み上げ＋練習することの繰り返しでした。ぼくのように初めての人の場合、曲の全体構造を知ること、自分のパートの楽譜を「正確」に知ること、歌詞を覚えることを同時に進めていく必要があります。第九の有名な合唱部（いわゆるMのパートです）以外は、なかなか聞き覚えのないメロディーですので、練習だけではどうしても覚えきれません。しかし、練習の回数は決まっているわけなので、どうしても練習以外の時間、つまり家に帰って自分で自習する必要があります。ぼくの場合、レッスン会場で販売されているパート別CDを買って、何度も聞くことにしました。楽譜をていねいに読み解くことができる人であれば、パート別CDをわざわざ買わなくても、楽譜を片手に、いろんな第九の録音を繰り返し聴くのでもいいかもしれません。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">練習の後半は通し練習が中心でした。楽譜を見ずに円になって歌います。楽譜を手にしていると、ついうつむきがちになりますが、楽譜を投げ捨てると、両手が自由になり、リズムに合わせて左右に体を揺らしながら歌えるようになります。こうなるまでには、何度も何度も練習する必要はありますが、曲の全体の流れさえ覚えておけば細部はとりあえずうろ覚えでも気持ちよく歌うことができました。ぼく自身なまけものなので、一部歌詞をきちんと覚えていないところはありました（苦笑）全部の歌詞をきちんと覚えるのは来年以降の課題ですね。</div>
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<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">東京での最後のレッスンで通し練習を行うそのときまで、怠け者で歌の不得手な自分が本当に第九を歌いきれるだろうかという不安は拭い去れないままでした。テノールのパートは、音の高低の変化が比較的大きく、平気でオクターブ以上の動きがある部分もあります。また、後半には見せ場でもある「フーガ」があります。曲の展開が非常に早くなり、いろんな表情の声をめくるめく間に切り替えていく必要があります。もたもたしていて置いてけぼりにされてはいけないとがんばって歌おうとすればするほど、体が硬直し顔から笑顔が消え、お坊さんが早口でお経を唱えているような歌い方になってしまいます。無表情で声だけ張り上げているのです。こんな歌い方ではどんな名曲ですら台無しです。歌い手がもっとも喜びを感じていない「歓びの歌」なんて誰も聴きたくはないでしょう。</div>
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<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">Freude</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">とバスとテノールの男声がはじめて響きます。このタイミングも遅れないように入念に練習しました。広い会場なので、佐渡さんの指揮を見てから声を出していては遅いのです。その２小節ほど前からFrの発音のために巻き舌を作っておき、あるいはこすれるようなFの音を先行して出しておく必要があるのでした。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">この音がどれほど肝心であるかはいくら強調しても足りません。このFreudeがわれわれ合唱隊の第一声であり、このFreudeこそが全歌詞の中でもっとも重要な「歓喜」という意味を持っているのです。ぼく自身はリハーサルでの遅れてしまった反省があったので、普段より一歩早く発声したつもりですが、気持ちが先んじてしまって、少し声が空回りしてしまったように思います。やはりこの箇所はとても難しい部分です。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">そこから後は、もう佐渡さんの指揮を見つめて必死に歌っていました。誰もが知ってる有名なパート、であるMの部分では、特に笑顔を意識して、朗々と歌い上げることを心がけました。しびれるようなフーガのパートはもう下手くそでもいいので、がむしゃらに元気いっぱいといった歌い方。「ひざまづきなさい」の厳かな部分も練習よりも本番が一番うまく歌えたように思います。一万人で静寂な雰囲気を作り出すことは容易なことではありませんが、何度も練習してきたところで最後の最後にひとつにまとまったのではないかと思います。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">あっという間に歌い終え、オーケストラが最後の音を出し終えたときは、とてもさわやかな達成感を感じることができました。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">「歌うことは生きることだ」</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">と佐渡さんは言っていたのですが、この歌い終えた瞬間は、老若男女問わず合唱隊全員が生気ある喜びの表情をしていたように思います。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">まだまだ自分のすべてを出し切ったとまでは言えませんが、３ヶ月の練習した分だけ、その時間の努力の分だけはしっかり出せたように思います。</div>
<div id="_mcePaste" style="position: absolute; left: -10000px; top: 0px; width: 1px; height: 1px; overflow-x: hidden; overflow-y: hidden;">とても貴重な体験をすることができました。関係者の皆様の努力により何十年も続いてきたイベントです。これからもいつまでも続いてほしいものです。</div>
<p style="text-align: center;"><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/12/daiku_header.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-435" title="daiku_header" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/12/daiku_header.jpg" alt="daiku_header" width="563" height="253" /></a></p>
<p>１２月５日６日に大阪に戻り、「一万人の第九」コンサートに参加してきました。広い大阪城ホールの中に、一万人の歌声が響いたのを聞いたときは、本当に感動的でした。</p>
<p>「一万人の第九」イベントは、その名の通り一万人の大合唱団でベートーヴェンの交響曲第九番を歌おうというイベントで、毎年、年末に開かれています。今年でもう２７回目だそうで、知る人ぞ知る年末の恒例イベントです。</p>
<p>合唱隊として参加することを決めたのは今年の夏。妻に誘われて応募してみたら、見事抽選を合格し、東京クラスのレッスンを受けることができることになりました。当選して喜んでは見たものの、ぼくは合唱なんてこれまで一度も参加したことがありません。歌が上手とはお世辞にも言えないし、歌詞であるドイツ語もいっさいわかりません。まったくずぶの素人が参加したわけです。</p>
<p><span id="more-434"></span></p>
<p>まず困ったのが自分のパート選び。合唱は男声・女声パートに分かれ、それぞれ音域の高低によって、</p>
<ul>
<li>女声（高）ソプラノ</li>
<li>女声（低）アルト</li>
<li>男声（高）テノール（年配の方は「テナー」とも呼ぶ）</li>
<li>男声（低）バス</li>
</ul>
<p>に分かれています。合唱の経験がないので、テノールとバスのどちらが自分にとって歌いやすいのかまるでわからないわけです。悩んでも仕方ないので潔く、きらびやかさのあるテノールを選びました。</p>
<p>パート選びは抽選前に決めなくてはなりません。結果的には、毎年男声の（特にテノールの）人材不足が深刻なようで、女声に比べると、男声で応募する人はずっと当選確率が高いようです。</p>
<p>抽選に通ったからと言って、「一万人」に参加できるわけではありません。その前にきちんと全１２回の練習に参加する義務があります。たしか今年は２回お休みすると本番に参加する権利を失うというルールだったと思います。平日夜のレッスンだったので、残業がちなビジネスマンはなかなか参加しづらいかもしれません。</p>
<p>初回から七−八回目くらいまでは合唱の一部を取り上げて繰り返し読み上げ＋練習することの繰り返しでした。ぼくのように初めての人の場合、曲の全体構造を知ること、自分のパートの楽譜を「正確」に知ること、歌詞を覚えることを同時に進めていく必要があります。第九の有名な合唱部（いわゆるMのパートです）以外は、なかなか聞き覚えのないメロディーですので、練習だけではどうしても覚えきれません。しかし、練習の回数は決まっているわけなので、どうしても練習以外の時間、つまり家に帰って自分で自習する必要があります。ぼくの場合、レッスン会場で販売されているパート別CDを買って、何度も聞くことにしました。楽譜をていねいに読み解くことができる人であれば、パート別CDをわざわざ買わなくても、楽譜を片手に、いろんな第九の録音を繰り返し聴くのでもいいかもしれません。</p>
<p>練習の後半は通し練習が中心でした。楽譜を見ずに円になって歌います。楽譜を手にしていると、ついうつむきがちになりますが、楽譜を投げ捨てると、両手が自由になり、リズムに合わせて左右に体を揺らしながら歌えるようになります。こうなるまでには、何度も何度も練習する必要はありますが、曲の全体の流れさえ覚えておけば細部はとりあえずうろ覚えでも気持ちよく歌うことができました。ぼく自身なまけものなので、一部歌詞をきちんと覚えていないところはありました（苦笑）全部の歌詞をきちんと覚えるのは来年以降の課題ですね。</p>
<p>11月の後半には佐渡裕さん直々の指揮による練習がサントリーホールの小ホールで行われました。世界で活躍するプロの指揮者が目の前にいて、直接指導してもらえるチャンスなんてめったとあることではありません。会場全体が一種の興奮に包まれていて、佐渡さん自身が表現したような「祝祭」的な雰囲気の中で、2時間の練習を行うことができました。見ず知らずの人同士が集い、「ベートーヴェンの第九を歌いたい」という気持ちを体中を使って、佐渡さんにぶつけていました。佐渡さんもその会場の思いに答えるように、いっさい手を抜くことなく、懸命に指揮をし、悪い点を注意し、そして何度も何度もほめていただきました。いま思い返しても、すばらしい時間だったと思います。会場の一体感・親密さという点では本番以上に充実した時間だったとすら言えます。</p>
<p>東京での最後のレッスンで通し練習を行うそのときまで、怠け者で歌の不得手な自分が本当に第九を歌いきれるだろうかという不安は拭い去れないままでした。テノールのパートは、音の高低の変化が比較的大きく、平気でオクターブ以上の動きがある部分もあります。また、後半には見せ場でもある「フーガ」があります。曲の展開が非常に早くなり、いろんな表情の声をめくるめく間に切り替えていく必要があります。もたもたしていて置いてけぼりにされてはいけないとがんばって歌おうとすればするほど、体が硬直し顔から笑顔が消え、お坊さんが早口でお経を唱えているような歌い方になってしまいます。無表情で声だけ張り上げているのです。こんな歌い方ではどんな名曲ですら台無しです。歌い手がもっとも喜びを感じていない「歓びの歌」なんて誰も聴きたくはないでしょう。</p>
<p>「笑顔、笑顔！」「リラックス、リラックス！」と何度も何度も指摘されました。</p>
<p>たしかに周囲の人達を見渡しても、慣れている人ほど自然な表情で気持ちよく歌い上げているかわり、ビギナーの人達はしかめ面・仏頂面で顔をゆがめながら歌っているように見えました。</p>
<p>ぼく自身、うまく歌うことはかなわなくとも、楽しんで笑顔いっぱい元気いっぱいに歌うことだけは忘れまいとしました。</p>
<p>12月5日がリハーサルで、12月6日が本番でした。</p>
<p>両日、大阪城ホールには1万人の合唱隊が集まりました。ホールの3分の2が合唱隊で占められています。男性はスーツに蝶ネクタイ、女性は白ブラウスに黒のスカート。ずらーと並ぶとやはり圧巻です。練習ではじめて全員で声を出したとき、やはり普段の教室の響きとは全然違うことに少しとまどいました。ソプラノやアルトの声が1秒以上遅く聞こえるのです。また声の響かせ方にも工夫がいります。遠く遠くに声を飛ばすように意識しないと、声がすとんと下に落ちてしまって、くぐもったような音色になるのだそうです。何度も何度も音を出し合って大阪城ホールの響きを確認しました。</p>
<p>何度リハーサルを繰り返してもやはり本番は空気が違います。</p>
<p>正装したオーケストラが入場し、佐渡さんの情熱的な指揮の下、第一楽章、第二楽章、第三楽章と演奏が続きます。第四楽章に入ると、合唱隊の人達の口元がきりりとなります。</p>
<p>低弦が「歓喜のテーマ」を奏でます。それに呼応するようにバイオリンも奏で始め、曲は一気に華やかさを帯びます。</p>
<p>ティンパニーが叩かれた瞬間が合図でした。会場の一万人でだんっと同時に立ち上がりました。会場の照明もぐんと明るくなります。はっとするようなこの演出も、佐渡さんの指揮のものと何度か繰り返し練習したものでした。どれほど効果的だったか、早く映像で確認したいものです。</p>
<p>一万人が立ち上がり、照明が会場全体を照らした直後、バリトンの厳かな独唱が会場を包みます。ここらです。ここから、オーケストラ、ソリスト、合唱隊の掛け合いによる第九の見せ場が始まります。</p>
<p>Freude<br />
とバスとテノールの男声がはじめて響きます。このタイミングも遅れないように入念に練習しました。広い会場なので、佐渡さんの指揮を見てから声を出していては遅いのです。その２小節ほど前からFrの発音のために巻き舌を作っておき、あるいはこすれるようなFの音を先行して出しておく必要があるのでした。</p>
<p>この音がどれほど肝心であるかはいくら強調しても足りません。このFreudeがわれわれ合唱隊の第一声であり、このFreudeこそが全歌詞の中でもっとも重要な「歓喜」という意味を持っているのです。ぼく自身はリハーサルでの遅れてしまった反省があったので、普段より一歩早く発声したつもりですが、気持ちが先んじてしまって、少し声が空回りしてしまったように思います。やはりこの箇所はとても難しい部分です。</p>
<p>そこから後は、もう佐渡さんの指揮を見つめて必死に歌っていました。誰もが知ってる有名なパート、であるMの部分では、特に笑顔を意識して、朗々と歌い上げることを心がけました。しびれるようなフーガのパートはもう下手くそでもいいので、がむしゃらに元気いっぱいといった歌い方。「ひざまづきなさい」の厳かな部分も練習よりも本番が一番うまく歌えたように思います。一万人で静寂な雰囲気を作り出すことは容易なことではありませんが、何度も練習してきたところで最後の最後にひとつにまとまったのではないかと思います。</p>
<p>あっという間に歌い終え、オーケストラが最後の音を出し終えたときは、とてもさわやかな達成感を感じることができました。</p>
<p>「歌うことは生きることだ」</p>
<p>と佐渡さんは言っていたのですが、この歌い終えた瞬間は、老若男女問わず合唱隊全員が生気ある喜びの表情をしていたように思います。</p>
<p>まだまだ自分のすべてを出し切ったとまでは言えませんが、３ヶ月の練習した分だけ、その時間の努力の分だけはしっかり出せたように思います。</p>
<p>とても貴重な体験をすることができました。関係者の皆様の努力により何十年も続いてきたイベントです。これからもいつまでも続いてほしいものです。</p>
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		<title>サーバーダウンのお詫び</title>
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		<pubDate>Tue, 29 Sep 2009 14:30:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[行った]]></category>

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		<description><![CDATA[
2週間にわたり、このブログサイトがダウンしていました。
その間にアクセスしていただいた方、ごめんなさい！
原因は調査してみましたが、直接の原因はまだつかめていません。
アパッチ先生が残したダイイング・メッセージは、

[Sun Sep 13 19:46:04 2009] [notice] caught SIGTERM, shutting down

でした。
調査については、技術用の英語ブログnicecabbage.comに残しています。
こんなに長期間に渡って、不具合に気づくことができなかったことを反省しております。
これまでめんどくさがってやっていなかった監視ツールを導入しました。
ライブドア社のデータホテル・パトロールです。
このサービスは5分か10分に1回程度サーバへアクセスしてくれて応答を確かめてくれるモニタリングサービスです。
なにかいやなエラー応答になった場合には、すぐにメールで教えてくれる優れものです。
これで、二度と同じ過ちをおかすことはありません。
今後は一瞬で復旧できるようにつとめます。
これからも当ブログをよろしくお願いします。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter" src="http://farm2.static.flickr.com/1243/841779529_4a2e900ff0.jpg" alt="" width="500" height="425" /><br />
2週間にわたり、このブログサイトがダウンしていました。</p>
<p>その間にアクセスしていただいた方、ごめんなさい！</p>
<p>原因は調査してみましたが、直接の原因はまだつかめていません。<br />
アパッチ先生が残したダイイング・メッセージは、</p>

<div class="wp_syntax"><div class="code"><pre class="text" style="font-family:monospace;">[Sun Sep 13 19:46:04 2009] [notice] caught SIGTERM, shutting down</pre></div></div>

<p>でした。</p>
<p>調査については、<a href="http://www.nicecabbage.com/2009/09/accidental-server-down-and-so-sorry-for-that/">技術用の英語ブログnicecabbage.com</a>に残しています。</p>
<p>こんなに長期間に渡って、不具合に気づくことができなかったことを反省しております。<br />
これまでめんどくさがってやっていなかった監視ツールを導入しました。</p>
<p>ライブドア社の<a href="http://patrol.datahotel.ne.jp/">データホテル・パトロール</a>です。<br />
このサービスは5分か10分に1回程度サーバへアクセスしてくれて応答を確かめてくれるモニタリングサービスです。<br />
なにかいやなエラー応答になった場合には、すぐにメールで教えてくれる優れものです。</p>
<p>これで、二度と同じ過ちをおかすことはありません。<br />
今後は一瞬で復旧できるようにつとめます。<br />
これからも当ブログをよろしくお願いします。</p>
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		<title>やぶはら高原マラソン走りました</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/07/yabuhara_half_marathon/</link>
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		<pubDate>Tue, 21 Jul 2009 03:03:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[行った]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://shoes.shaseki.in/?p=380</guid>
		<description><![CDATA[昨日、人生初のマラソン・レース（ハーフマラソン）に出場した。
スタート前の緊張とは裏腹に、21kmを快走し、納得のタイムでゴールラインを切ることができた。
3ヶ月間のトレーニングと、レース中の記録を残しておきたいと思う。
この記事を読んで、だれか一人でも多くの人がマラソンに興味を持ってもらえればうれしい。

きっかけ
去年の暮れ、吉祥寺から多摩川沿いの今のマンションに引っ越した。
冬真っ盛りで寒かったし、引っ越し当初、それほど川には行かなかった。
あたたかい春になり、シリコンバレーから帰ってきて、ぼくは退職した。
フリーランスの身になり、一日自宅のPCの前にこもる生活が始まった。
さすがに一人でずっとディスプレイとにらめっこしているばかりでは、気が滅入ってくる。
「ランニングでもして、体を動かして、アタマをすっきりとさせようかな」
と、ふとした思いつきで、ランニングを始めてみたのが、きっかけ。
４月・はじめたばかり
はじめの１ヶ月くらいは、単なる気分転換でしかなかったので、ありあわせのスニーカーとジャージで、
距離もスピードもその日の気分次第で走っていた。
調子の良い日は、7kmを特に苦しくなることもなく完走することができた。
調子の悪いときや、ペースを乱してしまったときは、15分くらいで、息が上がってしまい、帰路は歩いて帰ったりもした。
初心者にとって最初の１ヶ月は、ランナー道に入門するためのオリエンテーションのような時期で、
本格的に走るよりも、

日常生活の中でランニングにあてる時間を用意すること
走る自分をイメージすること
走る前・走ったあとのストレッチに慣れること

という、走るための準備をしていたのだな、と振り返ってみて気づいた。
ぼくの恩師である「マラソン完走BOOK—楽しくきれいに走りたい」によると、はじめの２週間は、30分ウォーキングを続けることに専念することがいいらしい。
バランスの良いフォームを意識し、30分間動き続けることで、普段あまり使っていなかった部分や、走るために必要な筋肉を徐々に作り上げていくこと。
そして、日常生活モードから、頭の中（脳）を運動モードにスムーズに切り替えるための役割を果たしてくれることなどが狙いとなる
とおっしゃっている。
ぼくの場合、ウォーキングだけに専念することなく、気の向くままに走ってしまったけれど、すぐに息が上がってしまい、残りの行程は歩いてこなしていたので、結果的には期せずして教えに従っていたことになる（のかな）。
５月・慣れはじめたころ
５月に入り、運動モードがようやく体に染みついてくると、だんだん欲が出てくる。
もっと速く走りたい・もっと長い距離を走りたい・もっとかっこよく走りたい、など。
ランニングは、だんだんただの気分転換ではなくて、めざす目標というか倒すべき課題のようなものに変わった。
走りたくないなって思ってても、週に２回か３回は必ず走るようにしていた。
どうしてこんな風に考えるようになったのかな。
「走るのが楽しい」からというのは、あまりに楽天的すぎる。走るのは、やっぱりつらいこともある。
「はじめたからにはやめられない」というのは、少し努力家すぎる。三日坊主になってしまった習慣は掃いて捨てるほどある。
「走る自分が好き」と公言するのははばかられるけれど、「自ら苦役を引き受ける自分」というイメージは、たしかに好きである。しかし、怠惰な自分も同じくらい好きなので、これが理由で走ることはない。
おそらく、結局のところ、走るのをやめた自分を見たくない、という不安が、ぼくを駆り立てていたんだろうな。
ぼくは、走ることと独立を同じタイミングで始めた。
このおかげで、独立して生計を立てるためにやるべき仕事と、走ることが、無意識のうちに関連づけられている。
パブロフのワンちゃんが、餌とベルの音を関連づけたような具合で。
走るのをやめるときは、今の生活を放棄するときになるのだろうか。うん、きっとそうだろうな。
まずはじめに、道具をきちんとそろえた。
シューズ、ソックス、ウェア（上下）。それに、iPhoneのランニングアプリ、ウェイト（上半身の筋肉を鍛える）、消炎剤。
シューズなどは、大学時代の同級生のマキちゃんのお世話になり、アディダス製品でかためた。
脱皮！
敵は己の内にあり
などの言葉が、背面にデザインされている。
これを着て走ると、人の目が気になって、途中で立ち止まったり歩いたりできなくなるから、不思議である。
呪文のように、ぼくを突き動かしてくれる。
トレーニングへの意識も変えた。
まずは、先述した谷川真理さんの本を買い、プロの意見を知る。
特に参考になったのは、

怪我・障害への対応方法
ストレッチの大切さ（トレーニング前にもトレーニング後にも絶対に欠かしてはいけない！）
筋トレによって、強い筋肉を作ることが、完走することにとっても故障防止のためにもよいこと
トレーニングはただやみくもに走ればいいのではなくて、短距離・インターバル走・長距離など変化に富んだメニューを用意すること。筋力・心肺能力・回復力などをバランスよく上げていく。
距離・時間をきちんと計測し、自分の現在の状態を知ること。また、次の具体的な数値目標を持つこと

など。
実際にこれらのポイントを活かして、いつも走っているコースの距離を測り、iPhoneをつかって時間を計測し、短距離ダッシュや腹筋、それに筋肉を意識したストレッチなどを取り入れてみた。
素人がひとりでやっていることなので、どれくらい効果があるのかはわからない。
むしろ、「本格的にトレーニングをするランナーになった」と自分をだますことが大切であった。
いったん、自覚が芽生えると、苦しいとかしんどいとかという感覚的なものを理由に、走るのを嫌がらなくなった。
これは、すごい発見をしてしまったようだ。
およそ教育と呼ばれるものの一番大切な点を発見してしまった気がする。
「いったん自覚が芽生えると、苦しい、しんどいなどの感覚的な理由から、学ぶを嫌がらなくなる」
５月末にはじめて、レースのことも意識しはじめた。
６月・ランナーとして
トレーニングを淡々とこなしたのが６月。
最低週２回、多くて週４回。
自分の生活のリズムに合わせて、昼過ぎまたは夕方に１時間ほどのランニングと、前後に１５分程度のストレッチや筋トレを混ぜた。
梅雨時で天候がすぐれない日が多く、雨の中を強行突破で走ったこともあったが、足下が悪いし、濡れた髪から滴り落ちる水滴が気に障るし、あまり気分の良いものではなかった。
さすがに懲りて、雨なら走らないことにした。
おかげで予定を変更することが多かったが、それでも週２回という最低回数は維持できた。
それもこれも、フリーランスという働き方のおかげ。
ありがたや、ありがたやと夕陽に手を合わせながら、走った。
レースに出る決意もした。直近で出場できそうであったのが、長野県木曽郡木祖村で行われる「やぶはら高原ハーフマラソン」
夏場で関東近郊ではほとんどレースが行われない。
しかし、初レースを秋まで待てないということでこの大会を選んでみた。
公式パンフレットによると、
標高差165mのアップダウンの激しいコースですが、緑深い山々や、眼下に広がる雄大な景観が楽しめ、完走後の達成感は格別です
とある。
自然いっぱい、緑いっぱい。とても楽しみである。
７月・レース直前
はじめて15kmという長い距離を走る。
あとは、軽いランニングを１日おき程度に行うことと、ストレッチを入念にすることくらい。
関西に戻っていたりと忙しい日が続いていたので、それほど準備に時間は費やさなかった。
やぶはらの特徴である坂道のためのトレーニングをまったくしていないことが不安だったけれど、ゆっくり走れば大丈夫、と気楽に考えていた。
７月18日（前日）

妻が１年ぶりにピアノの発表会を行った。
大変心地よい時間を過ごせた。
会場は、こじんまりとしたあたたかい空気のする地下演奏場。
煩わしいことから離れて、ぼんやりと音楽に浸る夕暮れの時間を楽しむことができた。
あの特別な空気は、教会で過ごす時間に似ているかな。
演奏終了後、レンタカーを借りて、帰宅。
ちょうど調布花火大会の日で、多摩川沿いを走ると、すでに花火は終了していたけれど、たくさんの屋台と浴衣の人が夏の夜を楽しんでいるが見えた。
花火にビールにフランクフルトか。いいものである。
次の日、朝７時に会場に着くためには、朝の３時半に家を出ることになる。
今すぐにでも眠りにつくことが要請されていた。
まったく眠たくなかったけれど、２３時には横になった。
トレーニング・ストレッチはいっさいしなかった。それより、寝不足によるスタミナ切れのほうが心配だもん。
７月19日（当日）
予定通り、朝３時起床、３時半出発。さすがに眠い。
友人のノザワさんにドライバーをお願いしているので、後部座席でがっつり眠らせてもらう。
朝４時の甲州街道・中央自動車道を、快適に走り抜けた。
朝６時。諏訪湖サービスエリア。
レース前の朝ご飯。
師匠である「マラソン完走BOOK（監修谷川真理・中島進）」によると、炭水化物（糖類）を摂ることが大切とのこと。
長野の名物らしい「大アゲうどん」をいただく。
朝７時。やぶはら高原「こだまの森」会場入り。
長野県に入ったあたりから感づいていたが、外は雨。気温は低い。
道にまよって、たまたま会場に入る前に、マラソンレース道を車で走った。
坂・坂・坂！
峠！
雨だし、坂だし、寝不足だし、不安が一気に募る。
車を駐車したあとは、雨に濡れながら受付をすませ、車で着替える。
雨のせいで外でストレッチをすることもかなわず、車の中で寝てみる。
朝８時。
外が騒がしい。村長さんの挨拶が始まる。
ランナーもぞくぞくと集まってきている。
アップを開始している人もたくさんいる。
雨は降ったりやんだりする。時に、晴れ間も見えて、そのたびに僕らランナーを一喜一憂させた。
ぜっけん「１３９」をとりつけ、靴ひもに計測用タグを結び、スタートライン近くへ。
体の状態を確かめながら、ストレッチを開始した。
少し走ってみる。
気分は緊張しているけれど、体調は悪くない。
さっきまでの不安が消えて、意気高揚してくる。もう走るしかないんだし。
スタートラインでの並び方は自己申告制。１キロあたりの平均速度ごとに並ぶようだ。
真面目なぼくは、１時間１２キロで走るから、真面目に１キロ５分のカテゴリに入った。
ところが、これはずいぶん後ろの方だ。
１キロ４分のランナーとかがうじゃうじゃいるように思って、感心していた。
後でわかったのだが、ぼくは後ろの方にエントリしすぎたようで、いろんな人を追い抜くのに苦労した。
１キロ○分というのは、何キロ走ったときの平均タイムなのだろうか？
レース
スタート直前に大雨になって、全ランナーの意気を消沈させたあと、発砲。
いっせいに、ランナーが駆け出す。
…わけではなく、互いにぶつからないように、とぼとぼと走り始める。
走り始めると、雨はやんだ。
まわりの人を見ながら、右へ抜いたり、左へ抜いたり、なかなかポジションが落ち着かない。
５キロくらいまではずっと集団にもまれていた。
一度大きく下ったあと、ずっと上り坂が続いている。
どうやら僕は上りが得意なようで、どんどん人を追い抜いていけた。
逆に、下り坂になると、膝への負担を考えて、ずいぶんとスピードを殺して走った。
すると、後ろからばたばたと大きな音を立てて、重力のままに転げるようにスピードを上げて走るランナーに次々に抜かされた。
７キロくらいから、ダムのまわりを走る。
急な勾配もなく、とても気持ちがいい。
周囲のランナーのスピードも心持ちあがったようだ。快走、快走。
給水所がいくつもあり、村のおじさん・おばさんたちがコップを用意して待ってくれている。
なんか村の人たちのサポートがすごく感じられてうれしい。
とりあえず、うまく水を飲めそうになかったので、給水にはずっと立ち寄らなかった。
中間点を超える。
まだぜんぜん息はあがっていない。
これはいける、と思えた。
少しスピードを上げてみる。
トンネルをくぐりぬけ、下り坂を終えて、ハーフ折り返し地点。
くるっと大きなポールを回った後の上り坂で、足に異変を感じる。
得意の上りのはずが、足を前に出そうにも踏ん張れない。
息はあがっていないし、意識もはっきりしているが、体だけがちゃんと思ったように動かない。
モーターを切った電車のように、惰性運転をしている感覚だった。
さっきまで次々に人を抜いていた上り坂で、前の人に追いつけないどころか、右から次々に抜かされ始める。
走り込みがたりなかったなあ、と悔しさがにじみ出る。
しかし、まだ１５キロ程度。あと６キロ、およそ３０分間走り続けなくちゃいけない。
ここで、もう一度初心を思い出す。
このレースで大切なのは、完走すること。時間も順位も関係ない。
そう思いなおすと気が楽になった。
肩の力を抜いて、少しスピードを落とす。
いちばん楽なペースで走る。
それでも、淡々とゴールインできるわけではなかった。
やぶはら高原ハーフマラソンのもっとも怖ろしいところは、ゴール直前にあるおよそ1.5kmにもおよぶ上り坂だ。
高低差はおよそ100m。
しかも、道が曲がりくねっているので、どこが頂上なのかランナーには見えない。
最後の力をふりしぼって走る！という決意でスピードをあげたが、なんせ異様に長い坂道。
気持ちが続かない。
足も感覚がないというか、前に一歩踏み出すのがつらく、今前進しているのが不思議なくらい。
それでも絶対に歩いちゃいけないと思った。
どんなに遅くても走ること、立ち止まったら、もう二度と走り出せない気がした。
沿道では村の人たちが太鼓を叩いたり、あと１キロだよ、と声援をかけてくれる。
この声がどれほどランナーを鼓舞していることか。
ほんとうに応援されるというのはうれしいことだった。
足も手もだらだらとなって、フォームもなにもあったものではなかったけれど、なんとか坂の頂上にたどり着くと、あとは下るのみ。
ゴールがついに視界に入った。
すると、ニンゲン、不思議なもので、もうどこにも力は残っていないと思っていたのに、ラストスパートする余裕が生まれたりした。
後ろからゴールに向かってダッシュするランナーが出てきたのでまけじとスピードアップ。
ゴール付近に、妻と友人の姿も見えて、ほっと一息ゴールイン。
１時間５６分４６秒。
目標の２時間ゴールインも達成できた。
ああ、よかった。
ゴールするとひたすら気持ちがいい。
走っている間のつらいことよりも、風が気持ちよかったとか景色がきれいだったとか、前半のダムでの快走時のことなど、よかったことばかりが思い出されて、気持ちがいい。
ああ、よかった。
笑う膝を休めるために、最後のストレッチをして、写真を撮り、記録証とおみやげ（そば！）を受け取って、会場をあとにした。
やぶはらの大会運営のみなさま、ほんとうにありがとうございました。とてもいい大会でランナーとして心ゆくまで楽しませてもらえました。
応援に来てくれて、ドライバーもしてくれたノザワさん、妻のサチヨさん、ありがとうでした。
その後。
小淵沢IC近くの道の駅「信州蔦木宿」で、ランチをたっぷり食べ、温泉で疲れた筋肉を癒してきました。
セットで1200円程度。いいところですので、長野へお越しの際はぜひ！
さらにその後。
レースの楽しさに味をしめたので、次もどこかに出てみようと思う。フルマラソンがいいか、次のハーフにするか、悩み中です。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昨日、人生初のマラソン・レース（ハーフマラソン）に出場した。<br />
スタート前の緊張とは裏腹に、21kmを快走し、納得のタイムでゴールラインを切ることができた。<br />
3ヶ月間のトレーニングと、レース中の記録を残しておきたいと思う。<br />
この記事を読んで、だれか一人でも多くの人がマラソンに興味を持ってもらえればうれしい。</p>
<p><span id="more-380"></span></p>
<h3>きっかけ</h3>
<p>去年の暮れ、吉祥寺から多摩川沿いの今のマンションに引っ越した。<br />
冬真っ盛りで寒かったし、引っ越し当初、それほど川には行かなかった。</p>
<p>あたたかい春になり、シリコンバレーから帰ってきて、ぼくは退職した。<br />
フリーランスの身になり、一日自宅のPCの前にこもる生活が始まった。</p>
<p>さすがに一人でずっとディスプレイとにらめっこしているばかりでは、気が滅入ってくる。<br />
「ランニングでもして、体を動かして、アタマをすっきりとさせようかな」<br />
と、ふとした思いつきで、ランニングを始めてみたのが、きっかけ。</p>
<h3>４月・はじめたばかり</h3>
<p>はじめの１ヶ月くらいは、単なる気分転換でしかなかったので、ありあわせのスニーカーとジャージで、<br />
距離もスピードもその日の気分次第で走っていた。<br />
調子の良い日は、7kmを特に苦しくなることもなく完走することができた。<br />
調子の悪いときや、ペースを乱してしまったときは、15分くらいで、息が上がってしまい、帰路は歩いて帰ったりもした。</p>
<p>初心者にとって最初の１ヶ月は、ランナー道に入門するためのオリエンテーションのような時期で、<br />
本格的に走るよりも、</p>
<ul>
<li>日常生活の中でランニングにあてる時間を用意すること</li>
<li>走る自分をイメージすること</li>
<li>走る前・走ったあとのストレッチに慣れること</li>
</ul>
<p>という、走るための準備をしていたのだな、と振り返ってみて気づいた。</p>
<p>ぼくの恩師である「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4415024378?ie=UTF8&amp;tag=tomoya1980-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4415024378">マラソン完走BOOK—楽しくきれいに走りたい</a><img style="border:none !important; margin:0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=tomoya1980-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4415024378" border="0" alt="" width="1" height="1" />」によると、はじめの２週間は、30分ウォーキングを続けることに専念することがいいらしい。</p>
<blockquote><p>バランスの良いフォームを意識し、30分間動き続けることで、普段あまり使っていなかった部分や、走るために必要な筋肉を徐々に作り上げていくこと。<br />
そして、日常生活モードから、頭の中（脳）を運動モードにスムーズに切り替えるための役割を果たしてくれることなどが狙いとなる</p></blockquote>
<p>とおっしゃっている。</p>
<p>ぼくの場合、ウォーキングだけに専念することなく、気の向くままに走ってしまったけれど、すぐに息が上がってしまい、残りの行程は歩いてこなしていたので、結果的には期せずして教えに従っていたことになる（のかな）。</p>
<h3>５月・慣れはじめたころ</h3>
<p>５月に入り、運動モードがようやく体に染みついてくると、だんだん欲が出てくる。<br />
もっと速く走りたい・もっと長い距離を走りたい・もっとかっこよく走りたい、など。</p>
<p>ランニングは、だんだんただの気分転換ではなくて、めざす目標というか倒すべき課題のようなものに変わった。<br />
走りたくないなって思ってても、週に２回か３回は必ず走るようにしていた。<br />
どうしてこんな風に考えるようになったのかな。</p>
<p>「走るのが楽しい」からというのは、あまりに楽天的すぎる。走るのは、やっぱりつらいこともある。<br />
「はじめたからにはやめられない」というのは、少し努力家すぎる。三日坊主になってしまった習慣は掃いて捨てるほどある。<br />
「走る自分が好き」と公言するのははばかられるけれど、「自ら苦役を引き受ける自分」というイメージは、たしかに好きである。しかし、怠惰な自分も同じくらい好きなので、これが理由で走ることはない。</p>
<p>おそらく、結局のところ、走るのをやめた自分を見たくない、という不安が、ぼくを駆り立てていたんだろうな。</p>
<p>ぼくは、走ることと独立を同じタイミングで始めた。<br />
このおかげで、独立して生計を立てるためにやるべき仕事と、走ることが、無意識のうちに関連づけられている。<br />
パブロフのワンちゃんが、餌とベルの音を関連づけたような具合で。</p>
<p>走るのをやめるときは、今の生活を放棄するときになるのだろうか。うん、きっとそうだろうな。</p>
<p>まずはじめに、道具をきちんとそろえた。<br />
シューズ、ソックス、ウェア（上下）。それに、iPhoneのランニングアプリ、ウェイト（上半身の筋肉を鍛える）、消炎剤。</p>
<p>シューズなどは、大学時代の同級生のマキちゃんのお世話になり、アディダス製品でかためた。</p>
<blockquote><p>脱皮！</p></blockquote>
<blockquote><p>敵は己の内にあり</p></blockquote>
<p>などの言葉が、背面にデザインされている。<br />
これを着て走ると、人の目が気になって、途中で立ち止まったり歩いたりできなくなるから、不思議である。<br />
呪文のように、ぼくを突き動かしてくれる。</p>
<p>トレーニングへの意識も変えた。<br />
まずは、先述した谷川真理さんの本を買い、プロの意見を知る。<br />
特に参考になったのは、</p>
<ul>
<li>怪我・障害への対応方法</li>
<li>ストレッチの大切さ（トレーニング前にもトレーニング後にも絶対に欠かしてはいけない！）</li>
<li>筋トレによって、強い筋肉を作ることが、完走することにとっても故障防止のためにもよいこと</li>
<li>トレーニングはただやみくもに走ればいいのではなくて、短距離・インターバル走・長距離など変化に富んだメニューを用意すること。筋力・心肺能力・回復力などをバランスよく上げていく。</li>
<li>距離・時間をきちんと計測し、自分の現在の状態を知ること。また、次の具体的な数値目標を持つこと</li>
</ul>
<p>など。</p>
<p>実際にこれらのポイントを活かして、いつも走っているコースの距離を測り、iPhoneをつかって時間を計測し、短距離ダッシュや腹筋、それに筋肉を意識したストレッチなどを取り入れてみた。</p>
<p>素人がひとりでやっていることなので、どれくらい効果があるのかはわからない。<br />
むしろ、「本格的にトレーニングをするランナーになった」と自分をだますことが大切であった。<br />
いったん、自覚が芽生えると、苦しいとかしんどいとかという感覚的なものを理由に、走るのを嫌がらなくなった。</p>
<p>これは、すごい発見をしてしまったようだ。<br />
およそ教育と呼ばれるものの一番大切な点を発見してしまった気がする。</p>
<p>「いったん自覚が芽生えると、苦しい、しんどいなどの感覚的な理由から、学ぶを嫌がらなくなる」</p>
<p>５月末にはじめて、レースのことも意識しはじめた。</p>
<h3>６月・ランナーとして</h3>
<p>トレーニングを淡々とこなしたのが６月。<br />
最低週２回、多くて週４回。<br />
自分の生活のリズムに合わせて、昼過ぎまたは夕方に１時間ほどのランニングと、前後に１５分程度のストレッチや筋トレを混ぜた。</p>
<p>梅雨時で天候がすぐれない日が多く、雨の中を強行突破で走ったこともあったが、足下が悪いし、濡れた髪から滴り落ちる水滴が気に障るし、あまり気分の良いものではなかった。<br />
さすがに懲りて、雨なら走らないことにした。<br />
おかげで予定を変更することが多かったが、それでも週２回という最低回数は維持できた。<br />
それもこれも、フリーランスという働き方のおかげ。<br />
ありがたや、ありがたやと夕陽に手を合わせながら、走った。</p>
<p>レースに出る決意もした。直近で出場できそうであったのが、長野県木曽郡木祖村で行われる「<a href="http://machimura-nagano.jp/blog/kiso_mura/2009/03/post_6.php">やぶはら高原ハーフマラソン</a>」</p>
<p>夏場で関東近郊ではほとんどレースが行われない。<br />
しかし、初レースを秋まで待てないということでこの大会を選んでみた。</p>
<p>公式パンフレットによると、</p>
<blockquote><p>標高差165mのアップダウンの激しいコースですが、緑深い山々や、眼下に広がる雄大な景観が楽しめ、完走後の達成感は格別です</p></blockquote>
<p>とある。<br />
自然いっぱい、緑いっぱい。とても楽しみである。</p>
<h3>７月・レース直前</h3>
<p>はじめて15kmという長い距離を走る。<br />
あとは、軽いランニングを１日おき程度に行うことと、ストレッチを入念にすることくらい。<br />
関西に戻っていたりと忙しい日が続いていたので、それほど準備に時間は費やさなかった。</p>
<p>やぶはらの特徴である坂道のためのトレーニングをまったくしていないことが不安だったけれど、ゆっくり走れば大丈夫、と気楽に考えていた。</p>
<h3>７月18日（前日）</h3>
<p><img class="aligncenter" title="ムジク・ピアフォーヌ" src="http://3.media.tumblr.com/Suvfvclg4q5kqxyeDusZwmqAo1_400.jpg" alt="" width="400" height="534" /></p>
<p><a href="http://sachi3232.wordpress.com/2009/07/20/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AB%E4%BC%B4%E3%81%86%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF/">妻が１年ぶりにピアノの発表会</a>を行った。<br />
大変心地よい時間を過ごせた。<br />
会場は、こじんまりとしたあたたかい空気のする地下演奏場。<br />
煩わしいことから離れて、ぼんやりと音楽に浸る夕暮れの時間を楽しむことができた。<br />
あの特別な空気は、教会で過ごす時間に似ているかな。</p>
<p>演奏終了後、レンタカーを借りて、帰宅。<br />
ちょうど調布花火大会の日で、多摩川沿いを走ると、すでに花火は終了していたけれど、たくさんの屋台と浴衣の人が夏の夜を楽しんでいるが見えた。<br />
花火にビールにフランクフルトか。いいものである。</p>
<p>次の日、朝７時に会場に着くためには、朝の３時半に家を出ることになる。<br />
今すぐにでも眠りにつくことが要請されていた。<br />
まったく眠たくなかったけれど、２３時には横になった。</p>
<p>トレーニング・ストレッチはいっさいしなかった。それより、寝不足によるスタミナ切れのほうが心配だもん。</p>
<h3>７月19日（当日）</h3>
<p>予定通り、朝３時起床、３時半出発。さすがに眠い。<br />
友人のノザワさんにドライバーをお願いしているので、後部座席でがっつり眠らせてもらう。<br />
朝４時の甲州街道・中央自動車道を、快適に走り抜けた。</p>
<p>朝６時。諏訪湖サービスエリア。<br />
レース前の朝ご飯。<br />
師匠である「マラソン完走BOOK（監修谷川真理・中島進）」によると、炭水化物（糖類）を摂ることが大切とのこと。<br />
長野の名物らしい「大アゲうどん」をいただく。</p>
<p>朝７時。やぶはら高原「こだまの森」会場入り。<br />
長野県に入ったあたりから感づいていたが、外は雨。気温は低い。<br />
道にまよって、たまたま会場に入る前に、マラソンレース道を車で走った。<br />
坂・坂・坂！<br />
峠！<br />
雨だし、坂だし、寝不足だし、不安が一気に募る。</p>
<p>車を駐車したあとは、雨に濡れながら受付をすませ、車で着替える。<br />
雨のせいで外でストレッチをすることもかなわず、車の中で寝てみる。</p>
<p>朝８時。<br />
外が騒がしい。村長さんの挨拶が始まる。<br />
ランナーもぞくぞくと集まってきている。<br />
アップを開始している人もたくさんいる。<br />
雨は降ったりやんだりする。時に、晴れ間も見えて、そのたびに僕らランナーを一喜一憂させた。</p>
<div id="attachment_384" class="wp-caption aligncenter" style="width: 650px"><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/07/CIMG3329.jpg"><img class="size-full wp-image-384" title="レース前の入念な準備" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/07/CIMG3329.jpg" alt="レース前の入念な準備" width="640" height="480" /></a><p class="wp-caption-text">レース前の入念な準備</p></div>
<p>ぜっけん「１３９」をとりつけ、靴ひもに計測用タグを結び、スタートライン近くへ。<br />
体の状態を確かめながら、ストレッチを開始した。<br />
少し走ってみる。<br />
気分は緊張しているけれど、体調は悪くない。<br />
さっきまでの不安が消えて、意気高揚してくる。もう走るしかないんだし。</p>
<p>スタートラインでの並び方は自己申告制。１キロあたりの平均速度ごとに並ぶようだ。<br />
真面目なぼくは、１時間１２キロで走るから、真面目に１キロ５分のカテゴリに入った。<br />
ところが、これはずいぶん後ろの方だ。<br />
１キロ４分のランナーとかがうじゃうじゃいるように思って、感心していた。<br />
後でわかったのだが、ぼくは後ろの方にエントリしすぎたようで、いろんな人を追い抜くのに苦労した。</p>
<p>１キロ○分というのは、何キロ走ったときの平均タイムなのだろうか？</p>
<h3>レース</h3>
<p>スタート直前に大雨になって、全ランナーの意気を消沈させたあと、発砲。<br />
いっせいに、ランナーが駆け出す。<br />
…わけではなく、互いにぶつからないように、とぼとぼと走り始める。</p>
<p>走り始めると、雨はやんだ。<br />
まわりの人を見ながら、右へ抜いたり、左へ抜いたり、なかなかポジションが落ち着かない。<br />
５キロくらいまではずっと集団にもまれていた。</p>
<p>一度大きく下ったあと、ずっと上り坂が続いている。<br />
どうやら僕は上りが得意なようで、どんどん人を追い抜いていけた。<br />
逆に、下り坂になると、膝への負担を考えて、ずいぶんとスピードを殺して走った。<br />
すると、後ろからばたばたと大きな音を立てて、重力のままに転げるようにスピードを上げて走るランナーに次々に抜かされた。</p>
<p>７キロくらいから、ダムのまわりを走る。<br />
急な勾配もなく、とても気持ちがいい。<br />
周囲のランナーのスピードも心持ちあがったようだ。快走、快走。</p>
<p>給水所がいくつもあり、村のおじさん・おばさんたちがコップを用意して待ってくれている。<br />
なんか村の人たちのサポートがすごく感じられてうれしい。<br />
とりあえず、うまく水を飲めそうになかったので、給水にはずっと立ち寄らなかった。</p>
<p>中間点を超える。<br />
まだぜんぜん息はあがっていない。<br />
これはいける、と思えた。<br />
少しスピードを上げてみる。</p>
<p>トンネルをくぐりぬけ、下り坂を終えて、ハーフ折り返し地点。<br />
くるっと大きなポールを回った後の上り坂で、足に異変を感じる。<br />
得意の上りのはずが、足を前に出そうにも踏ん張れない。</p>
<p>息はあがっていないし、意識もはっきりしているが、体だけがちゃんと思ったように動かない。<br />
モーターを切った電車のように、惰性運転をしている感覚だった。</p>
<p>さっきまで次々に人を抜いていた上り坂で、前の人に追いつけないどころか、右から次々に抜かされ始める。<br />
走り込みがたりなかったなあ、と悔しさがにじみ出る。</p>
<p>しかし、まだ１５キロ程度。あと６キロ、およそ３０分間走り続けなくちゃいけない。<br />
ここで、もう一度初心を思い出す。</p>
<p>このレースで大切なのは、完走すること。時間も順位も関係ない。<br />
そう思いなおすと気が楽になった。</p>
<p>肩の力を抜いて、少しスピードを落とす。<br />
いちばん楽なペースで走る。</p>
<p>それでも、淡々とゴールインできるわけではなかった。</p>
<p>やぶはら高原ハーフマラソンのもっとも怖ろしいところは、ゴール直前にあるおよそ1.5kmにもおよぶ上り坂だ。<br />
高低差はおよそ100m。<br />
しかも、道が曲がりくねっているので、どこが頂上なのかランナーには見えない。</p>
<p>最後の力をふりしぼって走る！という決意でスピードをあげたが、なんせ異様に長い坂道。<br />
気持ちが続かない。<br />
足も感覚がないというか、前に一歩踏み出すのがつらく、今前進しているのが不思議なくらい。</p>
<p>それでも絶対に歩いちゃいけないと思った。<br />
どんなに遅くても走ること、立ち止まったら、もう二度と走り出せない気がした。</p>
<p>沿道では村の人たちが太鼓を叩いたり、あと１キロだよ、と声援をかけてくれる。<br />
この声がどれほどランナーを鼓舞していることか。<br />
ほんとうに応援されるというのはうれしいことだった。</p>
<p>足も手もだらだらとなって、フォームもなにもあったものではなかったけれど、なんとか坂の頂上にたどり着くと、あとは下るのみ。<br />
ゴールがついに視界に入った。<br />
すると、ニンゲン、不思議なもので、もうどこにも力は残っていないと思っていたのに、ラストスパートする余裕が生まれたりした。<br />
後ろからゴールに向かってダッシュするランナーが出てきたのでまけじとスピードアップ。</p>
<p>ゴール付近に、妻と友人の姿も見えて、ほっと一息ゴールイン。</p>
<div id="attachment_383" class="wp-caption aligncenter" style="width: 650px"><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/07/CIMG3361.jpg"><img class="size-full wp-image-383" title="ゴール直後" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/07/CIMG3361.jpg" alt="ゴール直後" width="640" height="480" /></a><p class="wp-caption-text">ゴール直後</p></div>
<p>１時間５６分４６秒。<br />
目標の２時間ゴールインも達成できた。</p>
<p>ああ、よかった。</p>
<p>ゴールするとひたすら気持ちがいい。<br />
走っている間のつらいことよりも、風が気持ちよかったとか景色がきれいだったとか、前半のダムでの快走時のことなど、よかったことばかりが思い出されて、気持ちがいい。<br />
ああ、よかった。</p>
<p>笑う膝を休めるために、最後のストレッチをして、写真を撮り、記録証とおみやげ（そば！）を受け取って、会場をあとにした。</p>
<p>やぶはらの大会運営のみなさま、ほんとうにありがとうございました。とてもいい大会でランナーとして心ゆくまで楽しませてもらえました。</p>
<p>応援に来てくれて、ドライバーもしてくれたノザワさん、妻のサチヨさん、ありがとうでした。</p>
<p>その後。<br />
小淵沢IC近くの道の駅「<a href="http://www.tsutakijuku.jp/spa/index.html">信州蔦木宿</a>」で、ランチをたっぷり食べ、温泉で疲れた筋肉を癒してきました。<br />
セットで1200円程度。いいところですので、長野へお越しの際はぜひ！</p>
<p>さらにその後。<br />
レースの楽しさに味をしめたので、次もどこかに出てみようと思う。フルマラソンがいいか、次のハーフにするか、悩み中です。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>シリコンV（１０）旅行記</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10/</link>
		<comments>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 06:49:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[思った]]></category>
		<category><![CDATA[行った]]></category>
		<category><![CDATA[svc09]]></category>

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		<description><![CDATA[
このエントリは、シリコンバレー滞在中や帰国後すぐに書いた旅行記です。ほとんど整理していません。
また、固有名詞がそのまま出ていますが、実際の人物や団体、出来事に関係がないとは言えません。
3/19
成田。逆カンファレンスのスライドに使用するための画用紙と筆を買う。そばを食べる。
夕方の空がきれいだった。６時過ぎにＳＦに向けて離陸。
SF。
入国審査では、MoutainViewに観光に来たと行ったら怪訝な顔をされた。「オフィスを見学」に来たといいなおす。
森伊蔵を持っている人を大量に発見。前にいる人に尋ねてみると、ＪＡＬだけで買えるらしい。
荷物を拾って、外に出ると、すぐに須賀さんを発見。スーパーチープレンタカーに電話をして、迎えに来てもらう。
車をゲット。
スーパーチープレンタカーの親父曰く、今週あたりはＳＦの「ゴールデンウィーク（もっともいい季候の時）」なのだそうである。車は古めのカローラ。
おなかがすいたので、IN&#8217;N'OUTに入って、ハンバーガーにかぶりつく。アメリカ入国の儀式のようなものだ。
今日はじめの予定は、PARC。住所を控えていなかったので、とりあえずな気持ちで、Palo Altoへ。
３０分くらいで、ダウンタウンに着いた。
PARCの場所はわからなかったが、適当に車を止めた向かいにあるカフェからFree Wifiを拾うことができたので、iPhoneでメールをチェックして、住所をゲット。
ナビに入れて、到着。
時間ぎりぎり。
PARCでは、まずジョン・ナイツ博士が研究所の概要についてプレゼンをしてくれた。
簡単な質疑応答に入る。ナイツ氏は、イングランド出身で、シリコンバレーでは「外国人」。その他各国から才能ある人たちが集まっていることが魅力であると話してくれる。
曰く、多様な文化が、イノベーションを形作る、と。
あとは研究所ツアー。
透明なガラスの壁の部屋に仕切られている。だいたいドアは開いている。自分のスペースを保ちつつ、コミュニケーションを阻害しないよう、という感じか。
オフィスは意外と空きもあり、「前はスタートアップ起業のオフィスとして使っていた」と。
場所を貸すだけでなく、人的交流も行っていているとのこと。
屋上に出て、太陽光発電の設備を見るなどする。広大な草原のなかに、ポツポツと建物が見えて、あそこに見えるのが、VMWareだよなんて言われると不思議な気分になる。
建物の正面で写真を撮って、終了。
その後、その場でadobeのイベントへの参加を表明。
車で、San Joseへ。
夕方になる。
San Joseダウンタウンの真ん中に高いビルがあり、そこがAdobe本社。
ビル内パーキングとかの都会っぷりに驚く。入り口にPs, Aiなどのロゴがいっぱいあってかわいい。
社員用カフェに入れていただき、羽田さんらにアテンドしてもらう。彼らがAdobeで働くようになった経緯とかどんな社風か聞く。就活のＯＢ訪問のようなものだ。
あとは、ToastMasters。いわば、プレゼン用スピーチの練習クラブ。
羽田さんがメンバで参加されていて、日・英の両方でスピーチをやる。
テキストがあって、毎週課題に沿ったスピーチをしているようだ。
たとえば、「リサーチした内容を伝える」とかね。あと、オーディエンスはただだまっているわけではなくて、タイマー（時間測定者）、グラマリアン（文法家）、チーフレビューア、Ahカウンター（あーとか、えーとの回数を数える人）がいる。お互いにちゃんとスピーチのいいところ、改善すべきところを指摘しあう。
年齢層も広く、GEエンジニアをリタイアされた方から、スタートアップでばりばりプログラムされている方、あるいは日本企業の駐在員まで、いろんな方がいる。
最後に参加したぼくらも自己紹介。
日英どちらでもいいと言われたので、英語で参加させていただいた御礼とプレゼンのGoodTipsを得ることができたと言ってみた。
ほかのメンバも、一生懸命英語で話している人がいて、どんどんチャレンジすることはすばらしいと思う。
当初から参加表明していたメンバは夜のAdobeオフィスツアーに繰り出していったが、ぼくは部屋にとどまって、同じく残っていた人たちと話していた。
夜10:30終了。川口さん、玉澤さん、須賀さんを乗せて、MoutainViewへ。
ガスがないので、ＧＳに寄る。ガソリンを入れるとき、日本のクレジットカードだと、ZIPコードが入れられないので、面倒だが、窓口へ行き、先にお金を払っておく。
すると給油できるようになる。
終えると、もう一度窓口にいって、おつりを返してもらう。
SJといえど、夜のダウンタウンのガソリンスタンドは若干こわい。
みんなで遅くまで空いているレストランに行こうと約束していた。
しかし、着いてみると、もうClosed。
他の人もいない。あきらめて、ほかのレストランを探すが、この地にそんなものはない。TacoBellですらしまっている。
スーパを探したが、地理がわからないので、断念。
晩ご飯はあきらめて、一度ホテルへ。
チェックインしたのが夜の12時。
カウンターの脇のスナックコーナで適当にお菓子などを買って、食って、寝る。
西塔さんが、やはり夜１２時にふらりと一人で荷物を引きずってきたのを見つけたときにはびびった。
この時間に駅から歩いてきたのだろうか。がっつがありすぎる。
3/20
朝７時くらいに起きた。
ホテルで朝ご飯。ビュッフェ形式。
Coolirisというブラウザ拡張やっている会社に行くため、９時にスタンフォード近くのスターバックスで誘ってくれた前田さんや他のメンバーに会う。
自己紹介、世間話などして、向かいのビルへ。
ほんとにスタンフォードの真横にオフィスがある。
背の高い男の子が迎えてくれる。
彼は予定を忘れていたようで、しかも大事な用事があるので、１時間後に出直してくれということになった。
もう一度スターバックスへ戻る。
シリコンバレーでのＶＣとスタートアップとExitパターンと今の流行の分野などの話を聞く。
再度訪問。
彼とマリアという女の子がアテンドしてくれて、Coolirisのこと、これからやろうとしていることを聞く。
英語が若干聞き取りにくかった。
彼らが日本に出てくるときには、なにかしらお手伝いができるよということを言って、１１時半くらいに先に出た。
日本のあるメディアにいる人と彼らと、「人をつなぐ」ことしかできないけど、それでも力になれたらお互いにとっていいだろうと思った。
次に１２時から20-30キロ離れたサンマテオというところで、海部美知さんのセッションがある。
時間ぎりぎりだ。ちゃんとナビを設定して行く。道はすいている。
会場は大きなスポーツクラブ。
駐車場には桜が咲いていた。
中にはいるとエクササイズしている人がたくさん。
奥にレストランコーナーがあり、サラダを買う。
一緒に参加するnori3さんやyaottiさんと挨拶。
会議室に入る。
海部さんは気さくな感じの人で、話し方が元気にあふれていてとても魅力的。
ぼくらのセッションでは、社会人が多く、自己紹介の話でそれぞれやっていることが面白くて、そこから次々と話が派生した。
「シリコンバレーで日本人が起業することの強みはあるだろうか」と質問したら、海部さん曰く「日本にこだわって、ビジネスをする必要は全くないし、むしろこだわらないほうがいい。
ただ言語にせよ文化的背景にせよ真向いに戦うのはやはりハード。
日本企業から資金調達することや、日本企業から買収されることをねらうなど、”使えるものは使う”という姿勢がいいのでは」。
それは、ぼく自身個人としてアメリカで生活するときの立ち位置に応用できそうだと思った。
つまり、日本人であることをことさら強調することもなく、アメリカ社会に入っていきながら、やはりちゃんと日本人コミュニティと関わって助け合うこともする。
「つかず離れず」という感じだろうか。
あと、カリフォルニアの財政状況のひどさと学校取り壊しという驚くべき話も聞いて驚いた。
海部さんのセッションも１３時半くらいで中座する。
次は、また南へ戻って、Infinity Loop 1, Cupercinoへ。
Apple本社だ。少し迷って、正門ビルに近い駐車場に止める。
小島さん、藤澤さんが待っていてくれた。
バッジをもらって、中に入る。きれいな芝生、きれいなビル。
「MacBookはGreenにやさしい」と書いた垂れ幕が大きく下がっている。
他の人たちは、小島さんとフランスから来ているインターン生を囲んで、すでに話をしていた模様。
合流するなり少しだけインターン生と話す。
「ここに来て興奮している」というと、「誰もが（Apple Headquater内の）この光景を見られるわけではない」という言葉が。
彼自身が黒人であったこともあり、ことさら言葉の重みを感じてしまった。
テラス席で20分ほど小島さんを囲んで談笑。
Appleという魅力的な会社の秘密に近づこう(笑)と思ったが、組織・仕組みは特別ではないという答え。
でも、Appleの製品を本当に誇りに思っている優秀でかつ情熱的な個人が集まっているのだ、といったことは伺えた。
会社ではなく個人に重きを置く考えが徹底されている。
Apple社だけではない、アメリカの企業の場合、就職するというのは、「会社に属す」ことではなく、「会社のあるポジションに身を置く」ことである。
個人と会社の、対等な契約関係の上で、互いのニーズがマッチしたときに雇用が発生するのである。
だから、経営方針が変わって仕事がなくなった場合には、部門ごと切ってしまうことができるのだ（とはいえ、それも当然限度はあるし、アメリカの会社とてわけもなく人をきれるわけではない。裁判沙汰になることもしばしば）。
あとで、CompanyStoreに寄ってもらう。
AppleロゴのTシャツを自分用と奥様用に、ペアで買う。
小島さんのおかげで社員割引された。
さて、解散したところで、突然「JTPAの人ですか」と日本語で声をかけられた。
話してみると、日米中でグラフィックデザイナーをしているSunnyさんという人(www.gooood.jp)らしい。
参加メンバーの稲川くんのことを知っていた。
いきなり道ばたでこういう人に会うことにびっくり。
しかもその場にいた上間さんは大学院生だが、Sunnyさんと一緒にいた人が来年から、上間さんと同じ大学院に行き、後輩となると聞いて、またびっくり。
まあ、偶然ってすばらしい。
夕方の気持ちよいドライブをしながら、MoutainViewへ帰る。
上間さんは沖縄出身で、沖縄にこもってしまうことよりも外に出て行くことを選んだというような話をする。
いつか観光じゃなくて、学問をしにあるいは仕事をしに、シリコンバレーに来たいねと話す。
この後もみんなと何度もこんなことを話すのだが。
部屋に戻ると、西塔さんがいたので、彼も合流して、近くのスーパーへ行くことに。
今夜あたりぼくらの部屋で人を集めてちょっと飲もうよと言って、そのためのビールやスナックの調達に行くことにしたのだ。
Trader Joe&#8217;sというちょっといいスーパーで、サラダやワインを買い、Walmartでトルティーヤチップスやビールを買った。
同じモールにはDaisoが入っていてびっくりした。
そのあとは、東洋経済の佐々木さんを囲んでお食事会＠スタンフォード近くの中華料理屋さん。
自己紹介のあと、日本のこと、スタンフォードのことなど聞く。マスコミの話もする。
参加したメンバは、みんな梅田望夫さんのセッションに出ていたので、梅田さんの話もする。
彼はブログ＋本の執筆によって、ぼくたちをシリコンバレーへと駆り立ててくれた人ではあるが、本は売れても、まだまだ影響力は小さい。
というか、日本の若者たちで今回参加したメンバのように、スーツケースを引っ張り出して飛行機に飛び乗ったのは、彼の読者のなかでもやはりほんの一部で、日本にこもったりする傾向が全体としては強いのではないだろうか。
梅田さんはもしかしたら絶望しているかもしれないという話もする。（梅田さんのセッションについてはぼくは出ていないのでなんともいえないが、リンクによると、反響はそれぞれという感じだ）
後半、カヤックの方たちや前田さんも混じって、大きなテーブルになる。
ホテルに戻ると、９時過ぎか。
メールをさばき、ビールを飲む。
たくさん人が集まってきて、ビールで乾杯。
大人数でがやがやと話した。
関西組の人たちにも自己紹介。
みんなが引いたあと、メールを書いたりで、結局夜の２時に寝る。
3/21
今日はシリコンバレーカンファレンス本番。
朝７時に起きて、飯を食べる暇もなく、７時半にロビーに集合して、人を乗せてさあSan Jose State University。
車を止めると、参加者らしい日本人がわらわらといる。
受付をすませて、ネームタグをもらい、適当に席に座る。
まず、梅田さんの話。
表情に精彩がなくびっくりした。
写真でしか見たことはなかったが。
そういえば、他の人から「倒れたらしい」という噂は聞いていた。
話はとても面白い、「時代の力と自分の力」。
しかし、自分が梅田さんに期待していた声とはまったく違う言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「がむしゃらに、なにはなくとも、こっちのほうが面白いからおいでよ」という強いメッセージを勝手に期待していたわけであるが、出てきたのは、時代の力が弱まっているからこそ個人の力を伸ばしていこうよ、という話。
あとで何度もブログにアップされた原稿を読み、昨年度の分も読んだのだが、でも、まだ腑に落ちない。
感覚が違うというのだろうか。
時代の力は、いまこそ強い。個人の力の上に、どんを押しかかっている、そんな印象をぼくは持っている。
村上春樹の壁と卵の話を聞いたからだろうか、時代の力＝壁であり、みんなそろって、壁に荷担しようとしている気がする。
だからこそ、ぼくは無謀にもＮＴＴを辞めて、アメリカに渡りたい（今はその準備を東京でやっている）と思ったわけだ。
時代の力に、抗ってやるという意志ばかりが出てくるのだ。
ちなみに、梅田さんの講演のあと、すっと手をあげて、「反時代の力」の質問をしたのは私でした。
あのときは、自分が抗っているものこそが時代の力でそれに乗っかるようにとか、弱まっているとおっしゃるとは何事そ、と思っていたので、いきなり梅田さんにぶつけてしまった。
梅田さんからは、「個人のそういう思いもきっとなにかにつながる」といったような回答をもらった。
講演は、その後大澤氏、金島氏とつづく。
大澤さんの話は、シリコンバレーのＶＣをめぐる話（ご自身の経験も含めて）から、起業家精神の話まで。起業家にとって、成功とは失敗をマネージすることであり、諦めないかぎり、何度失敗しても成功の門は閉ざされないのだという話がとても印象的だった。
金島先生の話。
* turning-pointが何度もあった
* シリコンバレーでのキャリアアップには、「ひとつの専門性をとことん突き詰めるか、複数の専門性にまたがるか」の道がある
* ひとつの会社ではなくその業界に就職しているというような、プロ野球選手のような意識
* 楽観性って意識しないと持てないよ！
* 様々なスキルを有する人とのコネクションを広げて夢を達成できる機会を最大限に増やしておくこと、
* グローバルで通用する人となって、これからの日本を負って立つくらいの気概を持つこと
* 自分の仕事が明確で、自分を鍛えかつ自分の成果の見えやすい小さな組織で働くこと
そして、最後に、今の日本を引っ張っている政治家や経営者たちの中に、本当に５０年後１００年後の日本を考えて、真剣になにかをやろうとしている人なんていないと言われて、ぐっと涙が出そうになった。
なぜかはわからないが、上の世代は上の世代が見えている範囲しか世話をしてくれないのだから、自分たちが自分たちの将来を引き受けなければいけない。と胸を熱くした。
午後の時間は、パネルディスカッション。
詳しい話は、＜深海さんのブログ＞にて。
ぼくと同じＩＣＵ出身の大先輩雨宮健先生にお目にかかれて興奮した。
昼になって、人混みをさけて、一人遠くへランチに行くと、mootohさんを発見してしまったので、ご一緒する。
もうこの時点で、何にせよぼくはこちらに来なくてはいけないという気持ちになっていた。
mootohさんも本気でそう思っていたようだ。
最後のセッションは、海部美知さんと渡辺千賀さんの対談。
ＪＴＰＡはカルト集団で、ＳＶＣはイニシエーション（通過儀礼）だと暴露される。なるほど、その通りかもしれないなあ。
こちらに来てからというもの、多くの人は何度も何度も同じ問いを自問し続けたはずだ。
「シリコンバレーでチャレンジしてみたいか？」
人と会ったりオフィスを訪問したり、仲間と話したり、あるいは一人で内省しながら、それぞれがそれぞれの答えを探すために時間を費やしたはずだ。
Wikipediaでは、イニシエーションの定義として、歴史家エリアーデの「&#8221;a basic change in existential condition,&#8221; which liberates man from profane time and history（今まで自分が染まってきた世間的な知識や時間の枠組みを乗り越える&#8221;自分自身の根本的な変化&#8221;）」という言葉をあげている。
神の存在に気づいたとか、第３の目が開いたという話ではないにしろ、日本にとどまっていてはけして得ることのできない世界を目の当たりにして、そこに入るか退くかの選択を自分を決定するという体験は、答えがYesになるにせよNoになるにせよ、やはり本人の考え方に大きなインパクトを与えるもので、イニシエーションに近いなあと思った。
お二人の話でも、「恐怖心は出てくるが、やってみたら怖くなかった」ということが言われていた。
将来のことはどんなに聡明な人にもわからないのです。
むしろ、知識をたくさん持っている人の方が、できない理由を数え上げることができる分だけ、不利かもしれない。
新しいものを生み出すには、試行錯誤して、悩んで、また試行錯誤していくと茨道しかないわけです。
国を変えるとか世界にインパクトをとかという大きな話もけっこうですが、毎晩寝る前に、「明日は今日よりもよい一日にしよう」とつぶやくだけでも、ずいぶん人生変わっていくに違いありません。
ちなみに、カンファレンスの夜であれば、要求されれば、その場で全財産をシリコンバレー神に、お布施として差し出していたかもしれない。
夜。ダウンタウンのおしゃれなレストラン・バーにて、懇親会。
逆カンファレンスなるものを企画していて、私たちから発表したいことがあれば伝えるという企画だった。
たしか「やります！」と手を挙げていたので、やる。しかも、手書きスライド（昨晩夜の２時までかけて作成）で。
会場が２つに別れていたので、全員に見てもらえたわけではないが、面白おかしく、でも本気でやりたいと思っていることを話すことができた。
懇親会では、いろんな方と話して、コンセプチュアルなところではなく、プラクティカルな話ができたのがよかった。「来たいのか」という問いにはもう答えたので、あとはＶＩＳＡとか金とかそういう話のことである。ＶＩＳＡが大変に大変だということを聞く。お金はある程度（単身なら100-200万くらい、家族がいるなら300-500万くらい）あれば、留学であってもなんとかなる。なるほどとメモっておいた。
渡辺千賀さんがアメリカでの生活のことを「ＲＰＧのようだ」とおっしゃっていたが、全くその通りだと、ぼくはぽんと膝を打った。お金とレベルは待ちの外へでてモンスターを倒しつづければなんとかなる。城へ入るための鍵は、キーパーソンから話を聞いたり、洞窟の中に入っていったり、中ボスを倒したりすれば得られるのである。こなすだけである。さあ、プロセスを楽しもう。
夜、そういえばほとんど食事をしていなかったことに気づいて、近くのスーパーへ買い出しに。みんなのぶんのビールやスナックを買い、晩ご飯にはレンジで調理できるラザニアを買った。
このあと朝の５時まで、くぼけーさんと話しこんだ。くぼけーさんの話があまりに面白いので、つい調子に乗って、いろんな事を質問し、またぼくからも話した。みんなが寝静まったあとでも、彼はつきあってくれた。
その会話は、いま思い出して喩えるなら「暗闇のキャッチボール」という感じだった。
初対面の彼と言葉を交わしてあい、ボールは互いの間を行き来するのだが、ぼくの側に近づいてきたボールだけが目に見えて、相手は遠く暗闇の中。神経を集中させて相手の位置を推測し投げる。正しく測定できたときには彼の元に届く。計算が狂うとボールはどこにもたどり着かない。
いつまでたっても彼の”顔”は見えないわけだが、ボールの投げ方やタイミングなどはだんだんつかんでくる。つかみはじめると、リズムよく話が進む。それが心地よい。だから、彼といつまでも会話をしていたかった。
肉体的な限界を迎えて、５時にベッドに寝てしまうのだが、彼は「いつもベッドで寝ないから」と言って、そのままソファで休みを取った。
２時間くらいの睡眠のあとで、起きた。くぼけーさんをCalTrainまで送ろうと思ったが、彼は「歩いていくからいいですよ」と言った。
1マイル少し。約２キロ弱。徹夜明けの朝で、つい人に頼って車に乗ることもできただろうに歩いていくとは、とことん精神力のある人であった。
舌を巻くばかりだ。
3/22
ほとんど寝ていないので、地続きの話になるが、今日は朝の９時から、なんと渡辺千賀さんのご自宅にて、ブランチの予定。
ドライバーとして人様を乗せて運ぶ責任を負っているので少し不安に思ったが、さいわい宿泊しているホテルから近く、フリーウェイを使わずに行くことができたので一安心。
車の数より人の数の方が多かったので、果敢に２往復させていただきました。
千賀さんの家は、緑豊かな山の麓といったところにあって、閑静でとても美しい住宅地の中にありました。
リビングを囲む窓は２方向に広く開いており、遠く向かいの家や山や空の様子を楽しむことができます。
シックな家具と、快適なソファ。
無駄のないレイアウト、アジアン・テイストの家具、そして、風景。
モダン・インテリアの雑誌から飛び出したような世界にきゅん。
参加者は、はじめは遠慮がちにコーヒーを飲んだりドーナツをかじったりしていたが、千賀さん以外にもＪＴＰＡスタッフの方たちも到着するに従い、クラスタができはじめて、６−７人で固まって話をするようになった。
ぼくはといえば、もはや情報の多さと刺激の強さにすっかりまいっていて、ただぼーっとソファに座って、美しい初春のシリコンバレーの自然をながめていた。
脇さんも隣にいて、彼もやはり、インプット過多に食傷気味のご様子であった。
ゆるくチャットした。
庭田さんとプリンストンから来られていた日系企業駐在員の人とも話す。
たわいもない日米比較論などしたわけだが、日本の満員電車の話をしたことだけははっきり覚えている。
繰り返すが、このシリコンバレーの山間の美しい邸宅で朝のブランチを過ごしているのだ（しかもほぼ徹夜明け）。
その状況で、午前八時の新宿駅を品川駅を思い出す。
暗いスーツに身をまとった陰鬱な顔の集合体が無言で早足で行き交い、3m*4m*20mの鉄の箱に身体を押し込んで擦り寄せあって、でも、目だけは合わせないようにしている。もちろん、自分もそこに含まれている。
ああ、帰りたくない。
１２時を過ぎて、ホテルに戻る。
カリフォルニアの空は青かったが、ぼくの顔も同じくらい青かったかもしれない。
１４時までは空きなので、昼寝などした。
RockYouでは、広く開放的なオフィスを見たあと、会議室で石塚さんとおしゃべり。
面白かったのは、
1. マーケットドリブンかつ数字による戦略決定を徹底していることなど
2. 必要なこと以外はやらずに、さくっとアウトソーシング
詳しい話は、同じセッションに参加されたntakuさん（http://d.hatena.ne.jp/ntaku/20090324/1237868953）に詳しいです。
2について。カンファレンスでも話が出たが、たとえば人事系はその道のプロフェッショナルと契約してやってもらうとか、引っ越しの時のオフィスの決定も不動産プロフェッショナルにいくつか提案してもらって、最後に決めるとか。
自分の前職の会社では、オフィス移転について、経営陣だの役員だのが新宿の本社に集結してえんえんと議論して、ただでさえ給料の高い御仁たちが横浜へ千葉へと繰り出してはオフィスを見て、また戻って侃々諤々の議論をしていたことを思い出したので、印象に残っていた。
人事についても同様だな。
えらい人が、本業よりも余計なことに力に注いでいる会社はもう終わってますよ、気をつけて！
cf: http://www.soubunshu.com/article/113722498.html
FutureArchitectの人たちが写真を撮っていたが、まだもらっていない。欲しい。
続いて、同じセッションに参加したみんなとDennyった。
ハワイから来ている院生の方がおられて、話すとやはり面白い。ネットワーク大切。
ここで稲川氏から電話が入って、なにやらすごい人とコンタクトが取れたので、あなたもぜひ来なさいと誘ってくれた。
これは面白い展開。車に駆け込み、Ｇｏ．
着いた先は、閑静な住宅街にある一軒家で、そこは、曽我弘さんのお宅。
曽我弘さんについては、JTPAで行われたインタビュー記事（http://www.jtpa.org/sv_info/interview/000031.html）がよい。
略歴を紹介させていただくと、
1935年生まれ。新日鐵にて長く勤められた後、55歳にて渡米を決意。起業を画策するが、扱う製品の権利関係などで新日鐵や日本メーカーとのやりとりの中で立ち消えになる。曽我さんはそこで諦めることなく、1996年61歳の時に、DVDオーサリング機器という当時の先端を行く技術でビジネスをはじめる。Disneyなどの大手コンテンツプロバイダ（DVDを作って売る人たち）をクライアントに持つようになり、後に、Steve Jobsと直接交渉の末、Appleに売却することになる。その後も起業を繰り返されていて、着メロの会社やＤＮＡ解析機を扱う会社などを起こす。いずれもすでに事業はたたんでいるが、さらに今年に入って、次の新しい会社をはじめられている
というものすごい方なのである。
光の気持ちよく差し込むリビングにおじゃまして、腰を下ろす。
稲川氏・西塔氏は先に来ていて、もう話をいろいろ聞いていたようだ。
曽我さんは、日本のサラリーマン時代から、シリコンバレーでの起業までの経験をつぶさに話していただいた。
途中将棋の話が出て、ちょうど梅田さんの新しい本もでることだし面白いのであいまいな記憶ながら引用しておくと、
将棋の名人のように、何歩も先の読める人の場合、「あ、自分はもう負ける」と気づいてしまい、そこで勝負を投げ出すことがある。
しかし、ぼくは、そこでは投げ出さない。
王が実際に相手の手に渡るまでは王手ではないのだから。
それに、相手とて、どこか一手でもポカをやらかすかもしれない。
何が起こるのかわからないときは、何かが起こるまであきらめない。
ただし、
負け戦とわかったときに、それに固執するばかりが能ではない。
あ、負けだとわかったときには、先に（事業を）たたむことも大切。
手を引く潮時を逃さないこと
という話も同時に受ける。
また、曽我さんは昨年までバイオ・ベンチャーのサポートをされていたそうで、大量のバイオ系の文献を読んでいらしたそう。
ＤＮＡなどの話を織り交ぜて、若きぼくらにこんなことを伝えてくれました。
1. 人間はちょっとやそっとでは死なない。そして、死なない限りは、チャレンジするチャンスがあるわけだから、何度でも本気でチャレンジすればよい
2. 常に新しいことをはじめて、ちゃんと頭を使うこと。そして、それを楽しみ、快感に思えること
3. 人間には、自分の知らない、誰ともちがうその人固有のすばらしい能力がある。それはＤＮＡが語っている。その能力を信じて、自分に自信を持つこと
最後に、ぼくがもっとも気に入った言葉がひとつ。
「人間は自分で自分（の人生）を決められる。これはすごいだよ」
夕方の６時半。日の長いシリコンバレーの太陽が傾きはじめた頃まで、胸を熱くしながら、曽我さんの話に浸っていました。
ホテルに戻って、ちょっと頭のクールダウン。
他の人もさそって夕食をと思ってtweetしてみたが、リプライがないので、稲川氏・西塔氏とサン・フランシスコまでお食事に行くことにした。
昼にRockYouに行ったときに、石塚さんがおすすめのお店を教えてくれていて、その中から、中華の「Yuet Lee」をピックアップ。ついで、バークレーにお住まいの小泉さんご夫妻にもまざってもらう。
ジャッキー・チェンとかヒデキ・マツイの写真が飾られているのが若干気になる中、運転は稲川氏にまかせたと青島ビールをむさぼりながら、シリコンバレーで見聞きしていることの感動をぺちゃくちゃする。
小泉さんは、この日のブログでかかれているように、13歳で起業したAnshul少年の会社、というか自宅を訪問してきたらしい。
彼はアメリカのメディアにもひっぱりだこな中、そう簡単に会うことはできないそうだが、そこをご自宅まで行ってたというそれはすばらしい人である。
しかも、絵柄に注文つけているし。そういえば、「萌え」について教えてきたと言っていたなあ。
夜の１１時過ぎにホテルに帰宅。
やらなくてはいけないことをこなす。
- 自分たちの部屋に集まってもらって、ホテル代の精算などする
- 洗濯する。乾燥する。取りに行く
- ビール飲む
- はるばる日本からやってきたバグ報告を読み、デバッグ作業＋メールで状況報告
- 妻にもメール
午前３時、はいもう限界。
3/23
だいたいこの頃から、もうぼくはシリコンバレーでは十分すぎるくらい刺激的な経験をしたし、驚くことなどなにもないと思っていた。
今日の予定は、Google, Dropbox, Entrepreneursパーティーの３本立て。
ちなみに、WBCの話はちらほら聞いていたが、なにがどうなっているのかよくわからなかった。韓国と日本がすごいことになっているらしいと言うことは知っていたが。
今日の夜のパーティは、そもそも「韓国系起業家グループと茶話会」みたいなノリだったので、WBCの話とかするんじゃないということを言っていたが、結果的にはそんな話は１秒たりともしなかった。それに、韓国系の人っていなかった気がする&#8230;
それはともかく、朝10時にGoogle到着。
cf: http://d.hatena.ne.jp/syou6162/200903
キャンパスに入るなり、いきなりWifi接続できる。しかもその接続ポイントの数がはんぱない。Wifiのシャワーですよ、シャワー。
待ち合わせまで30-40分くらい前に来てしまったので、ガーデンなどを眺めながら時間をつぶしていたのだが、
エリック・シュミットや辻野さんの息子さんがいた。
UbuntuをカスタマイズしたらしいOSがあったので、みんな自分のブログとかを表示して写真を撮るなどして遊んでいた。
ご飯。
トイレ。
オンサイト・ストア。
世間話。
その後サンフランシスコへ。
車を止めて、ユニオンスクエアでひなたぼっこ。羽休め。
そういえば、ぼーっとするのが大好きだったことなど思い出す。
全然関係ないが、大学時代に大学にいかずに裏山にのぼって（思ったよりは高い）、大学のある街を眺めていたことがあったことを思い出した。
というか、今回の参加者に大学生が多いので、彼らと同じ年齢の頃の自分が何をしていたのか、つい考えてしまう。
あのときも今も、ぼーとしているときというのは何も考えていない。
あとから考えていたようなふりをすることはあっても。
ドロップボックス参戦。
CEOもエンジニアでみんな年が近くて、ほんとロックバンドのように、会社をやっているというのはいい。
Dropbox rocks.
その後、前田さん、熊谷さんとカフェでお話。
アメリカで働きたいと言っていたら、非常に賛同してくれて、なにかと面倒を見ていただいた。
ありがたい。
その後、起業家パーティー。
まあ、その控えめに言って、脳天にいかずちですわ。
戻っても、興奮冷めやらず、飲んで話して、へへへへへ。
今日帰国する稲川氏とは、朝の５時まで話しました。また朝焼けですね。
いやあ、世界はワンダフルに満ちているですね。
3/24
10時に起きて、部屋の移動をして、再度寝直す。
同じ部屋にいたmootohさんがMacBook Airから流していたあのヒップでクールなナンバーたちがなぜか今も耳に残っている。
14時くらいに目を覚ました。西塔氏がいたので、アポなしなんて関係ないよと誘って、IDEOへ。
IDEO楽しかった。
何が楽しいってもう&#8230;
小泉さん、岡さんも乗せて、サン・フランシスコへ。
メソッドカードなるものを手に入れようとしたけど、住所間違いで、本屋にたどり着けずにタイムアップ。
中華街に移動し、車をちょんと止めて、となりのリトル・イタリーへ。
小泉さんのご家族とカニを食べるおじゃまをさせていただくのだ＠グレートイースタン。
いや、うまかったですよ、まじで。
その後はＳＦバージンなぼくのわがままで、夜のＳＦ観光。
フィッシャーマンズワーフ、Rombert Street、ツインピークで夜景。
ロマンチックですが、男二人です。
あ、男二人といえば、路面電車を待つ停車場で見つめ合い口づけ合うマッチョな二人を見かけた。
彼らには、「世間の目を忍ぶ」といった概念はないのだろうか。
ツインピークからＳＦの街並みを眺めていると、
「いずれこの街はぼくのものにしてやるぞ」
というあほなことを考えるのだが、まあ、ここにいつかというかすぐにでも来たいと思っていることは確実なので、
照れることなく、言っておこう。
サン・フランシスコをいつか手に入れるよ。
こうして３日連続でサンフランシスコまで出てきたわけだが距離にすると80キロとかあるので、なかなかいいドライブではある。
帰りに、西塔氏と音楽の話をした。
Roberta Flack &#38; [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/263998307_8c78bad2fc_o.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-316" title="263998307_8c78bad2fc_o" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/263998307_8c78bad2fc_o.jpg" alt="263998307_8c78bad2fc_o" width="560" height="420" /></a></h2>
<p>このエントリは、シリコンバレー滞在中や帰国後すぐに書いた旅行記です。ほとんど整理していません。<br />
また、固有名詞がそのまま出ていますが、実際の人物や団体、出来事に関係がないとは言えません。</p>
<h2>3/19</h2>
<p>成田。逆カンファレンスのスライドに使用するための画用紙と筆を買う。そばを食べる。<br />
夕方の空がきれいだった。６時過ぎにＳＦに向けて離陸。</p>
<p>SF。<br />
入国審査では、MoutainViewに観光に来たと行ったら怪訝な顔をされた。「オフィスを見学」に来たといいなおす。<br />
森伊蔵を持っている人を大量に発見。前にいる人に尋ねてみると、ＪＡＬだけで買えるらしい。</p>
<p>荷物を拾って、外に出ると、すぐに須賀さんを発見。スーパーチープレンタカーに電話をして、迎えに来てもらう。<br />
車をゲット。<br />
スーパーチープレンタカーの親父曰く、今週あたりはＳＦの「ゴールデンウィーク（もっともいい季候の時）」なのだそうである。車は古めのカローラ。</p>
<p>おなかがすいたので、IN&#8217;N'OUTに入って、ハンバーガーにかぶりつく。アメリカ入国の儀式のようなものだ。</p>
<p><span id="more-284"></span>今日はじめの予定は、PARC。住所を控えていなかったので、とりあえずな気持ちで、Palo Altoへ。<br />
３０分くらいで、ダウンタウンに着いた。<br />
PARCの場所はわからなかったが、適当に車を止めた向かいにあるカフェからFree Wifiを拾うことができたので、iPhoneでメールをチェックして、住所をゲット。<br />
ナビに入れて、到着。<br />
時間ぎりぎり。</p>
<p>PARCでは、まずジョン・ナイツ博士が研究所の概要についてプレゼンをしてくれた。<br />
簡単な質疑応答に入る。ナイツ氏は、イングランド出身で、シリコンバレーでは「外国人」。その他各国から才能ある人たちが集まっていることが魅力であると話してくれる。</p>
<p>曰く、多様な文化が、イノベーションを形作る、と。</p>
<p>あとは研究所ツアー。<br />
透明なガラスの壁の部屋に仕切られている。だいたいドアは開いている。自分のスペースを保ちつつ、コミュニケーションを阻害しないよう、という感じか。<br />
オフィスは意外と空きもあり、「前はスタートアップ起業のオフィスとして使っていた」と。<br />
場所を貸すだけでなく、人的交流も行っていているとのこと。</p>
<p>屋上に出て、太陽光発電の設備を見るなどする。広大な草原のなかに、ポツポツと建物が見えて、あそこに見えるのが、VMWareだよなんて言われると不思議な気分になる。<br />
建物の正面で写真を撮って、終了。</p>
<p>その後、その場でadobeのイベントへの参加を表明。<br />
車で、San Joseへ。</p>
<p>夕方になる。<br />
San Joseダウンタウンの真ん中に高いビルがあり、そこがAdobe本社。<br />
ビル内パーキングとかの都会っぷりに驚く。入り口にPs, Aiなどのロゴがいっぱいあってかわいい。</p>
<p>社員用カフェに入れていただき、羽田さんらにアテンドしてもらう。彼らがAdobeで働くようになった経緯とかどんな社風か聞く。就活のＯＢ訪問のようなものだ。</p>
<p>あとは、ToastMasters。いわば、プレゼン用スピーチの練習クラブ。<br />
羽田さんがメンバで参加されていて、日・英の両方でスピーチをやる。<br />
テキストがあって、毎週課題に沿ったスピーチをしているようだ。<br />
たとえば、「リサーチした内容を伝える」とかね。あと、オーディエンスはただだまっているわけではなくて、タイマー（時間測定者）、グラマリアン（文法家）、チーフレビューア、Ahカウンター（あーとか、えーとの回数を数える人）がいる。お互いにちゃんとスピーチのいいところ、改善すべきところを指摘しあう。<br />
年齢層も広く、GEエンジニアをリタイアされた方から、スタートアップでばりばりプログラムされている方、あるいは日本企業の駐在員まで、いろんな方がいる。<br />
最後に参加したぼくらも自己紹介。<br />
日英どちらでもいいと言われたので、英語で参加させていただいた御礼とプレゼンのGoodTipsを得ることができたと言ってみた。<br />
ほかのメンバも、一生懸命英語で話している人がいて、どんどんチャレンジすることはすばらしいと思う。<br />
当初から参加表明していたメンバは夜のAdobeオフィスツアーに繰り出していったが、ぼくは部屋にとどまって、同じく残っていた人たちと話していた。</p>
<p>夜10:30終了。川口さん、玉澤さん、須賀さんを乗せて、MoutainViewへ。</p>
<p>ガスがないので、ＧＳに寄る。ガソリンを入れるとき、日本のクレジットカードだと、ZIPコードが入れられないので、面倒だが、窓口へ行き、先にお金を払っておく。<br />
すると給油できるようになる。<br />
終えると、もう一度窓口にいって、おつりを返してもらう。<br />
SJといえど、夜のダウンタウンのガソリンスタンドは若干こわい。</p>
<p>みんなで遅くまで空いているレストランに行こうと約束していた。<br />
しかし、着いてみると、もうClosed。<br />
他の人もいない。あきらめて、ほかのレストランを探すが、この地にそんなものはない。TacoBellですらしまっている。<br />
スーパを探したが、地理がわからないので、断念。<br />
晩ご飯はあきらめて、一度ホテルへ。<br />
チェックインしたのが夜の12時。<br />
カウンターの脇のスナックコーナで適当にお菓子などを買って、食って、寝る。<br />
西塔さんが、やはり夜１２時にふらりと一人で荷物を引きずってきたのを見つけたときにはびびった。<br />
この時間に駅から歩いてきたのだろうか。がっつがありすぎる。</p>
<h2>3/20</h2>
<p>朝７時くらいに起きた。<br />
ホテルで朝ご飯。ビュッフェ形式。<br />
Coolirisというブラウザ拡張やっている会社に行くため、９時にスタンフォード近くのスターバックスで誘ってくれた前田さんや他のメンバーに会う。<br />
自己紹介、世間話などして、向かいのビルへ。</p>
<p>ほんとにスタンフォードの真横にオフィスがある。<br />
背の高い男の子が迎えてくれる。<br />
彼は予定を忘れていたようで、しかも大事な用事があるので、１時間後に出直してくれということになった。<br />
もう一度スターバックスへ戻る。<br />
シリコンバレーでのＶＣとスタートアップとExitパターンと今の流行の分野などの話を聞く。<br />
再度訪問。<br />
彼とマリアという女の子がアテンドしてくれて、Coolirisのこと、これからやろうとしていることを聞く。<br />
英語が若干聞き取りにくかった。</p>
<p>彼らが日本に出てくるときには、なにかしらお手伝いができるよということを言って、１１時半くらいに先に出た。<br />
日本のあるメディアにいる人と彼らと、「人をつなぐ」ことしかできないけど、それでも力になれたらお互いにとっていいだろうと思った。</p>
<p>次に１２時から20-30キロ離れたサンマテオというところで、海部美知さんのセッションがある。<br />
時間ぎりぎりだ。ちゃんとナビを設定して行く。道はすいている。</p>
<p>会場は大きなスポーツクラブ。<br />
駐車場には桜が咲いていた。<br />
中にはいるとエクササイズしている人がたくさん。<br />
奥にレストランコーナーがあり、サラダを買う。<br />
一緒に参加するnori3さんやyaottiさんと挨拶。</p>
<p>会議室に入る。<br />
海部さんは気さくな感じの人で、話し方が元気にあふれていてとても魅力的。<br />
ぼくらのセッションでは、社会人が多く、自己紹介の話でそれぞれやっていることが面白くて、そこから次々と話が派生した。</p>
<p>「シリコンバレーで日本人が起業することの強みはあるだろうか」と質問したら、海部さん曰く「日本にこだわって、ビジネスをする必要は全くないし、むしろこだわらないほうがいい。<br />
ただ言語にせよ文化的背景にせよ真向いに戦うのはやはりハード。<br />
日本企業から資金調達することや、日本企業から買収されることをねらうなど、”使えるものは使う”という姿勢がいいのでは」。</p>
<p>それは、ぼく自身個人としてアメリカで生活するときの立ち位置に応用できそうだと思った。<br />
つまり、日本人であることをことさら強調することもなく、アメリカ社会に入っていきながら、やはりちゃんと日本人コミュニティと関わって助け合うこともする。<br />
「つかず離れず」という感じだろうか。<br />
あと、カリフォルニアの財政状況のひどさと学校取り壊しという驚くべき話も聞いて驚いた。</p>
<p>海部さんのセッションも１３時半くらいで中座する。</p>
<p>次は、また南へ戻って、Infinity Loop 1, Cupercinoへ。<br />
Apple本社だ。少し迷って、正門ビルに近い駐車場に止める。<br />
小島さん、藤澤さんが待っていてくれた。<br />
バッジをもらって、中に入る。きれいな芝生、きれいなビル。<br />
「MacBookはGreenにやさしい」と書いた垂れ幕が大きく下がっている。<br />
他の人たちは、小島さんとフランスから来ているインターン生を囲んで、すでに話をしていた模様。<br />
合流するなり少しだけインターン生と話す。</p>
<p>「ここに来て興奮している」というと、「誰もが（Apple Headquater内の）この光景を見られるわけではない」という言葉が。<br />
彼自身が黒人であったこともあり、ことさら言葉の重みを感じてしまった。<br />
テラス席で20分ほど小島さんを囲んで談笑。<br />
Appleという魅力的な会社の秘密に近づこう(笑)と思ったが、組織・仕組みは特別ではないという答え。<br />
でも、Appleの製品を本当に誇りに思っている優秀でかつ情熱的な個人が集まっているのだ、といったことは伺えた。</p>
<p>会社ではなく個人に重きを置く考えが徹底されている。<br />
Apple社だけではない、アメリカの企業の場合、就職するというのは、「会社に属す」ことではなく、「会社のあるポジションに身を置く」ことである。<br />
個人と会社の、対等な契約関係の上で、互いのニーズがマッチしたときに雇用が発生するのである。<br />
だから、経営方針が変わって仕事がなくなった場合には、部門ごと切ってしまうことができるのだ（とはいえ、それも当然限度はあるし、アメリカの会社とてわけもなく人をきれるわけではない。裁判沙汰になることもしばしば）。</p>
<p>あとで、CompanyStoreに寄ってもらう。<br />
AppleロゴのTシャツを自分用と奥様用に、ペアで買う。<br />
小島さんのおかげで社員割引された。</p>
<p>さて、解散したところで、突然「JTPAの人ですか」と日本語で声をかけられた。<br />
話してみると、日米中でグラフィックデザイナーをしているSunnyさんという人(www.gooood.jp)らしい。<br />
参加メンバーの稲川くんのことを知っていた。<br />
いきなり道ばたでこういう人に会うことにびっくり。<br />
しかもその場にいた上間さんは大学院生だが、Sunnyさんと一緒にいた人が来年から、上間さんと同じ大学院に行き、後輩となると聞いて、またびっくり。<br />
まあ、偶然ってすばらしい。</p>
<p>夕方の気持ちよいドライブをしながら、MoutainViewへ帰る。<br />
上間さんは沖縄出身で、沖縄にこもってしまうことよりも外に出て行くことを選んだというような話をする。<br />
いつか観光じゃなくて、学問をしにあるいは仕事をしに、シリコンバレーに来たいねと話す。<br />
この後もみんなと何度もこんなことを話すのだが。</p>
<p>部屋に戻ると、西塔さんがいたので、彼も合流して、近くのスーパーへ行くことに。<br />
今夜あたりぼくらの部屋で人を集めてちょっと飲もうよと言って、そのためのビールやスナックの調達に行くことにしたのだ。<br />
Trader Joe&#8217;sというちょっといいスーパーで、サラダやワインを買い、Walmartでトルティーヤチップスやビールを買った。<br />
同じモールにはDaisoが入っていてびっくりした。</p>
<p>そのあとは、東洋経済の佐々木さんを囲んでお食事会＠スタンフォード近くの中華料理屋さん。<br />
自己紹介のあと、日本のこと、スタンフォードのことなど聞く。マスコミの話もする。<br />
参加したメンバは、みんな梅田望夫さんのセッションに出ていたので、梅田さんの話もする。<br />
彼はブログ＋本の執筆によって、ぼくたちをシリコンバレーへと駆り立ててくれた人ではあるが、本は売れても、まだまだ影響力は小さい。<br />
というか、日本の若者たちで今回参加したメンバのように、スーツケースを引っ張り出して飛行機に飛び乗ったのは、彼の読者のなかでもやはりほんの一部で、日本にこもったりする傾向が全体としては強いのではないだろうか。<br />
梅田さんはもしかしたら絶望しているかもしれないという話もする。（梅田さんのセッションについてはぼくは出ていないのでなんともいえないが、リンクによると、反響はそれぞれという感じだ）</p>
<p>後半、カヤックの方たちや前田さんも混じって、大きなテーブルになる。</p>
<p>ホテルに戻ると、９時過ぎか。<br />
メールをさばき、ビールを飲む。</p>
<p>たくさん人が集まってきて、ビールで乾杯。<br />
大人数でがやがやと話した。<br />
関西組の人たちにも自己紹介。</p>
<p>みんなが引いたあと、メールを書いたりで、結局夜の２時に寝る。</p>
<h2>3/21</h2>
<p>今日はシリコンバレーカンファレンス本番。<br />
朝７時に起きて、飯を食べる暇もなく、７時半にロビーに集合して、人を乗せてさあSan Jose State University。<br />
車を止めると、参加者らしい日本人がわらわらといる。<br />
受付をすませて、ネームタグをもらい、適当に席に座る。</p>
<p>まず、梅田さんの話。<br />
表情に精彩がなくびっくりした。<br />
写真でしか見たことはなかったが。<br />
そういえば、他の人から「倒れたらしい」という噂は聞いていた。<br />
話はとても面白い、「時代の力と自分の力」。<br />
しかし、自分が梅田さんに期待していた声とはまったく違う言葉を聞くことになるとは思わなかった。<br />
「がむしゃらに、なにはなくとも、こっちのほうが面白いからおいでよ」という強いメッセージを勝手に期待していたわけであるが、出てきたのは、時代の力が弱まっているからこそ個人の力を伸ばしていこうよ、という話。</p>
<p>あとで何度もブログにアップされた原稿を読み、昨年度の分も読んだのだが、でも、まだ腑に落ちない。<br />
感覚が違うというのだろうか。<br />
時代の力は、いまこそ強い。個人の力の上に、どんを押しかかっている、そんな印象をぼくは持っている。</p>
<p>村上春樹の壁と卵の話を聞いたからだろうか、時代の力＝壁であり、みんなそろって、壁に荷担しようとしている気がする。<br />
だからこそ、ぼくは無謀にもＮＴＴを辞めて、アメリカに渡りたい（今はその準備を東京でやっている）と思ったわけだ。<br />
時代の力に、抗ってやるという意志ばかりが出てくるのだ。</p>
<p>ちなみに、梅田さんの講演のあと、すっと手をあげて、「反時代の力」の質問をしたのは私でした。<br />
あのときは、自分が抗っているものこそが時代の力でそれに乗っかるようにとか、弱まっているとおっしゃるとは何事そ、と思っていたので、いきなり梅田さんにぶつけてしまった。<br />
梅田さんからは、「個人のそういう思いもきっとなにかにつながる」といったような回答をもらった。</p>
<p>講演は、その後大澤氏、金島氏とつづく。<br />
大澤さんの話は、シリコンバレーのＶＣをめぐる話（ご自身の経験も含めて）から、起業家精神の話まで。起業家にとって、成功とは失敗をマネージすることであり、諦めないかぎり、何度失敗しても成功の門は閉ざされないのだという話がとても印象的だった。</p>
<p>金島先生の話。<br />
* turning-pointが何度もあった<br />
* シリコンバレーでのキャリアアップには、「ひとつの専門性をとことん突き詰めるか、複数の専門性にまたがるか」の道がある<br />
* ひとつの会社ではなくその業界に就職しているというような、プロ野球選手のような意識<br />
* 楽観性って意識しないと持てないよ！<br />
* 様々なスキルを有する人とのコネクションを広げて夢を達成できる機会を最大限に増やしておくこと、<br />
* グローバルで通用する人となって、これからの日本を負って立つくらいの気概を持つこと<br />
* 自分の仕事が明確で、自分を鍛えかつ自分の成果の見えやすい小さな組織で働くこと<br />
そして、最後に、今の日本を引っ張っている政治家や経営者たちの中に、本当に５０年後１００年後の日本を考えて、真剣になにかをやろうとしている人なんていないと言われて、ぐっと涙が出そうになった。<br />
なぜかはわからないが、上の世代は上の世代が見えている範囲しか世話をしてくれないのだから、自分たちが自分たちの将来を引き受けなければいけない。と胸を熱くした。<br />
午後の時間は、パネルディスカッション。<br />
詳しい話は、＜深海さんのブログ＞にて。</p>
<p>ぼくと同じＩＣＵ出身の大先輩雨宮健先生にお目にかかれて興奮した。<br />
昼になって、人混みをさけて、一人遠くへランチに行くと、mootohさんを発見してしまったので、ご一緒する。<br />
もうこの時点で、何にせよぼくはこちらに来なくてはいけないという気持ちになっていた。<br />
mootohさんも本気でそう思っていたようだ。</p>
<p>最後のセッションは、海部美知さんと渡辺千賀さんの対談。<br />
ＪＴＰＡはカルト集団で、ＳＶＣはイニシエーション（通過儀礼）だと暴露される。なるほど、その通りかもしれないなあ。<br />
こちらに来てからというもの、多くの人は何度も何度も同じ問いを自問し続けたはずだ。</p>
<p>「シリコンバレーでチャレンジしてみたいか？」</p>
<p>人と会ったりオフィスを訪問したり、仲間と話したり、あるいは一人で内省しながら、それぞれがそれぞれの答えを探すために時間を費やしたはずだ。<br />
Wikipediaでは、イニシエーションの定義として、歴史家エリアーデの「&#8221;a basic change in existential condition,&#8221; which liberates man from profane time and history（今まで自分が染まってきた世間的な知識や時間の枠組みを乗り越える&#8221;自分自身の根本的な変化&#8221;）」という言葉をあげている。<br />
神の存在に気づいたとか、第３の目が開いたという話ではないにしろ、日本にとどまっていてはけして得ることのできない世界を目の当たりにして、そこに入るか退くかの選択を自分を決定するという体験は、答えがYesになるにせよNoになるにせよ、やはり本人の考え方に大きなインパクトを与えるもので、イニシエーションに近いなあと思った。</p>
<p>お二人の話でも、「恐怖心は出てくるが、やってみたら怖くなかった」ということが言われていた。<br />
将来のことはどんなに聡明な人にもわからないのです。<br />
むしろ、知識をたくさん持っている人の方が、できない理由を数え上げることができる分だけ、不利かもしれない。<br />
新しいものを生み出すには、試行錯誤して、悩んで、また試行錯誤していくと茨道しかないわけです。<br />
国を変えるとか世界にインパクトをとかという大きな話もけっこうですが、毎晩寝る前に、「明日は今日よりもよい一日にしよう」とつぶやくだけでも、ずいぶん人生変わっていくに違いありません。</p>
<p>ちなみに、カンファレンスの夜であれば、要求されれば、その場で全財産をシリコンバレー神に、お布施として差し出していたかもしれない。</p>
<p>夜。ダウンタウンのおしゃれなレストラン・バーにて、懇親会。<br />
逆カンファレンスなるものを企画していて、私たちから発表したいことがあれば伝えるという企画だった。<br />
たしか「やります！」と手を挙げていたので、やる。しかも、手書きスライド（昨晩夜の２時までかけて作成）で。<br />
会場が２つに別れていたので、全員に見てもらえたわけではないが、面白おかしく、でも本気でやりたいと思っていることを話すことができた。</p>
<p>懇親会では、いろんな方と話して、コンセプチュアルなところではなく、プラクティカルな話ができたのがよかった。「来たいのか」という問いにはもう答えたので、あとはＶＩＳＡとか金とかそういう話のことである。ＶＩＳＡが大変に大変だということを聞く。お金はある程度（単身なら100-200万くらい、家族がいるなら300-500万くらい）あれば、留学であってもなんとかなる。なるほどとメモっておいた。</p>
<p>渡辺千賀さんがアメリカでの生活のことを「ＲＰＧのようだ」とおっしゃっていたが、全くその通りだと、ぼくはぽんと膝を打った。お金とレベルは待ちの外へでてモンスターを倒しつづければなんとかなる。城へ入るための鍵は、キーパーソンから話を聞いたり、洞窟の中に入っていったり、中ボスを倒したりすれば得られるのである。こなすだけである。さあ、プロセスを楽しもう。</p>
<p>夜、そういえばほとんど食事をしていなかったことに気づいて、近くのスーパーへ買い出しに。みんなのぶんのビールやスナックを買い、晩ご飯にはレンジで調理できるラザニアを買った。</p>
<p>このあと朝の５時まで、くぼけーさんと話しこんだ。くぼけーさんの話があまりに面白いので、つい調子に乗って、いろんな事を質問し、またぼくからも話した。みんなが寝静まったあとでも、彼はつきあってくれた。<br />
その会話は、いま思い出して喩えるなら「暗闇のキャッチボール」という感じだった。<br />
初対面の彼と言葉を交わしてあい、ボールは互いの間を行き来するのだが、ぼくの側に近づいてきたボールだけが目に見えて、相手は遠く暗闇の中。神経を集中させて相手の位置を推測し投げる。正しく測定できたときには彼の元に届く。計算が狂うとボールはどこにもたどり着かない。<br />
いつまでたっても彼の”顔”は見えないわけだが、ボールの投げ方やタイミングなどはだんだんつかんでくる。つかみはじめると、リズムよく話が進む。それが心地よい。だから、彼といつまでも会話をしていたかった。<br />
肉体的な限界を迎えて、５時にベッドに寝てしまうのだが、彼は「いつもベッドで寝ないから」と言って、そのままソファで休みを取った。<br />
２時間くらいの睡眠のあとで、起きた。くぼけーさんをCalTrainまで送ろうと思ったが、彼は「歩いていくからいいですよ」と言った。<br />
1マイル少し。約２キロ弱。徹夜明けの朝で、つい人に頼って車に乗ることもできただろうに歩いていくとは、とことん精神力のある人であった。</p>
<p>舌を巻くばかりだ。</p>
<h2>3/22</h2>
<p>ほとんど寝ていないので、地続きの話になるが、今日は朝の９時から、なんと渡辺千賀さんのご自宅にて、ブランチの予定。<br />
ドライバーとして人様を乗せて運ぶ責任を負っているので少し不安に思ったが、さいわい宿泊しているホテルから近く、フリーウェイを使わずに行くことができたので一安心。<br />
車の数より人の数の方が多かったので、果敢に２往復させていただきました。<br />
千賀さんの家は、緑豊かな山の麓といったところにあって、閑静でとても美しい住宅地の中にありました。<br />
リビングを囲む窓は２方向に広く開いており、遠く向かいの家や山や空の様子を楽しむことができます。<br />
シックな家具と、快適なソファ。<br />
無駄のないレイアウト、アジアン・テイストの家具、そして、風景。<br />
モダン・インテリアの雑誌から飛び出したような世界にきゅん。</p>
<p>参加者は、はじめは遠慮がちにコーヒーを飲んだりドーナツをかじったりしていたが、千賀さん以外にもＪＴＰＡスタッフの方たちも到着するに従い、クラスタができはじめて、６−７人で固まって話をするようになった。<br />
ぼくはといえば、もはや情報の多さと刺激の強さにすっかりまいっていて、ただぼーっとソファに座って、美しい初春のシリコンバレーの自然をながめていた。<br />
脇さんも隣にいて、彼もやはり、インプット過多に食傷気味のご様子であった。<br />
ゆるくチャットした。<br />
庭田さんとプリンストンから来られていた日系企業駐在員の人とも話す。<br />
たわいもない日米比較論などしたわけだが、日本の満員電車の話をしたことだけははっきり覚えている。</p>
<p>繰り返すが、このシリコンバレーの山間の美しい邸宅で朝のブランチを過ごしているのだ（しかもほぼ徹夜明け）。<br />
その状況で、午前八時の新宿駅を品川駅を思い出す。<br />
暗いスーツに身をまとった陰鬱な顔の集合体が無言で早足で行き交い、3m*4m*20mの鉄の箱に身体を押し込んで擦り寄せあって、でも、目だけは合わせないようにしている。もちろん、自分もそこに含まれている。<br />
ああ、帰りたくない。</p>
<p>１２時を過ぎて、ホテルに戻る。<br />
カリフォルニアの空は青かったが、ぼくの顔も同じくらい青かったかもしれない。<br />
１４時までは空きなので、昼寝などした。</p>
<p>RockYouでは、広く開放的なオフィスを見たあと、会議室で石塚さんとおしゃべり。<br />
面白かったのは、<br />
1. マーケットドリブンかつ数字による戦略決定を徹底していることなど<br />
2. 必要なこと以外はやらずに、さくっとアウトソーシング</p>
<p>詳しい話は、同じセッションに参加されたntakuさん（http://d.hatena.ne.jp/ntaku/20090324/1237868953）に詳しいです。<br />
2について。カンファレンスでも話が出たが、たとえば人事系はその道のプロフェッショナルと契約してやってもらうとか、引っ越しの時のオフィスの決定も不動産プロフェッショナルにいくつか提案してもらって、最後に決めるとか。<br />
自分の前職の会社では、オフィス移転について、経営陣だの役員だのが新宿の本社に集結してえんえんと議論して、ただでさえ給料の高い御仁たちが横浜へ千葉へと繰り出してはオフィスを見て、また戻って侃々諤々の議論をしていたことを思い出したので、印象に残っていた。<br />
人事についても同様だな。<br />
えらい人が、本業よりも余計なことに力に注いでいる会社はもう終わってますよ、気をつけて！<br />
cf: http://www.soubunshu.com/article/113722498.html</p>
<p>FutureArchitectの人たちが写真を撮っていたが、まだもらっていない。欲しい。</p>
<p>続いて、同じセッションに参加したみんなとDennyった。<br />
ハワイから来ている院生の方がおられて、話すとやはり面白い。ネットワーク大切。<br />
ここで稲川氏から電話が入って、なにやらすごい人とコンタクトが取れたので、あなたもぜひ来なさいと誘ってくれた。</p>
<p>これは面白い展開。車に駆け込み、Ｇｏ．<br />
着いた先は、閑静な住宅街にある一軒家で、そこは、曽我弘さんのお宅。</p>
<p>曽我弘さんについては、JTPAで行われたインタビュー記事（http://www.jtpa.org/sv_info/interview/000031.html）がよい。<br />
略歴を紹介させていただくと、</p>
<p>1935年生まれ。新日鐵にて長く勤められた後、55歳にて渡米を決意。起業を画策するが、扱う製品の権利関係などで新日鐵や日本メーカーとのやりとりの中で立ち消えになる。曽我さんはそこで諦めることなく、1996年61歳の時に、DVDオーサリング機器という当時の先端を行く技術でビジネスをはじめる。Disneyなどの大手コンテンツプロバイダ（DVDを作って売る人たち）をクライアントに持つようになり、後に、Steve Jobsと直接交渉の末、Appleに売却することになる。その後も起業を繰り返されていて、着メロの会社やＤＮＡ解析機を扱う会社などを起こす。いずれもすでに事業はたたんでいるが、さらに今年に入って、次の新しい会社をはじめられている</p>
<p>というものすごい方なのである。</p>
<p>光の気持ちよく差し込むリビングにおじゃまして、腰を下ろす。<br />
稲川氏・西塔氏は先に来ていて、もう話をいろいろ聞いていたようだ。</p>
<p>曽我さんは、日本のサラリーマン時代から、シリコンバレーでの起業までの経験をつぶさに話していただいた。<br />
途中将棋の話が出て、ちょうど梅田さんの新しい本もでることだし面白いのであいまいな記憶ながら引用しておくと、</p>
<p>将棋の名人のように、何歩も先の読める人の場合、「あ、自分はもう負ける」と気づいてしまい、そこで勝負を投げ出すことがある。<br />
しかし、ぼくは、そこでは投げ出さない。<br />
王が実際に相手の手に渡るまでは王手ではないのだから。<br />
それに、相手とて、どこか一手でもポカをやらかすかもしれない。<br />
何が起こるのかわからないときは、何かが起こるまであきらめない。</p>
<p>ただし、</p>
<p>負け戦とわかったときに、それに固執するばかりが能ではない。<br />
あ、負けだとわかったときには、先に（事業を）たたむことも大切。<br />
手を引く潮時を逃さないこと</p>
<p>という話も同時に受ける。</p>
<p>また、曽我さんは昨年までバイオ・ベンチャーのサポートをされていたそうで、大量のバイオ系の文献を読んでいらしたそう。<br />
ＤＮＡなどの話を織り交ぜて、若きぼくらにこんなことを伝えてくれました。</p>
<p>1. 人間はちょっとやそっとでは死なない。そして、死なない限りは、チャレンジするチャンスがあるわけだから、何度でも本気でチャレンジすればよい<br />
2. 常に新しいことをはじめて、ちゃんと頭を使うこと。そして、それを楽しみ、快感に思えること<br />
3. 人間には、自分の知らない、誰ともちがうその人固有のすばらしい能力がある。それはＤＮＡが語っている。その能力を信じて、自分に自信を持つこと</p>
<p>最後に、ぼくがもっとも気に入った言葉がひとつ。</p>
<p>「人間は自分で自分（の人生）を決められる。これはすごいだよ」</p>
<p>夕方の６時半。日の長いシリコンバレーの太陽が傾きはじめた頃まで、胸を熱くしながら、曽我さんの話に浸っていました。</p>
<p>ホテルに戻って、ちょっと頭のクールダウン。<br />
他の人もさそって夕食をと思ってtweetしてみたが、リプライがないので、稲川氏・西塔氏とサン・フランシスコまでお食事に行くことにした。</p>
<p>昼にRockYouに行ったときに、石塚さんがおすすめのお店を教えてくれていて、その中から、中華の「Yuet Lee」をピックアップ。ついで、バークレーにお住まいの小泉さんご夫妻にもまざってもらう。<br />
ジャッキー・チェンとかヒデキ・マツイの写真が飾られているのが若干気になる中、運転は稲川氏にまかせたと青島ビールをむさぼりながら、シリコンバレーで見聞きしていることの感動をぺちゃくちゃする。</p>
<p>小泉さんは、この日のブログでかかれているように、13歳で起業したAnshul少年の会社、というか自宅を訪問してきたらしい。<br />
彼はアメリカのメディアにもひっぱりだこな中、そう簡単に会うことはできないそうだが、そこをご自宅まで行ってたというそれはすばらしい人である。<br />
しかも、絵柄に注文つけているし。そういえば、「萌え」について教えてきたと言っていたなあ。</p>
<p>夜の１１時過ぎにホテルに帰宅。<br />
やらなくてはいけないことをこなす。<br />
- 自分たちの部屋に集まってもらって、ホテル代の精算などする<br />
- 洗濯する。乾燥する。取りに行く<br />
- ビール飲む<br />
- はるばる日本からやってきたバグ報告を読み、デバッグ作業＋メールで状況報告<br />
- 妻にもメール</p>
<p>午前３時、はいもう限界。</p>
<h2>3/23</h2>
<p>だいたいこの頃から、もうぼくはシリコンバレーでは十分すぎるくらい刺激的な経験をしたし、驚くことなどなにもないと思っていた。<br />
今日の予定は、Google, Dropbox, Entrepreneursパーティーの３本立て。</p>
<p>ちなみに、WBCの話はちらほら聞いていたが、なにがどうなっているのかよくわからなかった。韓国と日本がすごいことになっているらしいと言うことは知っていたが。<br />
今日の夜のパーティは、そもそも「韓国系起業家グループと茶話会」みたいなノリだったので、WBCの話とかするんじゃないということを言っていたが、結果的にはそんな話は１秒たりともしなかった。それに、韓国系の人っていなかった気がする&#8230;</p>
<p>それはともかく、朝10時にGoogle到着。<br />
cf: http://d.hatena.ne.jp/syou6162/200903</p>
<p>キャンパスに入るなり、いきなりWifi接続できる。しかもその接続ポイントの数がはんぱない。Wifiのシャワーですよ、シャワー。<br />
待ち合わせまで30-40分くらい前に来てしまったので、ガーデンなどを眺めながら時間をつぶしていたのだが、<br />
エリック・シュミットや辻野さんの息子さんがいた。<br />
UbuntuをカスタマイズしたらしいOSがあったので、みんな自分のブログとかを表示して写真を撮るなどして遊んでいた。</p>
<p>ご飯。<br />
トイレ。<br />
オンサイト・ストア。<br />
世間話。</p>
<p>その後サンフランシスコへ。<br />
車を止めて、ユニオンスクエアでひなたぼっこ。羽休め。<br />
そういえば、ぼーっとするのが大好きだったことなど思い出す。</p>
<p>全然関係ないが、大学時代に大学にいかずに裏山にのぼって（思ったよりは高い）、大学のある街を眺めていたことがあったことを思い出した。<br />
というか、今回の参加者に大学生が多いので、彼らと同じ年齢の頃の自分が何をしていたのか、つい考えてしまう。<br />
あのときも今も、ぼーとしているときというのは何も考えていない。<br />
あとから考えていたようなふりをすることはあっても。</p>
<p>ドロップボックス参戦。<br />
CEOもエンジニアでみんな年が近くて、ほんとロックバンドのように、会社をやっているというのはいい。<br />
Dropbox rocks.</p>
<p>その後、前田さん、熊谷さんとカフェでお話。<br />
アメリカで働きたいと言っていたら、非常に賛同してくれて、なにかと面倒を見ていただいた。<br />
ありがたい。</p>
<p>その後、起業家パーティー。<br />
まあ、その控えめに言って、脳天にいかずちですわ。</p>
<p>戻っても、興奮冷めやらず、飲んで話して、へへへへへ。</p>
<p>今日帰国する稲川氏とは、朝の５時まで話しました。また朝焼けですね。</p>
<p>いやあ、世界はワンダフルに満ちているですね。</p>
<h2>3/24</h2>
<p>10時に起きて、部屋の移動をして、再度寝直す。<br />
同じ部屋にいたmootohさんがMacBook Airから流していたあのヒップでクールなナンバーたちがなぜか今も耳に残っている。</p>
<p>14時くらいに目を覚ました。西塔氏がいたので、アポなしなんて関係ないよと誘って、IDEOへ。<br />
IDEO楽しかった。<br />
何が楽しいってもう&#8230;</p>
<p>小泉さん、岡さんも乗せて、サン・フランシスコへ。<br />
メソッドカードなるものを手に入れようとしたけど、住所間違いで、本屋にたどり着けずにタイムアップ。</p>
<p>中華街に移動し、車をちょんと止めて、となりのリトル・イタリーへ。<br />
小泉さんのご家族とカニを食べるおじゃまをさせていただくのだ＠グレートイースタン。<br />
いや、うまかったですよ、まじで。</p>
<p>その後はＳＦバージンなぼくのわがままで、夜のＳＦ観光。<br />
フィッシャーマンズワーフ、Rombert Street、ツインピークで夜景。<br />
ロマンチックですが、男二人です。<br />
あ、男二人といえば、路面電車を待つ停車場で見つめ合い口づけ合うマッチョな二人を見かけた。<br />
彼らには、「世間の目を忍ぶ」といった概念はないのだろうか。</p>
<p>ツインピークからＳＦの街並みを眺めていると、<br />
「いずれこの街はぼくのものにしてやるぞ」<br />
というあほなことを考えるのだが、まあ、ここにいつかというかすぐにでも来たいと思っていることは確実なので、<br />
照れることなく、言っておこう。<br />
サン・フランシスコをいつか手に入れるよ。</p>
<p>こうして３日連続でサンフランシスコまで出てきたわけだが距離にすると80キロとかあるので、なかなかいいドライブではある。<br />
帰りに、西塔氏と音楽の話をした。<br />
Roberta Flack &amp; Donny Hathawayとかいいねって。<br />
ああ、Chris Brownとかもいいし、今回のたびでは、Estelle feat. Kanye WestのAmerican Boyもよく流れていた。<br />
iPodは持ってきたけど、ほとんど音楽聞いてないな。<br />
今聴きたい曲はなんだろう？</p>
<p>戻ってきたなら、部屋でゆっくりと過ごして寝た。<br />
八巻さんや藤原君がいた。寝ていた。<br />
しばらくは起きて話していたりしたけど、上のベッドへ行き、メールをしたりする。</p>
<p>脇さんが宣伝ジョーズ藤原社長の車に上着を忘れた件について困っていた。次の日、空港で受け取ることにする。<br />
朝９時までにはＳＦＯとのこと。<br />
寝た。</p>
<h2>3/25</h2>
<p>朝６時半くらいに起床。<br />
マリオットで最後の朝ご飯。<br />
ふじわらくんを車に乗せて、ＳＦＯへ向かう。朝のラッシュ気味。<br />
それでも車は気持ちよく流れていく。</p>
<p>８時４５分。スーパーチープレンタカー到着。<br />
まだ彼は来ていない。人のまだらなオフィス前のベンチで待つ。<br />
隣の部屋から出てきたおじさんが、スーパーチープの前で待っているぼくらを見かけると、<br />
親切にも、<br />
「いつもなら来てるんだけど、今日はちょっと遅いね。電話してごらんよ？ほらここに番号がある」<br />
と声をかけてくれる。アメリカの電話がないことをいうと、自分からかけてくれた。<br />
応答はなく、すぐにおじさんは来てくれたが、それにしても、こんな優しさって日本ではないなあと思った。</p>
<p>サンフランシスコ空港・国内線ロビー。<br />
勝手がわからないので、車を降りてすぐの外の受付で荷物をチェックインしてしまった。<br />
楽だし並ばなくてよかったけど、余計に＄２取られた。<br />
今度からはちゃんと中のカウンターに行こう。</p>
<p>脇さんと合流すべく、ゲートを通過する。<br />
セキュリティのところでは、靴まで脱いで、もう何もかもさらけ出して通る。<br />
みんなやっている。<br />
人権とかうるさそうなのに、みんなやっている。どういう心境なんだろう？<br />
一度検査に引っかかると、しかも疑いようははんぱない。<br />
金属探知機をそれこそ尻の穴の中にまで当てられる。そういうおじいさんがいた。彼は検査官に言われるがままに腕をあげ、上着を脱いで対応していた。<br />
ほとんど容疑者だった。</p>
<p>搭乗口に近いところで脇さん発見。<br />
Peet&#8217;s Coffee買って、Bookstoreなど眺めながら過ごす。<br />
小さな飛行機に乗る。ばらばらに予約したので、当然席はばらばら。ほとんど満席。<br />
本を読んだりしながら、１時間程度で到着。</p>
<p>Portlandについて降りた瞬間。<br />
雨。<br />
久しぶりに見た曇り空。<br />
カリフォルニアの天気の良さが異常だったことを思い出す。<br />
荷物を受け取り、nikeショップなどもあるショッピング施設内で平島さんの到着を待つ。<br />
本屋でPortlandの本を買う。<br />
地図を買うつもりだったが、地元の雑誌記者が書いた手作り感あふれる本の体裁と中身が気に入ったのでつい買ってしまった。<br />
内容はまさに、地元っこが紹介するポートランド事情といった感じ。ポートランドではどこにすんでいる？と聞かれると、ＮＥ，ＳＥなどと答えるなど<br />
そんなことに詳しい本だ。<br />
＄５．レジで＄５だけ請求されたのでびっくりして、No Tax?と聞くと、消費税はないとのこと。<br />
これはいいもんである。</p>
<p>レンタカーを借りる。このあたりのことは全部平島さんがやってくれた。ありがたい。<br />
おおきなHighLander。４人乗っても余裕がある。<br />
滝が見たいと私が言ったので、滝を見に行く。<br />
ワッキーナの滝、コロラド川、マルトノマの滝、オレゴン・ワシントン州の針葉樹林広がる。<br />
脇さんに向かって、「ワッキーナの滝」とつぶやいてみたが、軽く流された。</p>
<p>空気の乾いたシリコンバレーに比べ、雨だし滝が注いでいることもあるが、とにかくH2Oが多かった。<br />
マイナスイオンが多いと騒いでいたが、それは気分の問題。</p>
<p>キャリアのこととかビジネスのこととかＩＴのこととかはもう満腹なので、こうして緑の多い場所にきて、<br />
大きな大きな滝、天から落ちるかのような大量の水を仰ぎ、その爆音とミストに身体を浸すのが、あまりに気持ちよかった。</p>
<p>シリコンバレーが父だとしたら、オレゴンは母だと思ったが、たいした意味はない。</p>
<p>滝を上ることになる。流れというやつだ。<br />
ただみんなでひたすら歩いた。<br />
道があるから進んだのだけど、先に何があるのかわからないけど、歩けばなにかあるかなと思って歩いた。<br />
脇さんがだめだとかというけど、愛嬌のようなものだろう。</p>
<p>上り坂が下り坂に変わった先すぐで、道がとぎれる。<br />
そこはまさに、滝の落下開始点！<br />
まさっかさまに落ちる滝を真上から見下ろすことができる。<br />
来てよかったね。</p>
<p>歩き疲れて、下の土産屋で物色などする。<br />
アメリカではよく、というか、ほぼ必ず、大量のＴシャツがある。<br />
大学のブックストアでもそうである。<br />
オレゴンとか滝とかスタンフォードとかかれた衣服を身につけることに抵抗がないようである。<br />
ぼくは大阪とか「たこ焼き」とか書いたＴシャツを着れるだろうかと自問したが、答えは決まっていた。<br />
アメリカは好きであるが、日本人としてまだ失ってはいけない感覚が若干残っているようであった。</p>
<p>車でダウンタウンへ戻る。<br />
ポートランドの街は、川と高速道路によって区分けされている。<br />
先ほどの本に書いてあったSE, NEとは東西を走る川と南北を走る道路によって区切られた土地のことである。<br />
もっとも栄えているダウンタウンと高層ビル群は、SEにある。</p>
<p>車を駐めて、ショッピングモールに入る。<br />
AppleStoreがあったので、iTunesカードを買ったりする。<br />
平日ということもあり人はまばら。<br />
外を歩いても、For Leaseの看板が目立つし、けっこう景気悪いのではと勝手なことを想像する。</p>
<p>少し散策気味に歩いて、本当に客のいないがらがらのスターバックスに陣取る。<br />
みなさんで、シリコンバレーとかＩＴとかビジネスとか与太話だけど面白い話をする。<br />
記憶に残っているのは、脇さんがいった「今の転送速度の１０億倍？とかになりうる可能性ってあるの？」という話。<br />
ぼくは適当にあるあると答えてしまって、その場合にどんなことができるかという想像の世界に足を踏み入れてしまった。<br />
だって面白い。<br />
リアルタイムに人間の目が感知できるのと同じくらいの画像が転送されてくるのではないかといってみた。<br />
その場合、本当に物理的に距離が離れていても、心理的には、ほぼ目の前で話しているのと変わらない感覚を持つだろうと。<br />
つまり、あなたは家にいながらにして、オンラインにいる誰とでも&#8221;face to face&#8221;でコミュニケーションができるのだ。<br />
あるいは、その時代のGoogle Street Viewを想定してみよう。<br />
現地にいるのとほとんど変わらない感覚でその場にいることができるかもしれない。<br />
動作を感知するセンサがあれば、Google StreetViewの世界を実世界とほとんど変わらない感覚で歩くことができるようになるかもしれない。<br />
面白い。<br />
ただ残念なのは、すぐにそんな時代が来るよとそのときは思ったが、現実的にはそれだけのインフラを整備するには金がかかりすぎるし、<br />
なにより今の市場は下り100MBの回線で十分満足しているから、転送速度10億倍の世界が当たり前になる時代はなかなか来ないかもしれないということ。<br />
大学とか一部の企業内では実現するかもね。</p>
<p>他にも面白い話をしたけどなあ。<br />
飽きることなく話せる人たちでした。</p>
<p>時間が来たわけではないが、スターバックスから追い出されたので、しかたなくモールに戻る。<br />
平島さんが、バナナリパブリックで服を買う。<br />
その間私ときたら、疲れていて、ソファに座ってiPhone三昧。</p>
<p>時間がいよいよ来たので、阿多さんと合流して、Rock Bottomへ。<br />
たまたまLa Jollaにあったので、全米どこにでもあるかと思っていたが、調べてみると全部で20店舗くらい。<br />
ビールがうまいよ、この店。</p>
<p>肉やポテトやビールをいただく。<br />
阿多さんと別れ、ホテルに行く。<br />
一度ナビを間違えて、あまりに訳のわからないところまでドライブしてしまう。<br />
どうやらシアトルのAce Hotelが行き先になっていたよう。<br />
ナビの設定を戻す。<br />
さあ、どうだ！<br />
Rock Bottomからかなり近いところに、ぼくらのdestinationがある。<br />
そういうものだ。</p>
<p>ホテルに着くなり、感嘆の声。<br />
インテリアとかかっこよすぎ。<br />
Ace Hotelのハコ自体は古い建物だが、中のインテリアはすごくこだわりがあって、mid-centuryとかmujiとか好きな人には、おすすめ！<br />
値段も高くないしいいよ！</p>
<p>荷物を開けているうちに財布を車に忘れたことに気づく。<br />
車のキーを持つ東洋さんと一緒に外へ。<br />
いきなりそこで、バーへ寄るという話になる。<br />
飲む。<br />
夜の３時に部屋に戻る。<br />
財布をめぐる長い冒険が幕を閉じる。</p>
<h2>3/26</h2>
<p>朝７時？に起きる。<br />
昨日の夜のことなどを、脇さんや藤原君にする。<br />
そうだとおもったと言われた。<br />
眠いかなと思ったけど、渡米以来驚異的なＨＰ回復能力を示していて、相変わらず４時間程度の睡眠で十分なのである。</p>
<p>シャワーを浴びて、かっこいいホテルとお別れ。<br />
LUNARRを目指す。<br />
LUNARRはポートランドのダウンタウンというかAceHotelから車で２０分程度離れたビジネスセンターのようなところにあった。<br />
緊張気味に入るなり、広い空間が広がっている。</p>
<p>窓が二面にあり、開放的。<br />
濱口さんが迎えてくれる。<br />
コーヒーなど用意して、お話会スタート。</p>
<p>ぼくは終始メモを取っていたのだが、それでも時にはメモの手が止まるほど頭を回転させて話を聞き、また質問した。</p>
<p>記念に調べたところ、こんな面白い発言をgoogleって見つけてしまいました。</p>
<blockquote><p>What if you had to add one personal law to the “Three laws of Robotics” (by Isaac Asimov)?  What is law number four?</p>
<p>Law 1:  A robot may not injure a human being or, through inaction, allow a human being to come to harm.<br />
Law 2:  A robot must obey orders given to it by human beings, except where such orders would conflict with the First Law.<br />
Law 3:  A robot must protect its own existence as long as such protection does not conflict with the First or Second Law.</p>
<p>Hummm…<br />
Law 4:  A Robot must not “google” me to determine my characteristics / personality and must meet and know me “in person,” as long as that meeting does not conflict with the First, Second, and Third Law.</p></blockquote>
<p>話が面白くてぎりぎりまで話していたわけですが、その後車に飛び乗り、PDXへ急いでもらう。<br />
ええ、ぼくのフライトが２時半とかそれくらいだったので。</p>
<p>車の中で、気分が高揚していたのはたぶんぼくだけではないと思う。<br />
すごい人にあって、すごく質の高い話をしてもらった。<br />
何度も繰り返して感じてきたことだが、日本から飛び出して、こちらへ来て、世界を舞台になにかを成し遂げたい度がまたあがった。<br />
「今こうしてぼくらが考えていることをそのまま日本に持って帰って、みんなに言ったら、気が変になったかもと思われるかもね」<br />
やはりぼくは興奮していたのだった。</p>
<p>空港にかけつけてもらって、ＵＡの入り口の前でおろしてもらった。<br />
ここで、ＳＶＣ参加の最後のみなさんともお別れです。</p>
<p>突然ひとりになった。<br />
このときの感覚が新鮮だった。<br />
普段から孤独を愛する人なので、一人でいることのほうが自分にとっては自然である。<br />
今回の旅行では終始人に囲まれていたし、寝ているときにも隣に脇さんがいたので、一人の時間がほとんどなかった。<br />
なので、ポートランドの空港で一人になったとき、声を出さないで、搭乗手続きやコーヒーショップやらをしていることに違和感を感じた。<br />
iPhoneを取り出してなにかをつぶやいた。<br />
人恋しい人間になってる、自分www。<br />
驚きだ。</p>
<p>「集団行動ができなくて苦しんでいた10代の自分よ、君はしっかり成長する」</p>
<p>ポートランドからは、ＬＡＸ経由で、San Diego。距離にして、1700キロ強。歩くと14日と18時間かかる。<br />
空港で濱口さんの話のメモをもう一度まとめなおした。<br />
ＬＡＸでは、Malcom Gladwellの本を三冊とも買った。Tipping Point, Blisk, Outliers。</p>
<p>San Diegoについたのは、夕方の7時くらいか。<br />
日が傾きはじめたくらい。<br />
堀江氏が赤のマスタングでやってきた。びっくりである。</p>
<p>シリコンバレーでの話などする。<br />
オイスターを食べに、海のそばのレストランに入る。<br />
まさかのテラス席（柵の向こうは海）だったが、ご存じカリフォルニアの夜は結構冷えるし、風が強いので、なかなかタフな環境だったが、景色がきれいなのと静かに話せるので、テーブル替えはしなかった。</p>
<p>ビールうまい。<br />
なつかしのSan Diegoであり、なつかしの高校時代の友人であり、シリコンバレーでの刺激を受け終えた後であったので、<br />
なんとなく、ようやくリラックスできた気がするはずだったが、<br />
日本がどうこうという大きな話になり、彼の職業がら、ぼくの知らないことをたくさん知っている彼とそういう話をするのはとても面白いので、また気分が盛り上がる。</p>
<p>彼の家は僕のいた家のほんとに近くで見るものすべてがなつかしいとはこのこと。<br />
あのVonsで買い物などして、あの交差点を曲がって、彼の部屋へ。</p>
<p>ビールやら飲みながら、また話していた。<br />
若手の官僚たちを集めて、なにかやりたいのと僕は言った。できるといい。</p>
<p>２時くらいに寝た。</p>
<h2>3/27</h2>
<p>朝９時くらいに起床。<br />
ブリトーを買いに、Robertosへ。<br />
名前は変わっていたが、内装やメニューはなにも変わっていなかった。</p>
<p>http://www.yelp.com/biz/rigobertos-taco-shop-san-diego-2</p>
<p>よく食べていたカルネ・アサダ・ブリトーを注文。４ドルくらい。<br />
あったかいうちに、UCSDへ移動。<br />
こんなこともよくやっていたなあと思い出す。</p>
<p>春休みで人気のないprice centerのテーブルで食べる。<br />
うまい。相変わらずすばらしいコストパフォーマンスである。<br />
日本にもあればいいと思うが、きっと流行らないとも思われる高カロリーフードの王道です。</p>
<p>UCSDを散策する。<br />
Mandevilleとかなつかしい。てか、なにより、Geisel。あの図書館こそがぼくのUCSDのすべて。</p>
<p>とか言っているうちに時間になりそうなので、Bookstoreに少し寄ったあと、荷物を取りに部屋へ。</p>
<p>堀江は午後からラスベガスに出かけるなどするらしく、どこかで捨ててもらうことになる。<br />
今日の夜の予定も決まっていない完全自由な計画である。<br />
とりあえず、La Jollaが見たくてしかたなかったので、La Jollaまで連れて行ってもらい、そこでおろしてもらう。<br />
堀江とはここでお別れ。またね。</p>
<p>La Jollaは、本当に美しい街で、海と青い空とレストランがある。<br />
一人になるなり、ぼくは海へ移動した。<br />
５年前、はじめてアメリカに渡ってきた時と同じように、Tシャツに短パンの観光客が多い中で、場違いなほど暑苦しいかっこうをして、<br />
眼前に広がる海を眺めた。<br />
この海は太平洋で、あちら側の最果てには、日本があるのだなあと考えたりする。<br />
しかし、そこで思考がなにか焦点を結ぶことはない。<br />
ただ、日本のことを思い、この1週間で多くの人とはなしたことを思い、これから先の自分の生活を思う。<br />
会社は退職することになっている。これから、もう組織の論理に自分を犠牲にするつもりはない。<br />
たとえ収入がなくなろうとも、猛烈に好きなことをする。<br />
そのことだけが、自分の武器を強くする。<br />
強い武器を持って、世界の舞台に躍り出る。<br />
そこで、最高に刺激的な人と切磋琢磨する。<br />
1日が１００年にも感じられるようなそんな濃密な経験をしてみたい。</p>
<p>なにがモチベーションになっているのか？<br />
名誉、収入、知的興奮。それはもちろんあるだろう。だけど、今ぼくがもっとも求めているのは、自分を試してみたい、という単なる好奇心。<br />
自分の肉体、自分の精神、自分の経験、思考、涙一粒程度の能力。<br />
それらを結集させて、強烈なアウトプットに変えてみたい。</p>
<p>10年前、18歳のぼくも同じことを考えていたことを思い出す。<br />
英語を身につけるためにどこかの国へ行って、そこで精神科医になり、人々の悩みを癒しながら、世界を旅する「ヒーラー」になりたかった。<br />
ほとんど宗教的な存在だけど、ぼくはそういう超越的な存在にとても憧れた。</p>
<p>ただ、あのときは、描く夢を実現するために、自分の能力を磨くことばかりを考えていた。<br />
一人でなにもかもやることつもりでいた。<br />
誰もあてにするつもりはなかったし、実際誰もあてにしていなかった。<br />
しかし、10年たって、たくさんの失敗と挫折を繰り返してきて、ようやく自分にできることは限られていることに気づいた。<br />
それだから、仲間を探そうと思った。</p>
<p>カフェでレモネードを飲みながら、考えていた。</p>
<p>La Jollaを満喫した後は、少し早いけど、ダウンタウンへ移動。<br />
路線バスで30分程度である。<br />
Old Townというバスとトロリーの交差する駅で乗り換えて、Santa Fe Depot（サンタフェ駅）へ。<br />
LA Union Stationへの自由席チケットを買って、駅で待つ。水を買う。カメラを構える。<br />
iPhoneをのぞく（Santa Fe駅にもWifiはあった）。<br />
りょうすけに、今からLAにいくと連絡する。</p>
<p>LAまでは電車で2時間くらい。窓から差し込む日差しがあまりに熱い。<br />
向こうには海が見える。延々とどこまでも続いているのだ。<br />
San Diegoの北、Oceansideあたりまで来ると、家もまばらになり、静かな田舎町といった風情を見せる。<br />
ちらほらと保養所のようなところがあり、春休みを利用して遊びに来ている家族の姿などがある。</p>
<p>Tipping Pointを読んでいたが、だんだん眠くなる。<br />
というより、思考が一点に止まらないで、あちこちへと流れていく。車窓の景色のように。<br />
本を閉じて、外を見ていた。</p>
<p>LAにつくと、少し日が傾いていた。<br />
りょうすけに電話して、「迎えにきて」<br />
金曜日だし、渋滞していることもあって、1時間くらいかかる。<br />
その間ぼくは、UnionStationをくまなく歩いて、Free Wifiを探したが、徒労に終わった。<br />
なにもそこまでWifiにこだわらなくてもいいのにとは思うけれど、これは完全に中毒である。<br />
ないと不安になっている。<br />
困ったものだ。</p>
<p>しぶしぶ待合室へ戻って、本を開く。</p>
<p>りょうすけと会う。<br />
いったい何年ぶりだろうか。あまり変わっていない。20代後半にもなると当然ながら、見た目も思考も話し方も劇的に変化するはずなどない。<br />
ただ少しずつ大人びてき、少しずつ老いていくだけなのだ。</p>
<p>今晩食べる料理の話、小籠包に決定。<br />
San Bernerdoという地区へ向かう。おそろしいほど大きなチャイナタウンがあるのだそう。</p>
<p>りょうすけの家にいく。<br />
近くには、マジック・ジョンソンのプロデュースしたスポーツクラブや、Fridaysがあった。<br />
どうやら彼の育った所らしい。</p>
<p>家には、2匹の猫がいた。<br />
ひとなつっこい小さなメス猫がアラシ、人見知りするけれどマイペースでおっとりしているオス猫がホノオ。<br />
猫アレルギーなので、だんだん体がかゆくなってきた。<br />
とはいえ、めちゃくちゃかわいい。<br />
毛がついてしまうにもかかわらず、抱いてしまったり。<br />
あれから、iPhoneの待ち受けはずっとアラシ。</p>
<p>夜は１ー２杯ビールを飲んで寝た。<br />
疲れていた。</p>
<h2>3/28</h2>
<p>朝は、カオリ・りょうすけとその友達を交えて、tokyo77で朝ご飯へ<br />
ベーコントーストのようなものを食べた<br />
友達は、韓国系。ゲームプロデューサなどをしているらしい</p>
<p>その後LACMAへ。<br />
現代アートから、クラシックアートまでたくさんあった。<br />
FranzWestという現代アーティストの特集があった。<br />
鑑賞者が作品に触れることのできるインタラクティブな作品も多かったが、あまり印象にはない。</p>
<p>いちばん記憶に残っているのは、ジェフ・クーンズ。<br />
バスケット・ボールが水槽に浮いている。<br />
あと、戦争に関連した作品。<br />
無傷と言われたアメリカでさえ、これだけアーティストたちに影響を与えたＷＷIIはやはりものすごい悲劇だったのだ。</p>
<p>南米アートなど地域のアート作品もあって、とにかく広かった。</p>
<p>カフェでコーヒーを飲んだ。</p>
<p>その後もぼくのわがままにつきあってもらって、Chinese Theaterへ。<br />
たくさんの仮装した人が、たっていた。<br />
一緒に写真を撮ったときのチップを稼ぎにきているらしい。<br />
パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウは、クオリティ低くてびっくりした。</p>
<p>クリント・イーストウッドの手形に合わせて写真を撮った。<br />
ああ、彼のように寡黙で、しかし、大切な発言ばかりは逃さない男になりたい。</p>
<p>ビアード・パパで、シュークリーム・ブレイク。<br />
おいしかった。<br />
日本のお店で、カリフォルニアで成功しているビアード・パパ。<br />
ただし、Chinese Theaterのところは$1.00くらい高いらしいよ。</p>
<p>ゆういちと連絡がとれた。<br />
San Diegoで、一緒に音楽の話とかをしていた大切な友達。<br />
しかし、ずっと連絡が途切れていた。<br />
りょうすけが、「彼もLAに住んでいるよ」と連絡してくれて、無事会えることに。<br />
ゆういちがKoreanだったことを思い出して、純豆腐のお店へ。</p>
<p>会うなり、ああ、と思った。<br />
この「ああ」を説明するのは難しい。<br />
あえていうなら、学生時代のころは、とても不思議な魅力を備えていて、それは、社会性はなくとも個人の特別なオーラでそれがカバーされているタイプの魅力であった。<br />
あの頃から数年たち、大学というプロテクトされた場所から放り出された僕達は、たがいの目や格好や髪型でおたがいの現状をさぐりあう。<br />
その間1秒。<br />
そのときの、ああ、なのだが、ゆういちはゆういちとして、変わってはいなかった。社会に対して自分を磨り減らしたりしているわけでもない。<br />
ただ、その代わりに、定職についているわけではないようで、収入であるとか立場であるとか将来のことに対して、孤独な戦いを自分に強いたタイプの摩耗を感じたような気がした。</p>
<p>彼は、ぼくと握手した。<br />
ぼくの近況を聞いた。<br />
エンジニアになったこと、シリコンバレーのこと、アメリカで働きたいのこと。<br />
おう、と驚いていた。<br />
ぼくは、彼の目から見れば、ずっと部屋や図書館に閉じこもっていて、「BRUTUS」ばかりを読んでいたとのこと。<br />
BRUTUSなり他の雑誌社にでも入っていると思っていたらしい。</p>
<p>カルチャー雑誌の編集者に憧れたことを思い出す。<br />
~~~<br />
僕は、しかし今、エンジニアとして、Webサービスを作る人になっていることに対して、すごく誇りと喜びを感じている。<br />
「それはなぜ？」<br />
「自分の思いを込めたものを、丹念に磨き上げるようにして作り出したいのだと思う。たとえば、小説を書くようにWebサービスを作り出すことができればいい」</p>
<p>ほう、とうなづいた。<br />
彼は今でこそ運輸系のアルバイトではあるが、いつかジャーナリストとして一人立ちしたいとのこと。<br />
誰とて夢はあるのだ。</p>
<p>昔・今、どちらをとっても、ぼくはゆういちが好きなんだと思う。</p>
<p>一度部屋に戻った後、もう一度外へ出る。<br />
ゆういちに誘われて、クラブにいくことになった。<br />
リトル・トーキョーにあるクラブ。いい音楽を聞かせるらしくて、ゆういちおすすめとのこと。</p>
<p>まずは人もまばら。<br />
喫煙室のようなところで、雑談。<br />
だんだん混み合ってくるとフロアへ出る。<br />
ゆういちの幼なじみで、「ちひろ」さんという人がいた。<br />
彼女がこの場では顔が広く、いろんな人と話している。</p>
<p>彼女は聞くところによると、別名が「audrely kawasaki」と入って、アーティストとして活躍しているらしい。<br />
あとで、日本に戻ってからサイトを見たのだけれど、彼女の画風は、いわばデカダンかな。<br />
少女をモデルにした絵で、エロティックで攻撃的で、夢想に耽溺するような世界。<br />
覗いてみたいけれど、怖くて覗ききれない、あるいは、知ってはいけない少女の世界を垣間見る快楽。</p>
<p>実際に話した彼女はとても物腰の丁寧な、社交的で気配りのできる女の子で、<br />
ゆういちに紹介されると、「日本では都会ばかりなのでどこかゆっくりしたいところがあるのだけれど…」と<br />
とてもスムーズに話を切り出してくれた。</p>
<p>ちひろクラスタで、輪を作って、何人かで一緒に楽しく踊った。</p>
<p>酒を飲んで気持ちよくなった1時すぎ頃に、りょうすけに声をかけて戻ることにした。</p>
<h2>3/29</h2>
<p>クラブから帰ってきたら、かおりもちょうど戻ってきたくらいだった。<br />
ここから、バータイムスタート。<br />
何を話したのかあんまり覚えてないけれど、りょうすけのこと、おたがいの今まで来歴など、とりとめもないことをずっと朝まで話していた。</p>
<p>次の日、9時くらいに起きて、りょうすけにLAXまで送ってもらう。<br />
いろいろほんとうにお世話になりました。<br />
ありがとう。</p>
<p>飛行機の中では、本を読んだりぐっすり寝たりして、これからの生き方などを自分に期待しつつ、日本へ向かった。<br />
みやげを買うということになかなか意識が上らなかったことを思いだして、帰りの機内で森伊蔵を２本買った。<br />
お父さん用と会社用なり。</p>
<p>本当に、これほどたくさんの体験を矢継ぎ早に経験できたこの２週間は、人生にとって、とても大切な変換点になるだろう。<br />
その意味をこれから探っていきたい。</p>
<p>（Photo is found at <a href="http://www.flickr.com/photos/57688343@N00/263998307/">http://www.flickr.com/photos/57688343@N00/263998307/</a>）</p>
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		</item>
		<item>
		<title>シリコンV（９）種をまく &#8211; 消えることのないもの</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-09/</link>
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		<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 06:23:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[思った]]></category>
		<category><![CDATA[行った]]></category>
		<category><![CDATA[svc09]]></category>

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		<description><![CDATA[
原宿。午後10時。とある居心地のいいカフェにて。
ぼくは、そこである人に出会っていた。
その日ぼくははじめて、自分のことを「フリーランス・エンジニア」と名乗った。
作りたての個人名刺を、胸ポケットから出して、人に手渡した。
あのときからぼくは、フリーランスという新しい生き方を試みている。
今のところ、いい風が吹いている。
リラックスして仕事に向かい、自己研鑚にも余念がなく、閉じこもる時間と外に拡大する時間のバランスも悪くない。
ただ忙しすぎるわけではないところに不安を感じることはある。
まだまだ駆け出しのフリーランスにとって、「ひま」であることほど怖い時間はない。
丁寧に仕事を繰り返して、実績を積み重ねていけば、そのうちマインドがなれてきて、もう少しうまくハンドルできるようになるだろう。
今は心配することではない。
少しだけ、帰国後のぼくの活動状況について。
アメリカでの就職活動
JamLegendなどのインターンに応募したが、うまくいかなかった。
さすがにたった２週間の滞在で得たネットワークだけで、就職するのは、やはり不可能か。
それでも、パーティーで知り合った創業者のAndrewとメールのやりとりの中で、レジュメ送ったり自分の履歴説明したりしたのはいい経験。特に自分のキャリアを相手に納得させることができるかたちで英語で説明するというのが、意外に大変だと実感。
それにちゃんとした選考プロセス通らなきゃいけないし、となると、就労ビザのない僕はかなり厳しい。
ここをゴリ押しするのは、リスクが大きいし大変だし３KだしKYだし自分らしくないのでさくっとあきらめて、まずは東京でフリーで活躍できる状況を作ることに専念することにしている。
それでも今年中にもう一度シリコンバレーにいけるといいな。開発したなにかを携えていくのが理想。完成させられるのか、自分。
起業
憧れから具体的な目標へと変わった。
家事
家は生活の基点。戻ってくる場所であり、休んでまた出ていくための場所。ちゃんとメンテナンスできるように試行錯誤中。
猫村さんが欲しい
ネットワーキング
広めてはいるが、空疎な関係にはしたくないので、ゆっくりと一歩一歩確実に、というペースで。
社会貢献活動
フリーランスになって、会社ではなく、社会に属するという意識が強まった。
これは社会という概念を具体的なイメージを持って認識できるようになった。
そこにはたくさんの人がいて、利害関係があって、営為があって、生活がある、という絵が頭に浮かぶようになったのだ。
社会に属する、という意識が芽生えると、自然その社会に対して、金銭目的の営業活動以外の形でもコミットしたくなる。
平たく言うなら、自分の力を必要とされたいという気持ちになる。
ちょっと始めたいと考えています、社会貢献活動。また、ご報告します。
ランニング
今年1月くらいから、ランニングを始めるようになった。
走るということはただ走ることにすぎないのだが、ぼくの気の持ち方になにかしらのポジティブな影響を与えているように思う。
7月には、生涯初のマラソンレースに参加予定。ただし、ハーフなのはいうまでもない。
&#8212;-
つまり、今は種を蒔くことに専念している。
すぐに実がなるとは思っていない。
手を抜かずに、蒔いて、耕して、水をやることを続けていきたい。
今年に入って、自分の環境をかなり強引に変えた。そのしわ寄せはぼくの家族に及んでいる。
我が家の関係者の皆様、つまり、妻のさちよさん、大阪のお父さんお母さん、調布のお父さんお母さん、兄弟姉妹のみなさん、その他たくさんの人を驚かせ、不安を抱かせることとなった。
それでも、ぼくの身を心配してくれたり、支えてくれたり、あるいは叱責という形で心配してくれた。
ありがとうございます。
保障のない生活に不安をおぼえることもありますが、とにかく振り返ることなく、しっかりと靴ひもをしめて、走っていきます。
それでは、最後に、「シリコンV」！
（写真は、芽！ The original photo is found at http://www.flickr.com/photos/gibbons/2641440504/）
目次

はじめに
二度目のサンディエゴの空
会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]
エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] 
声をあげよ！ [コミュニケーションについて] 
ビジネスを走らせる [起業について]
たとえリーダーはいなくとも [仲間について] 
風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]
種をまく &#8211; 消えることのないもの
旅行記

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/2641440504-c51fdc9b19-b.jpg"><img style="border-bottom: 0px; border-left: 0px; display: block; float: none; margin-left: auto; border-top: 0px; margin-right: auto; border-right: 0px" title="2641440504_c51fdc9b19_b" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/2641440504-c51fdc9b19-b-thumb.jpg" border="0" alt="2641440504_c51fdc9b19_b" width="461" height="307" /></a></p>
<p>原宿。午後10時。とある居心地のいいカフェにて。<br />
ぼくは、そこである人に出会っていた。<br />
その日ぼくははじめて、自分のことを「フリーランス・エンジニア」と名乗った。<br />
作りたての個人名刺を、胸ポケットから出して、人に手渡した。</p>
<p>あのときからぼくは、フリーランスという新しい生き方を試みている。</p>
<p><span id="more-263"></span>今のところ、いい風が吹いている。<br />
リラックスして仕事に向かい、自己研鑚にも余念がなく、閉じこもる時間と外に拡大する時間のバランスも悪くない。</p>
<p>ただ忙しすぎるわけではないところに不安を感じることはある。<br />
まだまだ駆け出しのフリーランスにとって、「ひま」であることほど怖い時間はない。</p>
<p>丁寧に仕事を繰り返して、実績を積み重ねていけば、そのうちマインドがなれてきて、もう少しうまくハンドルできるようになるだろう。<br />
今は心配することではない。</p>
<p>少しだけ、帰国後のぼくの活動状況について。</p>
<h4>アメリカでの就職活動</h4>
<p>JamLegendなどのインターンに応募したが、うまくいかなかった。<br />
さすがにたった２週間の滞在で得たネットワークだけで、就職するのは、やはり不可能か。<br />
それでも、パーティーで知り合った創業者のAndrewとメールのやりとりの中で、レジュメ送ったり自分の履歴説明したりしたのはいい経験。特に自分のキャリアを相手に納得させることができるかたちで英語で説明するというのが、意外に大変だと実感。<br />
それにちゃんとした選考プロセス通らなきゃいけないし、となると、就労ビザのない僕はかなり厳しい。</p>
<p>ここをゴリ押しするのは、リスクが大きいし大変だし３KだしKYだし自分らしくないのでさくっとあきらめて、まずは東京でフリーで活躍できる状況を作ることに専念することにしている。</p>
<p>それでも今年中にもう一度シリコンバレーにいけるといいな。開発したなにかを携えていくのが理想。完成させられるのか、自分。</p>
<h4>起業</h4>
<p>憧れから具体的な目標へと変わった。</p>
<h4>家事</h4>
<p>家は生活の基点。戻ってくる場所であり、休んでまた出ていくための場所。ちゃんとメンテナンスできるように試行錯誤中。<br />
猫村さんが欲しい</p>
<h4>ネットワーキング</h4>
<p>広めてはいるが、空疎な関係にはしたくないので、ゆっくりと一歩一歩確実に、というペースで。</p>
<h4>社会貢献活動</h4>
<p>フリーランスになって、会社ではなく、社会に属するという意識が強まった。<br />
これは社会という概念を具体的なイメージを持って認識できるようになった。<br />
そこにはたくさんの人がいて、利害関係があって、営為があって、生活がある、という絵が頭に浮かぶようになったのだ。<br />
社会に属する、という意識が芽生えると、自然その社会に対して、金銭目的の営業活動以外の形でもコミットしたくなる。</p>
<p>平たく言うなら、自分の力を必要とされたいという気持ちになる。<br />
ちょっと始めたいと考えています、社会貢献活動。また、ご報告します。</p>
<h4>ランニング</h4>
<p>今年1月くらいから、ランニングを始めるようになった。<br />
走るということはただ走ることにすぎないのだが、ぼくの気の持ち方になにかしらのポジティブな影響を与えているように思う。<br />
7月には、生涯初のマラソンレースに参加予定。ただし、ハーフなのはいうまでもない。</p>
<p>&#8212;-</p>
<p>つまり、今は種を蒔くことに専念している。<br />
すぐに実がなるとは思っていない。</p>
<p>手を抜かずに、蒔いて、耕して、水をやることを続けていきたい。</p>
<p>今年に入って、自分の環境をかなり強引に変えた。そのしわ寄せはぼくの家族に及んでいる。<br />
我が家の関係者の皆様、つまり、妻のさちよさん、大阪のお父さんお母さん、調布のお父さんお母さん、兄弟姉妹のみなさん、その他たくさんの人を驚かせ、不安を抱かせることとなった。<br />
それでも、ぼくの身を心配してくれたり、支えてくれたり、あるいは叱責という形で心配してくれた。<br />
ありがとうございます。</p>
<p>保障のない生活に不安をおぼえることもありますが、とにかく振り返ることなく、しっかりと靴ひもをしめて、走っていきます。</p>
<p>それでは、最後に、「シリコンV」！</p>
<p>（写真は、芽！ The original photo is found at <a href="http://www.flickr.com/photos/gibbons/2641440504/">http://www.flickr.com/photos/gibbons/2641440504/</a>）</p>
<p><strong>目次</strong></p>
<ol>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-01">はじめに</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-02">二度目のサンディエゴの空</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-03">会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-04">エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-05">声をあげよ！ [コミュニケーションについて] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-06">ビジネスを走らせる [起業について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07">たとえリーダーはいなくとも [仲間について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-08">風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]</a></li>
<li>種をまく &#8211; 消えることのないもの</li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10">旅行記</a></li>
</ol>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>シリコンV（８）風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-08/</link>
		<comments>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-08/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 04:59:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[思った]]></category>
		<category><![CDATA[行った]]></category>
		<category><![CDATA[svc09]]></category>

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		<description><![CDATA[
大きな視点・視野を持つことは重要である。
だけど、自分の行動の理由を、あるいは行動しない理由を、経済情勢とか国力とかそういう大きな問題にすりかえてはならない。
今、目の前に見えていること。
自分という人間が、この二本の腕だけでやれることを正しく把握する、それだけを実行すること。
シリコンバレーで僕たちをアテンドしてくれた方たち。
本当にありがとうございました。
彼ら・彼女たちから、大きなボールを受け取った。
「さあ、シリコンバレーについての紹介は終わったよ。君は来るの、来ないの？」
渡辺千賀さんのお宅でブランチという名の集まりにお呼ばれされたとき、参加者の脇さんが言った一言が今も思い出される。明るい午前の日を浴びながら、ソファに座って歓談していたときのことだ。
「もう聞きたいことないでしょ？あとは決めるだけでしょう？」
ツアー３日目くらいのことだ。サンフランシスコに到着したその日からずっと人から話を聞いてばかりで、だんだん食傷気味になっていたところに、彼の屈託のない一言を聞いた。
まったくその通りだった。
「ここで勉強したいですか？ここで働きたいですか？」
これに答えるだけの材料はすでに手中におさめた。あとは、イエスとうなずいて、行動を開始するだけなのだ。
まずはこれ。自分が行きたい場所・自分がやりたいことを最優先すること。
やらない言い訳は考えなくていい。
人にかかる迷惑も考えなくていい。
人はあなたが思っているほど、あなたのわがまま程度で迷惑がることはない。
それに、どれだけ迷惑をかけないようにと心がけたところで、歩けば屁をこき、座ればげっぷをするのが人の常。
どだい気をつかいすぎることもない。
やりたいことなんてないよという人は、「自分がやりたくないことを絶対にやらないこと」を心がけるということにしてもいい。
これは本当に大切なことなのだ。
やりたくない仕事に埋もれて恨めしい顔をしている人、本当に関心のあることをうっちゃらかして些事に手をこまねいている人が、今の日本の20代30代に多すぎる気がする。
早く目を覚ましてほしい。
梅田望夫さんがその著書で、「好きを貫く」ことの大切さを説いたように、やるべきことはたった一つ。
あなたが24時間週7日心酔し没頭できることなのだ。
梅田さんといえば、JTPAの中心メンバーで、今回のカンファレンスでも講演があった。
講演の２日後にはウェブページに全文が掲載されていたので、「聞いた」方はたくさんいると思う。
テーマは、「個人の力と時代の力」。
しかし、自分が梅田さんに期待していた声とはまったく違う言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「がむしゃらに、なにはなくとも、こっちのほうが面白いからおいでよ」という強いメッセージを勝手に期待していたわけであるが、出てきたのは、時代の力が弱まっているからこそ個人の力を伸ばしていこうよ、という話。
あとで何度もブログにアップされた原稿を読み、昨年度の分も読んだのだが、でも、まだ腑に落ちない。
感覚が違うというのだろうか。
時代の力は、いまこそ強い。ただし、追い風ではなく、向かい風として。
個人の力の上に、どんを押しかかっている。ひとたび踏ん張るのをやめると押し流されてしまう、そんな印象をぼくは持っている。
ちなみに、講演のあと、すっと手をあげて、「反時代の力」の質問をした。
「時代の力に抵抗してきた個人の力があったからこそ、世界が変化し、今の時代が築かれてきたのではないでしょうか」
と、いきなり梅田さんにぶつけてしまった。
梅田さんからは、「個人のそういう思いもきっとなにかにつながる」といったような回答をもらった。
私たちの親の世代には、キャリアの選び方に「正解」があった。
誰が選んでも、確実に幸せになれる、そんな魔法のような道があった。
つまり、会社員となり、定年までつとめあげること。
今はその会社員定年人生の魔法が切れている。
ぼくにとっては、少しも魅力的ではない。
なぜか。２つ。
贅沢な理由。親のたどった道をまったく同じ道をたどることは、けして希望の持てる道ではない。
参考書の裏に乗っている解答例を見ながら、次々に問題を解いていくような人生になんの価値がある？
もっともな理由。
誰も他人の30年後を保証することなんてできない。
自分の勤めている会社が30年後も存続しているなんて保証はまるでない。
自分の腕、自分の足、自分の顔。
もう一度点検してほしい。
会社がなくなったとき、自分は何ができるだろうか。
ついで、カンファレンスでの金島先生の講演について。
曰く、

turning-pointが何度もあった
シリコンバレーでのキャリアアップには、「ひとつの専門性をとことん突き詰めるか、複数の専門性にまたがるか」の道がある
ひとつの会社ではなくその業界に就職しているというような、プロ野球選手のような意識
楽観性って意識しないと持てないよ！
様々なスキルを有する人とのコネクションを広げて夢を達成できる機会を最大限に増やしておくこと、
グローバルで通用する人となって、これからの日本を負って立つくらいの気概を持つこと
自分の仕事が明確で、自分を鍛えかつ自分の成果の見えやすい小さな組織で働くこと

話を聞きながら、途中、熱くこみあげてくるものがあった。
最後に、今の日本を引っ張っている政治家や経営者たちの中に、本当に５０年後１００年後の日本を考えて、真剣になにかをやろうとしている人なんていないと言われて、がんと頭を叩かれた気がした。
上の世代は上の世代が見えている範囲しか世話をしてくれないのだから、自分たちが自分たちの将来を引き受けなければいけない。
社会とか政治とかについて他人事のように考えてきたぼくにとって、この発見は、まさに大発見だった。
繰り返して言おう。
自分たちの将来、自分たちのこれからの生活は、自分たちで引き受けなければならない。
国・世間・会社・社会・役所。
そういった「誰でもない組織体」に、無自覚に自分の身を委ねるのは危険だ。
古いお爺さんたちが権力の杖を握りしめている今はまだ、そう簡単に何もかもは変わらない。
だからといって、「仕方がない」ですませてしまうと、まずい。
ぼくたちの子どもたちが大人になったとき、本当にどうしようもなくなってしまっているだろう。
「自分の未来は自分でつくる」、そう考えている人たちはとっくにもう行動を開始している。
ぼくも遅れずについていかなくてはいけない。
(The original photo is uploaded by Wonderlane. )
目次

はじめに
二度目のサンディエゴの空
会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]
エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] 
声をあげよ！ [コミュニケーションについて] 
ビジネスを走らせる [起業について]
たとえリーダーはいなくとも [仲間について] 
風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]
種をまく &#8211; 消えることのないもの
旅行記

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/3283617803-c6105df7d7-o.jpg"><img style="border: 0pt none; display: block; margin-left: auto; margin-right: auto;" title="3283617803_c6105df7d7_o" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/3283617803-c6105df7d7-o-thumb.jpg" border="0" alt="3283617803_c6105df7d7_o" width="560" height="372" /></a></p>
<p>大きな視点・視野を持つことは重要である。<br />
だけど、自分の行動の理由を、あるいは行動しない理由を、経済情勢とか国力とかそういう大きな問題にすりかえてはならない。<br />
今、目の前に見えていること。<br />
自分という人間が、この二本の腕だけでやれることを正しく把握する、それだけを実行すること。</p>
<p><span id="more-260"></span>シリコンバレーで僕たちをアテンドしてくれた方たち。<br />
本当にありがとうございました。<br />
彼ら・彼女たちから、大きなボールを受け取った。<br />
「さあ、シリコンバレーについての紹介は終わったよ。君は来るの、来ないの？」</p>
<p>渡辺千賀さんのお宅でブランチという名の集まりにお呼ばれされたとき、参加者の脇さんが言った一言が今も思い出される。明るい午前の日を浴びながら、ソファに座って歓談していたときのことだ。<br />
「もう聞きたいことないでしょ？あとは決めるだけでしょう？」</p>
<p>ツアー３日目くらいのことだ。サンフランシスコに到着したその日からずっと人から話を聞いてばかりで、だんだん食傷気味になっていたところに、彼の屈託のない一言を聞いた。<br />
まったくその通りだった。</p>
<p>「ここで勉強したいですか？ここで働きたいですか？」<br />
これに答えるだけの材料はすでに手中におさめた。あとは、イエスとうなずいて、行動を開始するだけなのだ。</p>
<p>まずはこれ。自分が行きたい場所・自分がやりたいことを最優先すること。<br />
やらない言い訳は考えなくていい。<br />
人にかかる迷惑も考えなくていい。<br />
人はあなたが思っているほど、あなたのわがまま程度で迷惑がることはない。<br />
それに、どれだけ迷惑をかけないようにと心がけたところで、歩けば屁をこき、座ればげっぷをするのが人の常。<br />
どだい気をつかいすぎることもない。</p>
<p>やりたいことなんてないよという人は、「自分がやりたくないことを絶対にやらないこと」を心がけるということにしてもいい。<br />
これは本当に大切なことなのだ。<br />
やりたくない仕事に埋もれて恨めしい顔をしている人、本当に関心のあることをうっちゃらかして些事に手をこまねいている人が、今の日本の20代30代に多すぎる気がする。<br />
早く目を覚ましてほしい。<br />
梅田望夫さんがその著書で、「好きを貫く」ことの大切さを説いたように、やるべきことはたった一つ。</p>
<p><strong>あなたが24時間週7日心酔し没頭できること</strong>なのだ。</p>
<p>梅田さんといえば、JTPAの中心メンバーで、今回のカンファレンスでも講演があった。<br />
講演の２日後にはウェブページに全文が掲載されていたので、「聞いた」方はたくさんいると思う。<br />
テーマは、「個人の力と時代の力」。</p>
<p>しかし、自分が梅田さんに期待していた声とはまったく違う言葉を聞くことになるとは思わなかった。<br />
「がむしゃらに、なにはなくとも、こっちのほうが面白いからおいでよ」という強いメッセージを勝手に期待していたわけであるが、出てきたのは、時代の力が弱まっているからこそ個人の力を伸ばしていこうよ、という話。</p>
<p>あとで何度もブログにアップされた原稿を読み、昨年度の分も読んだのだが、でも、まだ腑に落ちない。<br />
感覚が違うというのだろうか。<br />
時代の力は、いまこそ強い。ただし、追い風ではなく、向かい風として。<br />
個人の力の上に、どんを押しかかっている。ひとたび踏ん張るのをやめると押し流されてしまう、そんな印象をぼくは持っている。</p>
<p>ちなみに、講演のあと、すっと手をあげて、「反時代の力」の質問をした。</p>
<blockquote><p>「時代の力に抵抗してきた個人の力があったからこそ、世界が変化し、今の時代が築かれてきたのではないでしょうか」</p></blockquote>
<p>と、いきなり梅田さんにぶつけてしまった。<br />
梅田さんからは、「個人のそういう思いもきっとなにかにつながる」といったような回答をもらった。</p>
<p>私たちの親の世代には、キャリアの選び方に「正解」があった。<br />
誰が選んでも、確実に幸せになれる、そんな魔法のような道があった。</p>
<p>つまり、会社員となり、定年までつとめあげること。</p>
<p>今はその会社員定年人生の魔法が切れている。<br />
ぼくにとっては、少しも魅力的ではない。</p>
<p>なぜか。２つ。<br />
贅沢な理由。親のたどった道をまったく同じ道をたどることは、けして希望の持てる道ではない。<br />
参考書の裏に乗っている解答例を見ながら、次々に問題を解いていくような人生になんの価値がある？<br />
もっともな理由。<br />
誰も他人の30年後を保証することなんてできない。<br />
自分の勤めている会社が30年後も存続しているなんて保証はまるでない。</p>
<p>自分の腕、自分の足、自分の顔。<br />
もう一度点検してほしい。</p>
<blockquote><p>会社がなくなったとき、自分は何ができるだろうか。</p></blockquote>
<p>ついで、カンファレンスでの金島先生の講演について。</p>
<p>曰く、</p>
<ul>
<li>turning-pointが何度もあった</li>
<li>シリコンバレーでのキャリアアップには、「ひとつの専門性をとことん突き詰めるか、複数の専門性にまたがるか」の道がある</li>
<li>ひとつの会社ではなくその業界に就職しているというような、プロ野球選手のような意識</li>
<li>楽観性って意識しないと持てないよ！</li>
<li>様々なスキルを有する人とのコネクションを広げて夢を達成できる機会を最大限に増やしておくこと、</li>
<li>グローバルで通用する人となって、これからの日本を負って立つくらいの気概を持つこと</li>
<li>自分の仕事が明確で、自分を鍛えかつ自分の成果の見えやすい小さな組織で働くこと</li>
</ul>
<p>話を聞きながら、途中、熱くこみあげてくるものがあった。</p>
<p>最後に、今の日本を引っ張っている政治家や経営者たちの中に、本当に５０年後１００年後の日本を考えて、真剣になにかをやろうとしている人なんていないと言われて、がんと頭を叩かれた気がした。</p>
<p>上の世代は上の世代が見えている範囲しか世話をしてくれないのだから、自分たちが自分たちの将来を引き受けなければいけない。<br />
社会とか政治とかについて他人事のように考えてきたぼくにとって、この発見は、まさに大発見だった。</p>
<p>繰り返して言おう。</p>
<p>自分たちの将来、自分たちのこれからの生活は、自分たちで引き受けなければならない。<br />
国・世間・会社・社会・役所。<br />
そういった「誰でもない組織体」に、無自覚に自分の身を委ねるのは危険だ。</p>
<p>古いお爺さんたちが権力の杖を握りしめている今はまだ、そう簡単に何もかもは変わらない。<br />
だからといって、「仕方がない」ですませてしまうと、まずい。<br />
ぼくたちの子どもたちが大人になったとき、本当にどうしようもなくなってしまっているだろう。</p>
<p>「自分の未来は自分でつくる」、そう考えている人たちはとっくにもう行動を開始している。<br />
ぼくも遅れずについていかなくてはいけない。</p>
<p>(The original photo is uploaded by <a href="http://www.flickr.com/photos/wonderlane/"><strong>Wonderlane</strong></a>. )</p>
<p><strong>目次</strong></p>
<ol>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-01">はじめに</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-02">二度目のサンディエゴの空</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-03">会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-04">エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-05">声をあげよ！ [コミュニケーションについて] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-06">ビジネスを走らせる [起業について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07">たとえリーダーはいなくとも [仲間について] </a></li>
<li>風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]</li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-09">種をまく &#8211; 消えることのないもの</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10">旅行記</a></li>
</ol>
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		</item>
		<item>
		<title>シリコンV（７）たとえリーダーはいなくとも [参加者について]</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07/</link>
		<comments>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 04:19:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[思った]]></category>
		<category><![CDATA[行った]]></category>
		<category><![CDATA[svc09]]></category>

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		<description><![CDATA[
魅力的な人たちに、短い期間で一気に知り合えるということは、シリコンバレーカンファレンスに参加する人にとって、かなりおいしい副作用である。
参加者・関係者は、多く見積もって５０−６０人くらい、日本から渡米しある程度一緒の行動をした人は３０人弱くらい。
ついこの間まで、見ず知らずの同士だった人たちが、何十にもおよぶ訪問先を調整し、人の移動とレンタカーの配分の最適化という難解なパズルに挑み、アメリカに着いた後は、文字通り移動も食事もベッドも共にする（WoW）ということは、なかなかないことだと思う。
表ツアーがなかったため、今回のツアーはは非常に緩やかな結びつきのパーティだった。恐らく全員がリアルで一同に会したのは21日のカンファレンスのときのみで、それ以外は毎日違う人と行動し、たまたま同じ場所にいた人どうしでどうにかする、ということが連日起こる不思議な空間だった。どこまでが何チーム、というような明確な線引きはなく、全体の規模感もよく把握できず、判断は完全に各人に委ねられた。
&#60;satzz online 2.0より&#62;
と、satzzが書いているように、参加者同士はゆるやかなに結びついていた。
明確なリーダーがいたわけでもなく、明確なグループ分けがあったわけでもない。
この間、間違ったことも不幸な事故もほとんど起こらなかった。
海外旅行にはハプニングがつきものではあるけれど、今回のツアー内でぼくの知る限りで、流血事件も詐欺事件もなかったことは、すごくよかったことだ。
人によっては、一人で道を歩いて迷ったり、飛行機に乗り遅れたりもあったらしいけど、それはそれでいい経験。
ただゆるやかな結びつきであるとはいえ、集団行動を円滑に進めるには、それなりエネルギーが必要になる。人知れず、誰よりも多く仕事を引き受けた人がいたことは事実である。
毎日あらゆるところで、雑用は発生するが、そのたびに、だれにも強要されることなく積極的にこなしてくれる人が必ずいた。
この彼らの献身的な行為があったからこそ、参加者チームみんながそこそこ無事にシリコンバレーを訪問することができた。
大量に流れるメールの情報を整理してくれたり、訪問先と交渉してくれたり、疲れているにも関わらず、深夜まで宿泊代を計算してくれたり。
ぼくはレンタカーの運転を引き受けたことと、みんなのビールとスナックを買ってくることくらいしかできなかったけれど。
カンファレンス前までは、彼らとはほとんど出会ったことはなかったが、実はオンラインでの接触は頻繁にあった。
メーリングリストやFacebookで、多くの情報を交換した。
ブログやTwitterをやっている人も多く、実際に面と面を合わせなくとも、十分に互いのことを知ることができる。
シリコンバレーに関心があるのだから当たり前だろうと思うかもしれないけれど、技術やサービスが「ある」ことを知っていることと、どっぷり使い込めるようになることは違う。
こういうぼくも、SVCに参加して、アメリカではミレニアム世代とかGeneration Yとか呼ばれる人たち、もしくは日本ではハチロク世代と呼ばれる人たちと交流することで、ようやく今目の前にある新しいツールの使いこなし方をあらためて教わった。
チームの話とは少しずれるので恐縮だが、ぼくらより上の「おじさん」「おばさん」たちのネットの受容の仕方は、３段階くらいに分かれるように思う。

無関係、拒否または無視
メールや調べ物など、最低限度の使用
ショッピング・ゲーム・コミュニティ活動などへの積極的使用

年代・性別・職業にもよるだろうけれど、ほとんどの方が２と３の狭間くらいにいるのではないだろうか。
オンラインで買い物もするし、友人との連絡もメールやチャットなどですませる。ブログを書いてみたり、写真をアップロードしてグループで共有するなどもする。
ところで、ぼくが下の世代にふれて感じたのは、彼らは、

オンラインでの活動とリアルでの活動に区別をしない。オンラインも「現実」と受け止めている

という、受容の度合がさらに深い感覚を持っているらしいこと。
自分の行動・考えのほとんどをオンラインで公開しており、積極的にオンラインでの人脈を築いていくこともできる。
そういえば、かつては、メル友なんていうメールを交換するだけの知り合いを指す言葉があったけれど、人と人とがこうしてオンラインでさかんに知り合う世界においては、メル友とリア友を区別していく必要はもはやなくなっていくだろう。
話を戻そう。
シリコンバレーカンファレンス前に、直接集まったのは１−２回だけど、オンラインでは頻繁に接触していたおかげで、実際のところ、それほど素性も知れぬ他人同士の寄合い旅行というわけではなかったということである。
集まった参加者の経歴などについて少しだけ。
2010年度のカンファレンスに参加しようと計画している人などは特に知りたいと思うだろう。
特徴をまとめると、

ITに関わっている人がやはり多い。情報系の学生とか、現役エンジニアとか。だけど、それでも、５割くらい
学生と社会人の割合は、６：４くらいかな
経営・起業に関心・志向のある人が多い
圧倒的に男子が多い
意外に高学歴集団だった
英語を話せる人ばかりではない。カンファレンスをきっかけにちゃんとトレーニングをはじめる人もたくさんいた
Macユーザ、iPhoneユーザがものすごく多い
居住地は首都圏・関西圏がほとんど。あと数名、名古屋の人がいた

というあたりかな。
シリコンバレー・カンファレンス自体はオープンで、お金さえ払えば(笑)、だれでも参加できるのだけれど、そんなに多種多様な人間が集まるわけではなかった。
「シリコンバレー＝IT・ベンチャー企業」というイメージが定着しているからかもしれないけれど、やはりIT系の人が多い。
もっといろんな人が参加すれば面白くなるのに、と思う。
たとえば、もう何十年もブレイクスルーがない業界、たとえば建築業とか漁業・農業・林業に携わる人が、シリコンバレーの世界を見ると、どのような刺激を受けるのだろうか、ということが気になる。
IT系の人たちで普段からTechCrunchに目を通している人たちよりも、そうでない人たちにこそ参加してもらって、「キャリアとは何か」「ビジネスとは何か」「世界基準とは」みたいなことを議論できると、すばらしいのにと思う。
というのも、今シリコンバレーでは、ITオンリーのビジネスはそれほど明るくない。むしろ、話題はITを他の分野でどう活用するかということに焦点が当てられている、と感じた。
たとえば、バイオ・クリーンエネルギーなどが、さかんに注目を浴びている。
じきに、シリコンバレーはIT業界のメッカではなくなっていくだろう。新産業創出の場へと変わっていく、というのがぼくの今の予感である。
そのシリコンバレーへ訪問する日本人が、IT系ばかりではもったいなすぎる。
シリコンバレーという言葉の持つイメージを払拭して、もっともっと異色な人たちにシリコンバレーへ訪れてもらうようにしていければと思う。
最後に、ふたたびチームの話。
ぼくたちがシリコンバレーにいる間、少し南のロサンゼルスで、野球の世界一を決めるWBCの決勝戦が開催されていた。
ぼくはテレビを見る間もなくシリコンバレーを駆け回っていたので勝負の行方は知らなかったのだが、帰国後にニュース番組を見た時にはっとした。
優勝を決めた後のイチローがマイクに向かって言っていた言葉だ。
「向上心。これが集まったチームは強い。よくチームにはリーダーが必要だという安易な発想があるが、今回のチームにはまったく必要なかった。それぞれが向上心を持って、何かをやろうとする気持ちがあれば、そういう形はいらない。むしろないほうがいいと思った。僕は外からリーダーのような存在だと言われたけど、実際、中では何にもなかった。向上心があればチームはいくらでも可能性が見出せる」
いまだに、ぼくの心に強い印象を残している。
世界一をとったわけではないけれど、SVCチームもやはり、向上心のある個人の集まりだった。
彼らとのつきあいは、今でもずっと続いていて、twitterのタイムラインにあふれている。
これから、これから先がどうなっていくのか、とても楽しみである。
（写真の煙は、”高いところが好き”つながりで…。The photo is taken by linh.ngân）
目次

はじめに
二度目のサンディエゴの空
会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]
エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] 
声をあげよ！ [コミュニケーションについて] 
ビジネスを走らせる [起業について]
たとえリーダーはいなくとも [仲間について]
風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]
種をまく &#8211; 消えることのないもの
旅行記

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.flickr.com/photos/75199686@N00/2902441188/"><img style="border: 0pt none; display: block; margin-left: auto; margin-right: auto;" src="http://farm4.static.flickr.com/3115/2902441188_e6fc247507_o.jpg" border="0" alt="" width="560" height="625" /></a></p>
<p>魅力的な人たちに、短い期間で一気に知り合えるということは、シリコンバレーカンファレンスに参加する人にとって、かなりおいしい副作用である。</p>
<p>参加者・関係者は、多く見積もって５０−６０人くらい、日本から渡米しある程度一緒の行動をした人は３０人弱くらい。<br />
ついこの間まで、見ず知らずの同士だった人たちが、何十にもおよぶ訪問先を調整し、人の移動とレンタカーの配分の最適化という難解なパズルに挑み、アメリカに着いた後は、文字通り移動も食事もベッドも共にする（WoW）ということは、なかなかないことだと思う。</p>
<blockquote><p>表ツアーがなかったため、今回のツアーはは非常に緩やかな結びつきのパーティだった。恐らく全員がリアルで一同に会したのは21日のカンファレンスのときのみで、それ以外は毎日違う人と行動し、たまたま同じ場所にいた人どうしでどうにかする、ということが連日起こる不思議な空間だった。どこまでが何チーム、というような明確な線引きはなく、全体の規模感もよく把握できず、判断は完全に各人に委ねられた。<br />
&lt;<a href="http://d.hatena.ne.jp/satzz/20090405/1238897330">satzz online 2.0</a>より&gt;</p></blockquote>
<p>と、satzzが書いているように、参加者同士はゆるやかなに結びついていた。<br />
明確なリーダーがいたわけでもなく、明確なグループ分けがあったわけでもない。</p>
<p><span id="more-257"></span>この間、間違ったことも不幸な事故もほとんど起こらなかった。<br />
海外旅行にはハプニングがつきものではあるけれど、今回のツアー内でぼくの知る限りで、流血事件も詐欺事件もなかったことは、すごくよかったことだ。<br />
人によっては、一人で道を歩いて迷ったり、飛行機に乗り遅れたりもあったらしいけど、それはそれでいい経験。</p>
<p>ただゆるやかな結びつきであるとはいえ、集団行動を円滑に進めるには、それなりエネルギーが必要になる。人知れず、誰よりも多く仕事を引き受けた人がいたことは事実である。<br />
毎日あらゆるところで、雑用は発生するが、そのたびに、だれにも強要されることなく積極的にこなしてくれる人が必ずいた。<br />
この彼らの献身的な行為があったからこそ、参加者チームみんながそこそこ無事にシリコンバレーを訪問することができた。<br />
大量に流れるメールの情報を整理してくれたり、訪問先と交渉してくれたり、疲れているにも関わらず、深夜まで宿泊代を計算してくれたり。<br />
ぼくはレンタカーの運転を引き受けたことと、みんなのビールとスナックを買ってくることくらいしかできなかったけれど。</p>
<p>カンファレンス前までは、彼らとはほとんど出会ったことはなかったが、実はオンラインでの接触は頻繁にあった。<br />
メーリングリストやFacebookで、多くの情報を交換した。<br />
ブログやTwitterをやっている人も多く、実際に面と面を合わせなくとも、十分に互いのことを知ることができる。<br />
シリコンバレーに関心があるのだから当たり前だろうと思うかもしれないけれど、技術やサービスが「ある」ことを知っていることと、どっぷり使い込めるようになることは違う。<br />
こういうぼくも、SVCに参加して、アメリカではミレニアム世代とかGeneration Yとか呼ばれる人たち、もしくは日本ではハチロク世代と呼ばれる人たちと交流することで、ようやく今目の前にある新しいツールの使いこなし方をあらためて教わった。</p>
<p>チームの話とは少しずれるので恐縮だが、ぼくらより上の「おじさん」「おばさん」たちのネットの受容の仕方は、３段階くらいに分かれるように思う。</p>
<ol>
<li>無関係、拒否または無視</li>
<li>メールや調べ物など、最低限度の使用</li>
<li>ショッピング・ゲーム・コミュニティ活動などへの積極的使用</li>
</ol>
<p>年代・性別・職業にもよるだろうけれど、ほとんどの方が２と３の狭間くらいにいるのではないだろうか。<br />
オンラインで買い物もするし、友人との連絡もメールやチャットなどですませる。ブログを書いてみたり、写真をアップロードしてグループで共有するなどもする。</p>
<p>ところで、ぼくが下の世代にふれて感じたのは、彼らは、</p>
<ol>
<li>オンラインでの活動とリアルでの活動に区別をしない。オンラインも「現実」と受け止めている</li>
</ol>
<p>という、受容の度合がさらに深い感覚を持っているらしいこと。<br />
自分の行動・考えのほとんどをオンラインで公開しており、積極的にオンラインでの人脈を築いていくこともできる。</p>
<p>そういえば、かつては、メル友なんていうメールを交換するだけの知り合いを指す言葉があったけれど、人と人とがこうしてオンラインでさかんに知り合う世界においては、メル友とリア友を区別していく必要はもはやなくなっていくだろう。</p>
<p>話を戻そう。<br />
シリコンバレーカンファレンス前に、直接集まったのは１−２回だけど、オンラインでは頻繁に接触していたおかげで、実際のところ、それほど素性も知れぬ他人同士の寄合い旅行というわけではなかったということである。</p>
<p>集まった参加者の経歴などについて少しだけ。<br />
2010年度のカンファレンスに参加しようと計画している人などは特に知りたいと思うだろう。<br />
特徴をまとめると、</p>
<ol>
<li>ITに関わっている人がやはり多い。情報系の学生とか、現役エンジニアとか。だけど、それでも、５割くらい</li>
<li>学生と社会人の割合は、６：４くらいかな</li>
<li>経営・起業に関心・志向のある人が多い</li>
<li>圧倒的に男子が多い</li>
<li>意外に高学歴集団だった</li>
<li>英語を話せる人ばかりではない。カンファレンスをきっかけにちゃんとトレーニングをはじめる人もたくさんいた</li>
<li>Macユーザ、iPhoneユーザがものすごく多い</li>
<li>居住地は首都圏・関西圏がほとんど。あと数名、名古屋の人がいた</li>
</ol>
<p>というあたりかな。</p>
<p>シリコンバレー・カンファレンス自体はオープンで、お金さえ払えば(笑)、だれでも参加できるのだけれど、そんなに多種多様な人間が集まるわけではなかった。<br />
「シリコンバレー＝IT・ベンチャー企業」というイメージが定着しているからかもしれないけれど、やはりIT系の人が多い。</p>
<p>もっといろんな人が参加すれば面白くなるのに、と思う。<br />
たとえば、もう何十年もブレイクスルーがない業界、たとえば建築業とか漁業・農業・林業に携わる人が、シリコンバレーの世界を見ると、どのような刺激を受けるのだろうか、ということが気になる。<br />
IT系の人たちで普段から<a href="http://www.techcrunch.com/">TechCrunch</a>に目を通している人たちよりも、そうでない人たちにこそ参加してもらって、「キャリアとは何か」「ビジネスとは何か」「世界基準とは」みたいなことを議論できると、すばらしいのにと思う。</p>
<p>というのも、今シリコンバレーでは、ITオンリーのビジネスはそれほど明るくない。むしろ、話題はITを他の分野でどう活用するかということに焦点が当てられている、と感じた。<br />
たとえば、バイオ・クリーンエネルギーなどが、さかんに注目を浴びている。<br />
じきに、シリコンバレーはIT業界のメッカではなくなっていくだろう。新産業創出の場へと変わっていく、というのがぼくの今の予感である。</p>
<p>そのシリコンバレーへ訪問する日本人が、IT系ばかりではもったいなすぎる。<br />
シリコンバレーという言葉の持つイメージを払拭して、もっともっと異色な人たちにシリコンバレーへ訪れてもらうようにしていければと思う。</p>
<p>最後に、ふたたびチームの話。<br />
ぼくたちがシリコンバレーにいる間、少し南のロサンゼルスで、野球の世界一を決めるWBCの決勝戦が開催されていた。<br />
ぼくはテレビを見る間もなくシリコンバレーを駆け回っていたので勝負の行方は知らなかったのだが、帰国後にニュース番組を見た時にはっとした。</p>
<p>優勝を決めた後のイチローがマイクに向かって言っていた言葉だ。</p>
<blockquote><p>「向上心。これが集まったチームは強い。よくチームにはリーダーが必要だという安易な発想があるが、今回のチームにはまったく必要なかった。それぞれが向上心を持って、何かをやろうとする気持ちがあれば、そういう形はいらない。むしろないほうがいいと思った。僕は外からリーダーのような存在だと言われたけど、実際、中では何にもなかった。向上心があればチームはいくらでも可能性が見出せる」</p></blockquote>
<p>いまだに、ぼくの心に強い印象を残している。<br />
世界一をとったわけではないけれど、SVCチームもやはり、向上心のある個人の集まりだった。</p>
<p>彼らとのつきあいは、今でもずっと続いていて、twitterのタイムラインにあふれている。<br />
これから、これから先がどうなっていくのか、とても楽しみである。</p>
<p>（写真の煙は、”高いところが好き”つながりで…。The photo is taken by <a href="http://www.flickr.com/photos/linhngan/"><strong>linh.ngân</strong></a>）</p>
<p><strong>目次</strong></p>
<ol>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-01">はじめに</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-02">二度目のサンディエゴの空</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-03">会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-04">エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-05">声をあげよ！ [コミュニケーションについて] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-06">ビジネスを走らせる [起業について]</a></li>
<li>たとえリーダーはいなくとも [仲間について]</li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-08">風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-09">種をまく &#8211; 消えることのないもの</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10">旅行記</a></li>
</ol>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>シリコンV（６）ビジネスを走らせる [起業について]</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-06/</link>
		<comments>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-06/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 02:41:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[思った]]></category>
		<category><![CDATA[行った]]></category>
		<category><![CDATA[svc09]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://shoes.shaseki.in/?p=256</guid>
		<description><![CDATA[
アラン・ラッドリッジは、背が高く目鼻立ちのはっきりした青年だった。
大きな声で笑い話すさまは快活そのもので、少年っぽい表情を見せた。
しかし、一度人が話始めたとき、瞬時に相手の表情から睨みつけるような眼を見せた。
なにかを読み取ろうとしているのだ。
その眼光の強さが、彼の特徴をずいぶんよく表しているように思う。
３月25日、サンフランシスコ市内にあるタイ・レストラン。
フロアの角の長テーブル２つを貸し切って、パーティは行われた。
集まる人たちは、みな若くして会社を立ち上げた経験のある（あるいは立ち上げ真っ最中の）IT系起業家たち。
Posterousというサービスの創業者であるGarry Tanが取りまとめてくれて行われた。
パーティーの告知サイトには、「Drinking with Japanese Enterpreneurs」。
いやいやいやー、まだビジネス立ち上げたことなんてないですから！とは思いつつ。
彼らは非常に饒舌だった。
彼らのビジネスについて話を聞こうとすると、概略・これまでの経緯・現状・これからの展望をじっくりゆっくりと話してくれる。
まるで隠すことなんて何もないかのように、
「いやあ、ユーザ数はだいたい○○万くらいだよ」
&#8212; 開発者の数は？
「ぼくを入れて３人」
&#8212; マーケティングは？
「それはこれからの課題。今のチームにはそれをできる人がいない」
などなど。
もちろんぼくからも伝える。
３で述べた「エンジニア」タグを自分にペタリと貼って。
SlinksetのJohn&#38;Brett、MightyQuizのKelly、JamLegendのAndrew&#8230;
みんなそれぞれが輝かしいのだが、とりわけぼくの印象に残ったのがアランだった。
経歴もすごい。
高校の頃から起業を経験し、今まで関わった会社の数は６、７社に上る。
うち一つは、iLikeに売却。
今は、PictureSurfという会社を動かしている。（最近Navifyというサービスをローンチしたようです。[参考]TechCrunchの紹介記事）
とは別に昼の仕事も兼ねていることもある。超有名コンサルティングファームＢＣＧの経営コンサルタントだったこともあるようだ。
本人曰くソフトウェア以外の業界が見たくて志望したのだそうだが、他に人がいないために、結局ソフトウェア業界の担当になったそうである。
ちなみにそんな彼の経歴は、LinkedInというサイトで惜しげもなく公開されている。
まだまだ日本では、ためらいを覚える人は多いだろうが、個人の学歴・キャリアの履歴は、いまや、世界の多くの人は、あらたなチャンスを求めるために、包み隠さずネット上にのせている。
toyo213さんから聞いた話だけれど、VCから出資を受ける上でも、LinkedInでの内容が重視されるらしく、LinkedIn上で何人のコネクションを持っているか、何件の推薦を得ているかが条件に入っていることもあるようだ。
いずれに、日本の就職業界にもLinkedInのような波は押し寄せるだろう。
ところで、アランのとって、起業すること、ビジネスを走らせるということは、なんなのか？
ぼくが知っているビジネスマンとは、日本のサラリーマンであり、ビジネスマンというよりは、使い勝手のいい何でも屋。
ぼくが知っている経営者とは、とある一業種にがんじがらめにしばれられて、銀行と信用金庫に頭の上がらないおじさん社長。
ぼくが知っている起業家とは、起業家とはWebサイトを一人で作って、個人の楽しみであるかのように運営する人。
そのどれにも、あてはまらない24歳が目の前にいた。
いやでも、頭をフル回転させて、彼の思考をたどりたくなる。
ぼくから見るに、ビジネスが彼らにとって、最大級の自己表現になっているようだ。
自分の人生のある一時期を切り取って、全身全霊を込めて磨き、表現する。
ビジネスとは、金儲けをすることではない。経済という人間の活動を健全に機能させるために、金の循環を生み出すことであり、その循環の原動力となっているのが、起業家たちだ。
いつの時代も、若くて野心的で、かつ才能にあふれた彼らの情熱と体力が、経済活動の潤滑油として、バイタルなのだ。
少なくとも、シリコンバレーという場ではそうだ。遠く東の声は届かない。
シリコンバレーはシリコンバレーのやり方で世界を回している。
それも、信じられないほど革命的なことを、信じられないほどのスピードで、信じられないほどの規模で。
ぼくがあらためて言葉にする必要もないのだけれど、シリコンバレーの企業群がこの20年で起こした成果は、あまりにすごい。
影響が大きすぎて、それ以前の世界を思い出すことがほとんどできなくなっている。
彼らのおかげで、ぼくらは家で寝ころんでいるだけで、アレクサンドリアの図書館よりも圧倒的に多い情報をほぼ無料で得ることができ、10年以上音信不通だった懐かしい同級生たちとオンラインでSNSを作ることができ、さらには、やる気と適応能力さえあれば、絵でも音楽でも小説でもコードでもなんでも、自分の作り出した作品を、何十億というオーディエンスに対して発表できるようになった。
1980年生まれのぼくとしては、携帯電話もインターネットもなく18歳までを過ごした。
夜に女の子の家に電話をかけて父親が応答したときの衝撃は、しっかり体で覚えている。
コードレスが家に導入されていたのは幸いであったが、そうでなければ、居間で家族の前で女の子と話すというウルトラＣを演じる必要があったのかと思うと、さすがにぞっとする。
本当に10年前までは中高生はみんなラブレターや体育館裏というアナログなツールを使って愛を告白していたのだ。
今はきっと違うだろう。メールで「好きかも」なんて送りあってるのかな。
話がずれている。
ビジネス観の話だ。
アランは言った、「アイデアを持って、挑戦すればいい」
「でも、怖い。うまくいくかわからない」とぼく。
「だから、やるんだよ。失敗だっていい経験になる」
人生を賭して挑戦することへ怖れを口にしている臆病なぼくに対して、アランはここで、アイデアがあれば即ビジネスになると言っているのだ。
これは実は相当革新的な発想だと思う。
日本にいて、あなたのスーパーなアイデアを携えて、銀行まわりをしてみればわかる（事情を人から聞くばかりで、実際にぼくはしたことないけれど&#8230;へたれです、ごめんなさい）。
たいてい、門前払いになるだろう。
アイデアだけではビジネスにはならないのが常識だったからだ。
資金・経験・出自・家柄、すべてが加味されないと、出資すらままならない。
せっかくいいアイデアを持っていても行動する人は少なく、行動した人がいたとしても出資を受けるチャンスは少ない。
スタートラインにすらなかなか立てないというわけだ。
それにくらべて、シリコンバレー近辺では、とにかく新奇なアイデアを求めている人が多く、またそこに多額のお金を出資したいと考えている奇人が多い。
そして、その価値観に爪の先まで魅せられてしまった。
リスクを追いながらも、派手に「やってのけてしまう」という点でサーカスのようであり、
何もないところからはじまって、突然シルクハットから鳩を取り出すように新しい価値観を取り出してみせるという点でマジックのようである。
曲芸師が体を張って技を披露するように、起業家もやはり体を張って、新しい価値観・新しいサービスを走らせる。
共通の思いはあっと驚かせること！そして、この世界をもっと楽しい場所にすること。
シリコンバレー滞在中、ビジネスについては、曽我弘さんからも面白い話をうかがうことができた。
曽我弘さんについては、JTPAで行われたインタビュー記事が詳しい。
略歴を紹介させていただくと、
1935年生まれ。新日鐵にて長く勤められた後、55歳にて渡米を決意。起業を画策するが、扱う製品の権利関係などで新日鐵や日本メーカーとのやりとりの中で立ち消えになる。曽我さんはそこで諦めることなく、1996年61歳の時に、DVDオーサリング機器という当時の先端を行く技術でビジネスをはじめる。Disneyなどの大手コンテンツプロバイダ（DVDを作って売る人たち）をクライアントに持つようになり、後に、Steve Jobsと直接交渉の末、Appleに売却することになる。その後も起業を繰り返されていて、着メロの会社やＤＮＡ解析機を扱う会社などを起こす。いずれもすでに事業はたたんでいるが、さらに今年に入って、次の新しい会社をはじめられている
というものすごい方なのである。
曽我さんのお宅の、光の気持ちよく差し込むリビングにおじゃまして、話を聞いた。
曽我さんは、日本のサラリーマン時代から、シリコンバレーでの起業までの経験をつぶさに話してくれた。
途中将棋の話が出て、ちょうど梅田さんの新しい本も出ているだし、あいまいな記憶ながら引用しておくと、
将棋の名人のように、何歩も先の読める人の場合、「あ、自分はもう負ける」と気づいてしまい、そこで勝負を投げ出すことがある。
しかし、ぼくは、そこでは投げ出さない。
王が実際に相手の手に渡るまでは王手ではないのだから。
それに、相手とて、どこか一手でもポカをやらかすかもしれない。
何が起こるのかわからないときは、何かが起こるまであきらめない。
ただし、
負け戦とわかったときに、それに固執するばかりが能ではない。
あ、負けだとわかったときには、先に（事業を）たたむことも大切。
手を引く潮時を逃さないこと
また、曽我さんは昨年までバイオ・ベンチャーのサポートをされていたそうで、大量のバイオ系の文献を読みあさったそう。
ＤＮＡなどの話を織り交ぜて、若きぼくらにこんなことを伝えてくれました。

人間はちょっとやそっとでは死なない。そして、死なない限りは、チャレンジするチャンスがあるわけだから、何度でも本気でチャレンジすればよい
常に新しいことをはじめて、ちゃんと頭を使うこと。そして、それを楽しみ、快感に思えること
人間には、自分の知らない、誰ともちがうその人固有のすばらしい能力がある。それはＤＮＡが語っている。その能力を信じて、自分に自信を持つこと

最後に、ぼくがもっとも気に入った言葉がひとつ。
「人間は自分で自分（の人生）を決められる。これはすごいだよ」
夕方の６時半。日の長いシリコンバレーの太陽が傾きはじめた頃まで、胸を熱くしながら、曽我さんの話に浸っていた。
まずは、自分の芸を磨いてみんなをあっと驚かせるようなパフォーマンスを出せるようになること。
そして、正しいチームを組織し、新しい価値観を提供するプロダクトを仕立て、そして、あくなき情熱を持って世界に広めること。
それがぼくにとってのビジネスだ。
車のハンドルを握りしめて、そんなことを考えながら、ホテルへと戻ったのでした。
（写真の牛は、La Jollaダウンタウンにある彫刻。ヘンな牛を売れよと説いたビジネス書、セス・ゴーディンの「紫の牛」にちなんで）
目次

はじめに
二度目のサンディエゴの空
会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]
エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] 
声をあげよ！ [コミュニケーションについて] 
ビジネスを走らせる [起業について]
たとえリーダーはいなくとも [仲間について] 
風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]
種をまく &#8211; 消えることのないもの
旅行記

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/img-0130.jpg"><img style="border: 0pt none; display: block; margin-left: auto; margin-right: auto;" title="IMG_0130" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/img-0130-thumb.jpg" border="0" alt="IMG_0130" width="560" height="420" /></a></p>
<p>アラン・ラッドリッジは、背が高く目鼻立ちのはっきりした青年だった。<br />
大きな声で笑い話すさまは快活そのもので、少年っぽい表情を見せた。<br />
しかし、一度人が話始めたとき、瞬時に相手の表情から睨みつけるような眼を見せた。<br />
なにかを読み取ろうとしているのだ。<br />
その眼光の強さが、彼の特徴をずいぶんよく表しているように思う。</p>
<p>３月25日、サンフランシスコ市内にあるタイ・レストラン。<br />
フロアの角の長テーブル２つを貸し切って、パーティは行われた。<br />
集まる人たちは、みな若くして会社を立ち上げた経験のある（あるいは立ち上げ真っ最中の）IT系起業家たち。<a href="http://posterous.com/"><br />
Posterous</a>というサービスの創業者であるGarry Tanが取りまとめてくれて行われた。<br />
パーティーの告知サイトには、「Drinking with Japanese Enterpreneurs」。</p>
<p>いやいやいやー、まだビジネス立ち上げたことなんてないですから！とは思いつつ。</p>
<p><span id="more-256"></span>彼らは非常に饒舌だった。<br />
彼らのビジネスについて話を聞こうとすると、概略・これまでの経緯・現状・これからの展望をじっくりゆっくりと話してくれる。</p>
<p>まるで隠すことなんて何もないかのように、</p>
<p>「いやあ、ユーザ数はだいたい○○万くらいだよ」<br />
&#8212; 開発者の数は？<br />
「ぼくを入れて３人」<br />
&#8212; マーケティングは？<br />
「それはこれからの課題。今のチームにはそれをできる人がいない」</p>
<p>などなど。<br />
もちろんぼくからも伝える。</p>
<p>３で述べた「エンジニア」タグを自分にペタリと貼って。</p>
<p>SlinksetのJohn&amp;Brett、MightyQuizのKelly、JamLegendのAndrew&#8230;<br />
みんなそれぞれが輝かしいのだが、とりわけぼくの印象に残ったのがアランだった。<br />
経歴もすごい。<br />
高校の頃から起業を経験し、今まで関わった会社の数は６、７社に上る。<br />
うち一つは、<a href="http://www.ilike.com/">iLike</a>に売却。<br />
今は、PictureSurfという会社を動かしている。（最近<a href="http://navify.com/">Navify</a>というサービスをローンチしたようです。[参考]<a href="http://jp.techcrunch.com/archives/20090527navify-is-an-interface-for-viewing-wikipedia-with-photo-galleries-videos-and-comments/">TechCrunchの紹介記事</a>）<br />
とは別に昼の仕事も兼ねていることもある。超有名コンサルティングファームＢＣＧの経営コンサルタントだったこともあるようだ。<br />
本人曰くソフトウェア以外の業界が見たくて志望したのだそうだが、他に人がいないために、結局ソフトウェア業界の担当になったそうである。</p>
<p>ちなみにそんな彼の経歴は、<a href="http://www.linkedin.com/">LinkedIn</a>というサイトで惜しげもなく公開されている。<br />
まだまだ日本では、ためらいを覚える人は多いだろうが、個人の学歴・キャリアの履歴は、いまや、世界の多くの人は、あらたなチャンスを求めるために、包み隠さずネット上にのせている。<br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/toyo213/">toyo213</a>さんから聞いた話だけれど、VCから出資を受ける上でも、LinkedInでの内容が重視されるらしく、LinkedIn上で何人のコネクションを持っているか、何件の推薦を得ているかが条件に入っていることもあるようだ。<br />
いずれに、日本の就職業界にもLinkedInのような波は押し寄せるだろう。</p>
<p>ところで、アランのとって、起業すること、ビジネスを走らせるということは、なんなのか？</p>
<p>ぼくが知っているビジネスマンとは、日本のサラリーマンであり、ビジネスマンというよりは、使い勝手のいい何でも屋。<br />
ぼくが知っている経営者とは、とある一業種にがんじがらめにしばれられて、銀行と信用金庫に頭の上がらないおじさん社長。<br />
ぼくが知っている起業家とは、起業家とはWebサイトを一人で作って、個人の楽しみであるかのように運営する人。</p>
<p>そのどれにも、あてはまらない24歳が目の前にいた。<br />
いやでも、頭をフル回転させて、彼の思考をたどりたくなる。</p>
<p>ぼくから見るに、ビジネスが彼らにとって、最大級の自己表現になっているようだ。<br />
自分の人生のある一時期を切り取って、全身全霊を込めて磨き、表現する。<br />
ビジネスとは、金儲けをすることではない。経済という人間の活動を健全に機能させるために、金の循環を生み出すことであり、その循環の原動力となっているのが、起業家たちだ。<br />
いつの時代も、若くて野心的で、かつ才能にあふれた彼らの情熱と体力が、経済活動の潤滑油として、バイタルなのだ。<br />
少なくとも、シリコンバレーという場ではそうだ。遠く東の声は届かない。</p>
<p>シリコンバレーはシリコンバレーのやり方で世界を回している。<br />
それも、信じられないほど革命的なことを、信じられないほどのスピードで、信じられないほどの規模で。</p>
<p>ぼくがあらためて言葉にする必要もないのだけれど、シリコンバレーの企業群がこの20年で起こした成果は、あまりにすごい。<br />
影響が大きすぎて、それ以前の世界を思い出すことがほとんどできなくなっている。</p>
<p>彼らのおかげで、ぼくらは家で寝ころんでいるだけで、アレクサンドリアの図書館よりも圧倒的に多い情報をほぼ無料で得ることができ、10年以上音信不通だった懐かしい同級生たちとオンラインでSNSを作ることができ、さらには、やる気と適応能力さえあれば、絵でも音楽でも小説でもコードでもなんでも、自分の作り出した作品を、何十億というオーディエンスに対して発表できるようになった。</p>
<p>1980年生まれのぼくとしては、携帯電話もインターネットもなく18歳までを過ごした。<br />
夜に女の子の家に電話をかけて父親が応答したときの衝撃は、しっかり体で覚えている。<br />
コードレスが家に導入されていたのは幸いであったが、そうでなければ、居間で家族の前で女の子と話すというウルトラＣを演じる必要があったのかと思うと、さすがにぞっとする。<br />
本当に10年前までは中高生はみんなラブレターや体育館裏というアナログなツールを使って愛を告白していたのだ。<br />
今はきっと違うだろう。メールで「好きかも」なんて送りあってるのかな。</p>
<p>話がずれている。<br />
ビジネス観の話だ。<br />
アランは言った、「アイデアを持って、挑戦すればいい」<br />
「でも、怖い。うまくいくかわからない」とぼく。<br />
「だから、やるんだよ。失敗だっていい経験になる」<br />
人生を賭して挑戦することへ怖れを口にしている臆病なぼくに対して、アランはここで、アイデアがあれば即ビジネスになると言っているのだ。</p>
<p>これは実は相当革新的な発想だと思う。<br />
日本にいて、あなたのスーパーなアイデアを携えて、銀行まわりをしてみればわかる（事情を人から聞くばかりで、実際にぼくはしたことないけれど&#8230;へたれです、ごめんなさい）。<br />
たいてい、門前払いになるだろう。<br />
アイデアだけではビジネスにはならないのが常識だったからだ。<br />
資金・経験・出自・家柄、すべてが加味されないと、出資すらままならない。<br />
せっかくいいアイデアを持っていても行動する人は少なく、行動した人がいたとしても出資を受けるチャンスは少ない。<br />
スタートラインにすらなかなか立てないというわけだ。<br />
それにくらべて、シリコンバレー近辺では、とにかく新奇なアイデアを求めている人が多く、またそこに多額のお金を出資したいと考えている奇人が多い。<br />
そして、その価値観に爪の先まで魅せられてしまった。</p>
<p>リスクを追いながらも、派手に「やってのけてしまう」という点でサーカスのようであり、<br />
何もないところからはじまって、突然シルクハットから鳩を取り出すように新しい価値観を取り出してみせるという点でマジックのようである。</p>
<p>曲芸師が体を張って技を披露するように、起業家もやはり体を張って、新しい価値観・新しいサービスを走らせる。<br />
共通の思いはあっと驚かせること！そして、この世界をもっと楽しい場所にすること。</p>
<p>シリコンバレー滞在中、ビジネスについては、曽我弘さんからも面白い話をうかがうことができた。<br />
曽我弘さんについては、JTPAで行われた<a href="http://www.jtpa.org/sv_info/interview/000031.html">インタビュー記事</a>が詳しい。<br />
略歴を紹介させていただくと、</p>
<blockquote><p>1935年生まれ。新日鐵にて長く勤められた後、55歳にて渡米を決意。起業を画策するが、扱う製品の権利関係などで新日鐵や日本メーカーとのやりとりの中で立ち消えになる。曽我さんはそこで諦めることなく、1996年61歳の時に、DVDオーサリング機器という当時の先端を行く技術でビジネスをはじめる。Disneyなどの大手コンテンツプロバイダ（DVDを作って売る人たち）をクライアントに持つようになり、後に、Steve Jobsと直接交渉の末、Appleに売却することになる。その後も起業を繰り返されていて、着メロの会社やＤＮＡ解析機を扱う会社などを起こす。いずれもすでに事業はたたんでいるが、さらに今年に入って、次の新しい会社をはじめられている</p></blockquote>
<p>というものすごい方なのである。</p>
<p>曽我さんのお宅の、光の気持ちよく差し込むリビングにおじゃまして、話を聞いた。<br />
曽我さんは、日本のサラリーマン時代から、シリコンバレーでの起業までの経験をつぶさに話してくれた。</p>
<p>途中将棋の話が出て、ちょうど<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%8B%E3%82%89%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%82%92%E8%A6%B3%E3%82%8B-%E7%BE%BD%E7%94%9F%E5%96%84%E6%B2%BB%E3%81%A8%E7%8F%BE%E4%BB%A3-%E6%A2%85%E7%94%B0%E6%9C%9B%E5%A4%AB/dp/4120040283/ref=sr_1_1?ie=UTF8&amp;s=books&amp;qid=1244427596&amp;sr=8-1">梅田さんの新しい本</a>も出ているだし、あいまいな記憶ながら引用しておくと、</p>
<blockquote><p>将棋の名人のように、何歩も先の読める人の場合、「あ、自分はもう負ける」と気づいてしまい、そこで勝負を投げ出すことがある。<br />
しかし、ぼくは、そこでは投げ出さない。<br />
王が実際に相手の手に渡るまでは王手ではないのだから。<br />
それに、相手とて、どこか一手でもポカをやらかすかもしれない。<br />
何が起こるのかわからないときは、何かが起こるまであきらめない。</p></blockquote>
<p>ただし、</p>
<blockquote><p>負け戦とわかったときに、それに固執するばかりが能ではない。<br />
あ、負けだとわかったときには、先に（事業を）たたむことも大切。<br />
手を引く潮時を逃さないこと</p></blockquote>
<p>また、曽我さんは昨年までバイオ・ベンチャーのサポートをされていたそうで、大量のバイオ系の文献を読みあさったそう。<br />
ＤＮＡなどの話を織り交ぜて、若きぼくらにこんなことを伝えてくれました。</p>
<ol>
<li><strong>人間はちょっとやそっとでは死なない</strong>。そして、死なない限りは、チャレンジするチャンスがあるわけだから、何度でも本気でチャレンジすればよい</li>
<li>常に新しいことをはじめて、<strong>ちゃんと頭を使うこと</strong>。そして、それを楽しみ、快感に思えること</li>
<li>人間には、自分の知らない、<strong>誰ともちがうその人固有のすばらしい能力</strong>がある。それはＤＮＡが語っている。その能力を信じて、自分に自信を持つこと</li>
</ol>
<p>最後に、ぼくがもっとも気に入った言葉がひとつ。</p>
<blockquote><p>「人間は自分で自分（の人生）を決められる。これはすごいだよ」</p></blockquote>
<p>夕方の６時半。日の長いシリコンバレーの太陽が傾きはじめた頃まで、胸を熱くしながら、曽我さんの話に浸っていた。</p>
<p>まずは、自分の芸を磨いてみんなをあっと驚かせるようなパフォーマンスを出せるようになること。<br />
そして、正しいチームを組織し、新しい価値観を提供するプロダクトを仕立て、そして、あくなき情熱を持って世界に広めること。<br />
それがぼくにとってのビジネスだ。</p>
<p>車のハンドルを握りしめて、そんなことを考えながら、ホテルへと戻ったのでした。</p>
<p>（写真の牛は、La Jollaダウンタウンにある彫刻。ヘンな牛を売れよと説いたビジネス書、<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%B4%AB%E3%81%AE%E7%89%9B%E3%80%8D%E3%82%92%E5%A3%B2%E3%82%8C-%E3%82%BB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3/dp/4478502242">セス・ゴーディンの「紫の牛」</a>にちなんで）</p>
<p><strong>目次</strong></p>
<ol>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-01">はじめに</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-02">二度目のサンディエゴの空</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-03">会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-04">エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-05">声をあげよ！ [コミュニケーションについて] </a></li>
<li>ビジネスを走らせる [起業について]</li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07">たとえリーダーはいなくとも [仲間について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-08">風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-09">種をまく &#8211; 消えることのないもの</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10">旅行記</a></li>
</ol>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>シリコンV（５）声をあげよ！ [コミュニケーションについて]</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-05/</link>
		<comments>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-05/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 02:13:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[思った]]></category>
		<category><![CDATA[行った]]></category>
		<category><![CDATA[svc09]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://shoes.shaseki.in/?p=253</guid>
		<description><![CDATA[
シリコンバレーのある企業のオフィスに訪問している。
担当の社員さんが一行を引き連れてくれている。
流れるような丁寧な説明が進む。
彼女は十分話したと満足して、まわりを見渡す。
東洋の顔をした人たちはみんな顔の表情がわかりづらい。しかし、怪訝そうな顔をしているわけではない。説明は十分に伝わっただろう。
いつもと同じように、ありふれた一言で新しいセッションをはじめる。
「さあ、みなさん、質問はありますか？」
このとき、さっと手を上げること人が何人いるだろうか。
手を上げて、彼女とスリリングなやりとりをできる人はどれくらいいるだろうか。
はっきり言って、日本人の集団というのは、この点に関しては、絶望的なほどダメである。
英語が苦手だからという話ではなくて、日本語での講演などに出ても事情は変わらない。
集団の中で手を上げて、みんなの目の前で話しはじめるということが苦手な人が多すぎるように思う。
ひとつ大切なことがある。質問は疑問ではない。
つまり、「わかりづらかった部分を、クリアにしてもらうための説明をもらうこと」が質問ではない。
相手の説明をきちんと聞いていると、必ず自分の考えとを照らし合わせてみれば、なにか、かみ合わないなと感じる溝があるずだ。
その溝をうまくつまみ出して、相手に差し出すことが質問なのだと思う。
そこから、スピーカーとその場でその溝を埋める建設的な対話がはじまるのが理想。
会社員時代の新人研修で、いろんな講師がやってくるたびに手を上げていたぼくをみて、同期の人が、
「よくそんなに質問が出てくるなあ」
とつぶやいた。
「ただ話を聞いていて、キノコのように生えてくるものじゃない。考えているんだ」
とたしなめるように言ったのを覚えている。ほんと、僭越ながらですが&#8230;。どきまぎ。
質問をするからには、いい質問をしたいです。が、千里の道も一歩から。
まずは、場当たり的な質問でもいいので、とにかく手を上げて、プレゼンターと会話する経験を積むこと。
質問は疑問ではないと言ったが、疑問があるなら、聞けばいい。
「○○の意味がよくのみこめなかったのですが、もういちど説明してもらえますか
I didn&#8217;t get the meaning of ~~. Could you explain that (to us) again?」
「結局、○○って何に役立つのですか？
So what is ~~ for?」
「○○は、××とどう違うのですか？
How does ○○ differ from ××？ / Comparing to ××, what is a better feature/point/&#8230; of ○○?」
などが使いまわしの聞く表現だろう。
ぼくが、今回のシリコンバレー旅行中に訪問した企業先でも、ほぼこれに類する質問に終始してしまってように思う。
だけど、こんな質問ばかりでは、あまり発展的でない。もう少し面白くて場が活気だつような質問ができるように心がけていきたい。
たとえば、
「A社についての話はちょっと違うかなと思います。A社はマーケティングがすばらしかったから大ヒットしたという話でしたが、ぼくはA社は製品その物が他社のものよりずっと優れているからこそ成功したんじゃないかと思います。そこで、A社の製品と他社製品とのクオリティの違いについて、考えをお聞きしたいのですが？
I disagree with what you said on CompanyA. You said CompanyA did succeeded because their marketing strategy was great, but they seemed [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/shout.png"><img style="border: 0pt none; display: block; margin-left: auto; margin-right: auto;" title="shout" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/shout-thumb.png" border="0" alt="shout" width="560" height="420" /></a></p>
<p>シリコンバレーのある企業のオフィスに訪問している。<br />
担当の社員さんが一行を引き連れてくれている。<br />
流れるような丁寧な説明が進む。<br />
彼女は十分話したと満足して、まわりを見渡す。<br />
東洋の顔をした人たちはみんな顔の表情がわかりづらい。しかし、怪訝そうな顔をしているわけではない。説明は十分に伝わっただろう。<br />
いつもと同じように、ありふれた一言で新しいセッションをはじめる。<br />
「さあ、みなさん、質問はありますか？」</p>
<p>このとき、さっと手を上げること人が何人いるだろうか。<br />
手を上げて、彼女とスリリングなやりとりをできる人はどれくらいいるだろうか。<br />
はっきり言って、日本人の集団というのは、この点に関しては、絶望的なほどダメである。<br />
英語が苦手だからという話ではなくて、日本語での講演などに出ても事情は変わらない。<br />
集団の中で手を上げて、みんなの目の前で話しはじめるということが苦手な人が多すぎるように思う。</p>
<p><span id="more-253"></span>ひとつ大切なことがある。質問は疑問ではない。<br />
つまり、「わかりづらかった部分を、クリアにしてもらうための説明をもらうこと」が質問ではない。<br />
相手の説明をきちんと聞いていると、必ず自分の考えとを照らし合わせてみれば、なにか、かみ合わないなと感じる溝があるずだ。<br />
その溝をうまくつまみ出して、相手に差し出すことが質問なのだと思う。<br />
そこから、スピーカーとその場でその溝を埋める建設的な対話がはじまるのが理想。</p>
<p>会社員時代の新人研修で、いろんな講師がやってくるたびに手を上げていたぼくをみて、同期の人が、<br />
「よくそんなに質問が出てくるなあ」<br />
とつぶやいた。<br />
「ただ話を聞いていて、キノコのように生えてくるものじゃない。考えているんだ」<br />
とたしなめるように言ったのを覚えている。ほんと、僭越ながらですが&#8230;。どきまぎ。</p>
<p>質問をするからには、いい質問をしたいです。が、千里の道も一歩から。<br />
まずは、場当たり的な質問でもいいので、とにかく手を上げて、プレゼンターと会話する経験を積むこと。<br />
質問は疑問ではないと言ったが、疑問があるなら、聞けばいい。</p>
<blockquote><p>「○○の意味がよくのみこめなかったのですが、もういちど説明してもらえますか<br />
I didn&#8217;t get the meaning of ~~. Could you explain that (to us) again?」</p></blockquote>
<blockquote><p>「結局、○○って何に役立つのですか？<br />
So what is ~~ for?」</p></blockquote>
<blockquote><p>「○○は、××とどう違うのですか？<br />
How does ○○ differ from ××？ / Comparing to ××, what is a better feature/point/&#8230; of ○○?」</p></blockquote>
<p>などが使いまわしの聞く表現だろう。</p>
<p>ぼくが、今回のシリコンバレー旅行中に訪問した企業先でも、ほぼこれに類する質問に終始してしまってように思う。<br />
だけど、こんな質問ばかりでは、あまり発展的でない。もう少し面白くて場が活気だつような質問ができるように心がけていきたい。</p>
<p>たとえば、</p>
<blockquote><p>「A社についての話はちょっと違うかなと思います。A社はマーケティングがすばらしかったから大ヒットしたという話でしたが、ぼくはA社は製品その物が他社のものよりずっと優れているからこそ成功したんじゃないかと思います。そこで、A社の製品と他社製品とのクオリティの違いについて、考えをお聞きしたいのですが？<br />
I disagree with what you said on CompanyA. You said CompanyA did succeeded because their marketing strategy was great, but they seemed to made a great success because their product itself was apparently superiror than others. What do you think about the difference between the quality of their product and that of others?」</p></blockquote>
<p>家でひとり、頭でゆっくり考えれば、如何ようにもこんな質問を思いつくことができる。<br />
自戒と羨望の意を込めて書くが、こういう発言がその場でできるようになると、人から話を聞くことが本当に楽しくなると思う。<br />
一方的な説明、まるで壇上の教授と頷くばかりの生徒という関係ではなくて、対応なパートナーとして深い議論に入っていくことができる。<br />
それに、刺激的な質問があると、その場の空気ががらっと変わり、他の参加者にもとてもいい影響を与えることになると思う。</p>
<p>齋藤孝さん著書の「質問力」によると、いい質問の定義は、以下の３つ。</p>
<ol>
<li>具体的かつ本質的</li>
<li>相手が話したいかつ自分が聞きたい</li>
<li>現在のコンテクストに沿うかつ相手の経験や過去のコンテクストに沿う</li>
</ol>
<p>A社のプロダクトとマーケティングの例について考えてみると、自分の考えと相手の考えの差異を突いているわけで、</p>
<ol>
<li>具体的である。（本質的かどうかは文脈によるが、相当些末なこと・重箱の隅を突くような質問でなければ、なにかしら本質的な話題に引っかかるだろう）</li>
<li>意見の相違点こそ、まさに自分の聞きたいことであり、相手にとっては説得しがいのある論点となる</li>
<li>意見の相違が何に起因するのかという視点が導入されれば、相手の経験や過去といった文脈も活用されることになるだろう<br />
と、いい質問の条件にほぼ含まれるようになる。</li>
</ol>
<p>いい質問者になるためのコツは、テレビでも読書でも友人との会話でも、「ここでどういう質問をしたら話題が広がるだろう」とちょこっと脳裏に浮かべてみる癖をつけることが一番だろう。<br />
その際に、この3つのポイントを満たしているかと、少しばかり</p>
<p>そもそも意見なんてないよ、という分野もあるだろう。<br />
突然「メンチ外野手の起用についてどう思いますか」と聞かれても、阪神ファンでもないかぎり、答えにつまるだろう。<br />
人生は短く自分のコミットできる領域は狭い。<br />
広大な世界のほとんどは自分に関係がないのであり、言ってしまえば、意見など持っている分野の方が珍しいともいえる。<br />
そんなときには、ある比較可能な２つの論を提供してあげれば、どれもいい質問になりうる。</p>
<p>たとえば、</p>
<ul>
<li>「あなたは10年前の著書では逆のことを述べていたが、どのような思考の変化があったのか」</li>
<li>「世間ではAの導入については賛成の意見が多いが、あえて反対する理由は何なのだろうか」</li>
<li>「あなたはずっと自分が被害者であるかの立場で意見を述べているが、加害者の立場に立ったとするとどういう風に感じるだろうか」</li>
<li>「メンチを起用するのでなく、ファーム送りにしてはどうか」</li>
</ul>
<p>手厳しい感じの質問が多いですが、「AではなくB」というフォーマットはかなり応用が効く。<br />
こういった基本文型を活用して、恐れることなく、自分の意見を延べ、相手との溝を述べ、埋める会話ができるようになってほしい（というか、ぼくが一番そうなりたい）。</p>
<p>シリコンバレー訪問の経験で、質問の大切さを特に意識した場面をいくつかリストしてみると･･･</p>
<ul>
<li>シリコンバレーカンファレンスの講演・パネルの後。ここで自分の意見を述べないと、「なぜあなたはアメリカまで来たのですか」になってしまう。</li>
<li>PARCで、大量の遅刻者が出たため、ジョン・ナイツ博士と雑談して、持て余した時間を消費していたとき。突然のハプニングにも、大人の余裕で対応できるようになりたいものです。</li>
<li>IDEO訪問ツアー。オフィスを移動しながら説明をうけたので、講義スタイルというよりは、ざっくばらんな会話スタイルで話をした。テンポよく質問を投げあえるリズム感も大事だったなぁ</li>
<li>Dropbox訪問時。CEOのDrewさんがあまりにいい人すぎて、どんな質問もウェルカムだと言われたので、かえってとまどってしまった。</li>
<li>よく存じ上げない参加者と車に乗っていたとき。サンフランシスコまでマウンテンビューからはおよそ40分もあったりする。この車内の会話でいい質問をすると、その人とすごく近づけた気がしてうれしかった。</li>
</ul>
<p>などなど。</p>
<p>せっかく世界でも一流の企業に訪問し、そこで働くスーパーな方たちと話ができるわけだから、くれぐれも世間話やWikiにあるようなトークで時間を浪費しないようにしてくださいね &gt; SVC2010参加者のみなさま！</p>
<p>（写真は、Flickrで見つかるいろんな人たちの叫び顔。金魚もシャウトしている）</p>
<p><strong>目次</strong></p>
<ol>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-01">はじめに</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-02">二度目のサンディエゴの空</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-03">会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-04">エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について] </a></li>
<li>声をあげよ！ [コミュニケーションについて]</li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-06">ビジネスを走らせる [起業について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07">たとえリーダーはいなくとも [仲間について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-08">風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-09">種をまく &#8211; 消えることのないもの</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10">旅行記</a></li>
</ol>
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		</item>
		<item>
		<title>シリコンV（４）エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について]</title>
		<link>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-04/</link>
		<comments>http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-04/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 08 Jun 2009 01:12:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tomoya</dc:creator>
				<category><![CDATA[思った]]></category>
		<category><![CDATA[行った]]></category>
		<category><![CDATA[svc09]]></category>

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		<description><![CDATA[
シリコンバレーで初対面の人に会ったとしよう。相手は日本の事情は知らない。さて、あなたはその人になんと自己紹介するだろうか？
日本人同士の場合、あくまで例であるが、
「なにやってるの？」
「いやー、普通の会社員ですよぉ」
「どういう業界ですか？」
「製造で、浜松の方の」
「ああ、あのバイクの」
「いや、そっちじゃなくて」
という会話をやったりすること、ありますよね。
ストリッパーがじらしじらし下着を脱いでいくように、自己紹介する人。
これは二つの点ではてながつく。
はてな１．普通とか言ってしまう可笑しみ
はてな２．いたずらに会社名を伏せようとする白々しさ
はてな１の「普通の会社員」は一種の謙遜です。日本的で奥ゆかしいし、これは別段悪くないように思う。
はてな２の社名を伏せるのも、婉曲による言葉の遊びです。それに事情に詳しい人ならGuessできるような証拠を与えているわけだし。
いずれ相手に会社名が伝わるのも時間の問題だ。
それに、間接的な表現の連続は、人をより知的に見せる効果があるように思う。あるいは、恋の駆け引きのようで色めいている。
それはさておき、この会話で問題だと思われるのは、
あなたは何者かを問われているときに、所属団体名で答えようとすること
である。
当然ながら、勤務先の会社の名称だけを会話に出せば、「その会社はなにをやっているの？」という話になるだろう。
そこで、会社の話をする。
しかし、あなたは企業の経営者でない。
せいぜいWikipediaに書いてあるような事典ライクなことを話したうえで、身近な職場の「裏」事情程度しか話せないだろう。
「経営陣は大風呂敷を広げていますが、現場はてんてこまいで、へへぇ」
「うちだって、もうあれですよ」
ほとんどの場合、残業自慢、職場悪環境自慢、新人無能さ自慢など実にもったいない会話になってしまう。
未知の人に出会ったときこそ、会社の話ではなく、あなたの話をしたほうがいい。
知らない人に自分のことを開くのは気が引けるかもしれないが、無為に世間話で場を濁すよりも、よっぽど有益な時間になるだろう。
そのためのきっかけは、とても簡単だと思う。
ちゃんと自分の職種を答え、自分の職業の専門性を人に伝えること。
シリコンバレー訪問中には本当にたくさんの人に会った。
JTPAという団体による企画がメインイベントだったので、出会う人の大半は日本人であったが、もちろん英語を使って自己紹介をする場面も多くあった。
ぼくの場合は、会社員経験のすべてをエンジニアとして過ごしてきたので、「I am a software engineer.」と答えていたが、これでもまだ守備範囲が広すぎると思っている。
技術者だったり、技術に詳しい起業家だったりすると、相手によって、「web developer」とか「acoustics software engineer」とか「flash developer」だとか適宜使い分けていた。
専門分野を変えて話すのは、相手がぼくのどの側面に興味を持つだろうかと考えているからだ。
ただ言いすぎてもしかたない。
クイズを出し合えるブログパーツをサービスとして出しているMightyQuizのCOOのKellyさんと話したら、今は英語だけのサービスだけどいずれ多言語化できれば日本市場にもとても関心があると言っていた。そこで、調子に乗って「web strategist for japanese market」と自分を紹介して、「日本で展開するなら協力できるよ」とか言ったけれど、一介のエンジニアにマーケットのことがわかるはずはない。
ちゃっかり大風呂敷を広げてしまっていた。
反省。
職業観ということで思い出されるのが、シリコンバレーカンファレンスで、金島先生が壇上でおっしゃった一言。
「シリコンバレーのエンジニアは、プロのスポーツ選手のように、業界に属している感覚が強い。自分の力を発揮し高給を得るためなら、簡単にチームを移籍する」
その言葉を耳にしたときの、まさに文字通り膝をポンと叩きたくなった。
プロとは、会社の中だけじゃなくて、業界の中で活躍している人だ！ 業界に属している感覚、これを忘れなければ、社外の動向にも目を配ることができるし、正しく自分をリードしていくことができる。
反対に、近視眼的に社内のことしか目に入らなくなると、社内でのローカルな知やネットワークには強くなっても外の会社ではまるで役に立たない人になってしまう。終身雇用全盛期にはそれでも良かったのかもしれないが、今はあまり危険すぎる。
どんな大きな会社で働いている人も、その会社が５年後にも存続しているだろうとのん気に仮定するのはやめて、「この会社がなくなった場合にも生き残っていけるだろうか」ときっちりシミュレートしてみるといいだろう。
そこで不安に思うのであれば、社外でも通用する技を身につける訓練を開始すればいい。
そして、改めて自分の専門性を人に伝えることができるように定義しなおせばいい。
ところで、シリコンバレーでは、おそらくだが、エンジニアと名乗るのと、そうでない職種を名乗るのとで、ずいぶん違いがある。
基本的にエンジニア優位な生態系であり、シリコンバレーに生息する人の大半の人がエンジニアおよびエンジニア経験のあるマネジメント職である。
IT業界の事情や技術のことをまるで知らずに来るということは、サーフボードを持たずにオアフ島ノースショアに来たようなもので、
「わざわざ日本から何をしにきたんだい？」
という顔をされるにちがいない。
とにかく、ノン・エンジニアの人は、シリコンバレーでは大変そうである。
まとめ：
私はなにものかということを、日本の事情を知らない人にもきちんと伝えられるような肩書きを持っておくと、話がはずみやすいよ。くれぐれも会社名・大学名だけで説明しきった気にならないように。
（写真は、ぼくの名刺デザイン）
目次

はじめに
二度目のサンディエゴの空
会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]
エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について]
声をあげよ！ [コミュニケーションについて] 
ビジネスを走らせる [起業について]
たとえリーダーはいなくとも [仲間について] 
風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]
種をまく &#8211; 消えることのないもの
旅行記

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			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/namecard.png"><img style="border-bottom: 0px; border-left: 0px; display: block; float: none; margin-left: auto; border-top: 0px; margin-right: auto; border-right: 0px" title="namecard" src="http://shoes.shaseki.in/wp-content/uploads/2009/06/namecard-thumb.png" border="0" alt="namecard" width="387" height="286" /></a></p>
<p>シリコンバレーで初対面の人に会ったとしよう。相手は日本の事情は知らない。さて、あなたはその人になんと自己紹介するだろうか？</p>
<p><span id="more-248"></span>日本人同士の場合、あくまで例であるが、</p>
<blockquote><p>「なにやってるの？」<br />
「いやー、普通の会社員ですよぉ」<br />
「どういう業界ですか？」<br />
「製造で、浜松の方の」<br />
「ああ、あのバイクの」<br />
「いや、そっちじゃなくて」</p></blockquote>
<p>という会話をやったりすること、ありますよね。<br />
ストリッパーがじらしじらし下着を脱いでいくように、自己紹介する人。</p>
<p>これは二つの点ではてながつく。</p>
<p>はてな１．普通とか言ってしまう可笑しみ<br />
はてな２．いたずらに会社名を伏せようとする白々しさ</p>
<p>はてな１の「普通の会社員」は一種の謙遜です。日本的で奥ゆかしいし、これは別段悪くないように思う。<br />
はてな２の社名を伏せるのも、婉曲による言葉の遊びです。それに事情に詳しい人ならGuessできるような証拠を与えているわけだし。<br />
いずれ相手に会社名が伝わるのも時間の問題だ。<br />
それに、間接的な表現の連続は、人をより知的に見せる効果があるように思う。あるいは、恋の駆け引きのようで色めいている。</p>
<p>それはさておき、この会話で問題だと思われるのは、</p>
<p><strong>あなたは何者かを問われているときに、所属団体名で答えようとすること</strong></p>
<p>である。</p>
<p>当然ながら、勤務先の会社の名称だけを会話に出せば、「その会社はなにをやっているの？」という話になるだろう。<br />
そこで、会社の話をする。<br />
しかし、あなたは企業の経営者でない。<br />
せいぜいWikipediaに書いてあるような事典ライクなことを話したうえで、身近な職場の「裏」事情程度しか話せないだろう。</p>
<p>「経営陣は大風呂敷を広げていますが、現場はてんてこまいで、へへぇ」<br />
「うちだって、もうあれですよ」</p>
<p>ほとんどの場合、残業自慢、職場悪環境自慢、新人無能さ自慢など実にもったいない会話になってしまう。</p>
<p>未知の人に出会ったときこそ、会社の話ではなく、あなたの話をしたほうがいい。<br />
知らない人に自分のことを開くのは気が引けるかもしれないが、無為に世間話で場を濁すよりも、よっぽど有益な時間になるだろう。<br />
そのためのきっかけは、とても簡単だと思う。<strong><br />
ちゃんと自分の職種を答え、自分の職業の専門性を人に伝えること。</strong></p>
<p>シリコンバレー訪問中には本当にたくさんの人に会った。<br />
JTPAという団体による企画がメインイベントだったので、出会う人の大半は日本人であったが、もちろん英語を使って自己紹介をする場面も多くあった。<br />
ぼくの場合は、会社員経験のすべてをエンジニアとして過ごしてきたので、「I am a software engineer.」と答えていたが、これでもまだ守備範囲が広すぎると思っている。<br />
技術者だったり、技術に詳しい起業家だったりすると、相手によって、「web developer」とか「acoustics software engineer」とか「flash developer」だとか適宜使い分けていた。<br />
専門分野を変えて話すのは、相手がぼくのどの側面に興味を持つだろうかと考えているからだ。</p>
<p>ただ言いすぎてもしかたない。<br />
クイズを出し合えるブログパーツをサービスとして出している<a href="http://www.mightyquiz.com/">MightyQuiz</a>のCOOのKellyさんと話したら、今は英語だけのサービスだけどいずれ多言語化できれば日本市場にもとても関心があると言っていた。そこで、調子に乗って「web strategist for japanese market」と自分を紹介して、「日本で展開するなら協力できるよ」とか言ったけれど、一介のエンジニアにマーケットのことがわかるはずはない。<br />
ちゃっかり大風呂敷を広げてしまっていた。<br />
反省。</p>
<p>職業観ということで思い出されるのが、シリコンバレーカンファレンスで、金島先生が壇上でおっしゃった一言。</p>
<blockquote><p>「シリコンバレーのエンジニアは、プロのスポーツ選手のように、業界に属している感覚が強い。自分の力を発揮し高給を得るためなら、簡単にチームを移籍する」</p></blockquote>
<p>その言葉を耳にしたときの、まさに文字通り膝をポンと叩きたくなった。</p>
<p>プロとは、会社の中だけじゃなくて、業界の中で活躍している人だ！ 業界に属している感覚、これを忘れなければ、社外の動向にも目を配ることができるし、正しく自分をリードしていくことができる。<br />
反対に、近視眼的に社内のことしか目に入らなくなると、社内でのローカルな知やネットワークには強くなっても外の会社ではまるで役に立たない人になってしまう。終身雇用全盛期にはそれでも良かったのかもしれないが、今はあまり危険すぎる。</p>
<p>どんな大きな会社で働いている人も、その会社が５年後にも存続しているだろうとのん気に仮定するのはやめて、「この会社がなくなった場合にも生き残っていけるだろうか」ときっちりシミュレートしてみるといいだろう。<br />
そこで不安に思うのであれば、社外でも通用する技を身につける訓練を開始すればいい。<br />
そして、改めて自分の専門性を人に伝えることができるように定義しなおせばいい。</p>
<p>ところで、シリコンバレーでは、おそらくだが、エンジニアと名乗るのと、そうでない職種を名乗るのとで、ずいぶん違いがある。<br />
基本的にエンジニア優位な生態系であり、シリコンバレーに生息する人の大半の人がエンジニアおよびエンジニア経験のあるマネジメント職である。<br />
IT業界の事情や技術のことをまるで知らずに来るということは、サーフボードを持たずにオアフ島ノースショアに来たようなもので、<br />
「わざわざ日本から何をしにきたんだい？」<br />
という顔をされるにちがいない。</p>
<p>とにかく、ノン・エンジニアの人は、シリコンバレーでは大変そうである。</p>
<p>まとめ：<br />
私はなにものかということを、日本の事情を知らない人にもきちんと伝えられるような肩書きを持っておくと、話がはずみやすいよ。くれぐれも会社名・大学名だけで説明しきった気にならないように。</p>
<p>（写真は、ぼくの名刺デザイン）</p>
<p><strong>目次</strong></p>
<ol>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-01">はじめに</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-02">二度目のサンディエゴの空</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-03">会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]</a></li>
<li>エンジニアですか、それ以外のなにかですか？ [自己紹介について]</li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-05">声をあげよ！ [コミュニケーションについて] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-06">ビジネスを走らせる [起業について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-07">たとえリーダーはいなくとも [仲間について] </a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-08">風向きは変わった。さあ、どうする？ [時代について]</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-09">種をまく &#8211; 消えることのないもの</a></li>
<li><a href="http://shoes.shaseki.in/2009/06/siliconv-10">旅行記</a></li>
</ol>
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