* キャリアと悩む力と想像できない結果について

Posted on August 18th, 2009 by tomoya. Filed under 思った.


ある夜に、10年前の自分が今の自分を想像できただろうかと考えたことがあった。
ふーむ、と唸って3秒後に、ぼくは将来のことなどを考える人間ではなかったことを思い出した。

10年前のぼくは、大学2回生で、なんか不器用な生き方としていたように思う。

夜の都市で女の子に声をかけてまわったり、取り立ての免許で車をバカみたいに飛ばして遠く遠くへ無目的な旅に出たり、バーで明け方まで酒を飲んでたださわいだり。
ずいぶんチャラいことをやっていたような気がする。記憶から消し去りたいものである。

とはいえ、ぼくは、そもそも、それほどあっけらかんとした性質ではない。
遊びにくれている自分をバカにした目で見ているもう一人の自分がいた。
もう一人の自分は、懐疑的なペシミストで、哲学書や思想書、あるいは文学書を好み、折にふれて、
「絶望することがかっこいいのだよ、きみ」
と、タバコをぷかぷかふかしながら、教えてくれた。

この二人の自分はたしかにあまり仲良くはなく、片方が表に出ているはもう片方は裏に引っ込んでいた。
たぶん同居されると、目の前の人が混乱しただろうし、ぼく自身もおかしな方向に行ってしまっていただろう。

しかし、同じ人間から派生した人格である。共通するところもたくさんある。
その一つが、将来のことを考えないことであった。

もちろん、当時の自分は、「将来のことを考えたりは絶対にしないぞ!」と固く決意していたわけではない。
ただ、普段の思考プロセスのなかに、未来への展望のようなものが入り込む余地がほとんどなかっただけである。
なんたって、19歳の夏である。
他に憂慮するべきことが200個くらいあったのだろう。

大学を中退するときも、今楽しくないから出て行こうと思ったばかりであった。
けして、将来の二つの選択肢を天秤にかけて、「ステイ」と「ドロップアウト」のどちらが有利か見比べながら、判断したわけではない。
そういう戦略的な思考のできる人間ではなかった。

そして、もちろん今も。
この姿勢はほとんど変わっておらず、今でもむやみに将来に不安を覚えることがない。

その代償と言ってはなんだが、ぼくは、現在について猛烈に「悩む力」がある。
自分に与えられた環境・ポジション・待遇すべてが、
「実がじぶんにはふさわしくないのではないだろうか」
と思うのである。
こんなものを頂いてしまっては、自分はもったいなすぎると、悩むのである。

そして、最後には、
「やっぱりこんな素敵なものは受け取ることができません」
という心境になって、辞表を出して、お返ししてしまうか、
「こればかりは失うわけにはいかない。与えられたものにそぐうよう精進します」
と発奮するか、の2つの形のどちらかとなって、行動に表れるのである。

これはなぜかという、自分が与えた以上のことをもらうのが、基本的には苦手だからである。
なぜかぼくには、「先に人に与えてから、後でお返しを受け取るべきである」という強迫観念がある。
先にどっぷり投資しておき、後々がっつり回収する、というほうが自分の精神衛生上、都合がいいのである。

最初に受け取ってしまうと、ぼくはその相手に対して、どんなお礼をしたらいいのかわからなくて途方に暮れる。
なので、つねに、その相手に負い目を感じざるをえなくなる。
それは、少しも気分のいいものではない。
もはやその人と対等ではなくて、膝下にひざまずいている感覚が拭い去れない。
英語でいうところの、I-O-U I owe youというやつです。

ちなみに、こんなことを書いていながら、自分で不思議に思うのだが、ぼくは金に関しては、人から借りてもなんとも思わない。
金に対して鷹揚であるというと、聞こえがいいが、稼ぎが少ないので、結果として、人(というか家族のみなさま)から借りることが多い。
金に悩まないのは幸せであるが、幸せなのは本人ばかりで、周囲にご迷惑をかけているのであれば、いつ包丁で刺されても文句は言えない。

30になる前に、なるべく現実感覚をもう少しアジャストしないとまずいかなあと思う。



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