* シリコンV(10)旅行記

Posted on June 8th, 2009 by tomoya. Filed under 思った, 行った.


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このエントリは、シリコンバレー滞在中や帰国後すぐに書いた旅行記です。ほとんど整理していません。
また、固有名詞がそのまま出ていますが、実際の人物や団体、出来事に関係がないとは言えません。

3/19

成田。逆カンファレンスのスライドに使用するための画用紙と筆を買う。そばを食べる。
夕方の空がきれいだった。6時過ぎにSFに向けて離陸。

SF。
入国審査では、MoutainViewに観光に来たと行ったら怪訝な顔をされた。「オフィスを見学」に来たといいなおす。
森伊蔵を持っている人を大量に発見。前にいる人に尋ねてみると、JALだけで買えるらしい。

荷物を拾って、外に出ると、すぐに須賀さんを発見。スーパーチープレンタカーに電話をして、迎えに来てもらう。
車をゲット。
スーパーチープレンタカーの親父曰く、今週あたりはSFの「ゴールデンウィーク(もっともいい季候の時)」なのだそうである。車は古めのカローラ。

おなかがすいたので、IN’N'OUTに入って、ハンバーガーにかぶりつく。アメリカ入国の儀式のようなものだ。

今日はじめの予定は、PARC。住所を控えていなかったので、とりあえずな気持ちで、Palo Altoへ。
30分くらいで、ダウンタウンに着いた。
PARCの場所はわからなかったが、適当に車を止めた向かいにあるカフェからFree Wifiを拾うことができたので、iPhoneでメールをチェックして、住所をゲット。
ナビに入れて、到着。
時間ぎりぎり。

PARCでは、まずジョン・ナイツ博士が研究所の概要についてプレゼンをしてくれた。
簡単な質疑応答に入る。ナイツ氏は、イングランド出身で、シリコンバレーでは「外国人」。その他各国から才能ある人たちが集まっていることが魅力であると話してくれる。

曰く、多様な文化が、イノベーションを形作る、と。

あとは研究所ツアー。
透明なガラスの壁の部屋に仕切られている。だいたいドアは開いている。自分のスペースを保ちつつ、コミュニケーションを阻害しないよう、という感じか。
オフィスは意外と空きもあり、「前はスタートアップ起業のオフィスとして使っていた」と。
場所を貸すだけでなく、人的交流も行っていているとのこと。

屋上に出て、太陽光発電の設備を見るなどする。広大な草原のなかに、ポツポツと建物が見えて、あそこに見えるのが、VMWareだよなんて言われると不思議な気分になる。
建物の正面で写真を撮って、終了。

その後、その場でadobeのイベントへの参加を表明。
車で、San Joseへ。

夕方になる。
San Joseダウンタウンの真ん中に高いビルがあり、そこがAdobe本社。
ビル内パーキングとかの都会っぷりに驚く。入り口にPs, Aiなどのロゴがいっぱいあってかわいい。

社員用カフェに入れていただき、羽田さんらにアテンドしてもらう。彼らがAdobeで働くようになった経緯とかどんな社風か聞く。就活のOB訪問のようなものだ。

あとは、ToastMasters。いわば、プレゼン用スピーチの練習クラブ。
羽田さんがメンバで参加されていて、日・英の両方でスピーチをやる。
テキストがあって、毎週課題に沿ったスピーチをしているようだ。
たとえば、「リサーチした内容を伝える」とかね。あと、オーディエンスはただだまっているわけではなくて、タイマー(時間測定者)、グラマリアン(文法家)、チーフレビューア、Ahカウンター(あーとか、えーとの回数を数える人)がいる。お互いにちゃんとスピーチのいいところ、改善すべきところを指摘しあう。
年齢層も広く、GEエンジニアをリタイアされた方から、スタートアップでばりばりプログラムされている方、あるいは日本企業の駐在員まで、いろんな方がいる。
最後に参加したぼくらも自己紹介。
日英どちらでもいいと言われたので、英語で参加させていただいた御礼とプレゼンのGoodTipsを得ることができたと言ってみた。
ほかのメンバも、一生懸命英語で話している人がいて、どんどんチャレンジすることはすばらしいと思う。
当初から参加表明していたメンバは夜のAdobeオフィスツアーに繰り出していったが、ぼくは部屋にとどまって、同じく残っていた人たちと話していた。

夜10:30終了。川口さん、玉澤さん、須賀さんを乗せて、MoutainViewへ。

ガスがないので、GSに寄る。ガソリンを入れるとき、日本のクレジットカードだと、ZIPコードが入れられないので、面倒だが、窓口へ行き、先にお金を払っておく。
すると給油できるようになる。
終えると、もう一度窓口にいって、おつりを返してもらう。
SJといえど、夜のダウンタウンのガソリンスタンドは若干こわい。

みんなで遅くまで空いているレストランに行こうと約束していた。
しかし、着いてみると、もうClosed。
他の人もいない。あきらめて、ほかのレストランを探すが、この地にそんなものはない。TacoBellですらしまっている。
スーパを探したが、地理がわからないので、断念。
晩ご飯はあきらめて、一度ホテルへ。
チェックインしたのが夜の12時。
カウンターの脇のスナックコーナで適当にお菓子などを買って、食って、寝る。
西塔さんが、やはり夜12時にふらりと一人で荷物を引きずってきたのを見つけたときにはびびった。
この時間に駅から歩いてきたのだろうか。がっつがありすぎる。

3/20

朝7時くらいに起きた。
ホテルで朝ご飯。ビュッフェ形式。
Coolirisというブラウザ拡張やっている会社に行くため、9時にスタンフォード近くのスターバックスで誘ってくれた前田さんや他のメンバーに会う。
自己紹介、世間話などして、向かいのビルへ。

ほんとにスタンフォードの真横にオフィスがある。
背の高い男の子が迎えてくれる。
彼は予定を忘れていたようで、しかも大事な用事があるので、1時間後に出直してくれということになった。
もう一度スターバックスへ戻る。
シリコンバレーでのVCとスタートアップとExitパターンと今の流行の分野などの話を聞く。
再度訪問。
彼とマリアという女の子がアテンドしてくれて、Coolirisのこと、これからやろうとしていることを聞く。
英語が若干聞き取りにくかった。

彼らが日本に出てくるときには、なにかしらお手伝いができるよということを言って、11時半くらいに先に出た。
日本のあるメディアにいる人と彼らと、「人をつなぐ」ことしかできないけど、それでも力になれたらお互いにとっていいだろうと思った。

次に12時から20-30キロ離れたサンマテオというところで、海部美知さんのセッションがある。
時間ぎりぎりだ。ちゃんとナビを設定して行く。道はすいている。

会場は大きなスポーツクラブ。
駐車場には桜が咲いていた。
中にはいるとエクササイズしている人がたくさん。
奥にレストランコーナーがあり、サラダを買う。
一緒に参加するnori3さんやyaottiさんと挨拶。

会議室に入る。
海部さんは気さくな感じの人で、話し方が元気にあふれていてとても魅力的。
ぼくらのセッションでは、社会人が多く、自己紹介の話でそれぞれやっていることが面白くて、そこから次々と話が派生した。

「シリコンバレーで日本人が起業することの強みはあるだろうか」と質問したら、海部さん曰く「日本にこだわって、ビジネスをする必要は全くないし、むしろこだわらないほうがいい。
ただ言語にせよ文化的背景にせよ真向いに戦うのはやはりハード。
日本企業から資金調達することや、日本企業から買収されることをねらうなど、”使えるものは使う”という姿勢がいいのでは」。

それは、ぼく自身個人としてアメリカで生活するときの立ち位置に応用できそうだと思った。
つまり、日本人であることをことさら強調することもなく、アメリカ社会に入っていきながら、やはりちゃんと日本人コミュニティと関わって助け合うこともする。
「つかず離れず」という感じだろうか。
あと、カリフォルニアの財政状況のひどさと学校取り壊しという驚くべき話も聞いて驚いた。

海部さんのセッションも13時半くらいで中座する。

次は、また南へ戻って、Infinity Loop 1, Cupercinoへ。
Apple本社だ。少し迷って、正門ビルに近い駐車場に止める。
小島さん、藤澤さんが待っていてくれた。
バッジをもらって、中に入る。きれいな芝生、きれいなビル。
「MacBookはGreenにやさしい」と書いた垂れ幕が大きく下がっている。
他の人たちは、小島さんとフランスから来ているインターン生を囲んで、すでに話をしていた模様。
合流するなり少しだけインターン生と話す。

「ここに来て興奮している」というと、「誰もが(Apple Headquater内の)この光景を見られるわけではない」という言葉が。
彼自身が黒人であったこともあり、ことさら言葉の重みを感じてしまった。
テラス席で20分ほど小島さんを囲んで談笑。
Appleという魅力的な会社の秘密に近づこう(笑)と思ったが、組織・仕組みは特別ではないという答え。
でも、Appleの製品を本当に誇りに思っている優秀でかつ情熱的な個人が集まっているのだ、といったことは伺えた。

会社ではなく個人に重きを置く考えが徹底されている。
Apple社だけではない、アメリカの企業の場合、就職するというのは、「会社に属す」ことではなく、「会社のあるポジションに身を置く」ことである。
個人と会社の、対等な契約関係の上で、互いのニーズがマッチしたときに雇用が発生するのである。
だから、経営方針が変わって仕事がなくなった場合には、部門ごと切ってしまうことができるのだ(とはいえ、それも当然限度はあるし、アメリカの会社とてわけもなく人をきれるわけではない。裁判沙汰になることもしばしば)。

あとで、CompanyStoreに寄ってもらう。
AppleロゴのTシャツを自分用と奥様用に、ペアで買う。
小島さんのおかげで社員割引された。

さて、解散したところで、突然「JTPAの人ですか」と日本語で声をかけられた。
話してみると、日米中でグラフィックデザイナーをしているSunnyさんという人(www.gooood.jp)らしい。
参加メンバーの稲川くんのことを知っていた。
いきなり道ばたでこういう人に会うことにびっくり。
しかもその場にいた上間さんは大学院生だが、Sunnyさんと一緒にいた人が来年から、上間さんと同じ大学院に行き、後輩となると聞いて、またびっくり。
まあ、偶然ってすばらしい。

夕方の気持ちよいドライブをしながら、MoutainViewへ帰る。
上間さんは沖縄出身で、沖縄にこもってしまうことよりも外に出て行くことを選んだというような話をする。
いつか観光じゃなくて、学問をしにあるいは仕事をしに、シリコンバレーに来たいねと話す。
この後もみんなと何度もこんなことを話すのだが。

部屋に戻ると、西塔さんがいたので、彼も合流して、近くのスーパーへ行くことに。
今夜あたりぼくらの部屋で人を集めてちょっと飲もうよと言って、そのためのビールやスナックの調達に行くことにしたのだ。
Trader Joe’sというちょっといいスーパーで、サラダやワインを買い、Walmartでトルティーヤチップスやビールを買った。
同じモールにはDaisoが入っていてびっくりした。

そのあとは、東洋経済の佐々木さんを囲んでお食事会@スタンフォード近くの中華料理屋さん。
自己紹介のあと、日本のこと、スタンフォードのことなど聞く。マスコミの話もする。
参加したメンバは、みんな梅田望夫さんのセッションに出ていたので、梅田さんの話もする。
彼はブログ+本の執筆によって、ぼくたちをシリコンバレーへと駆り立ててくれた人ではあるが、本は売れても、まだまだ影響力は小さい。
というか、日本の若者たちで今回参加したメンバのように、スーツケースを引っ張り出して飛行機に飛び乗ったのは、彼の読者のなかでもやはりほんの一部で、日本にこもったりする傾向が全体としては強いのではないだろうか。
梅田さんはもしかしたら絶望しているかもしれないという話もする。(梅田さんのセッションについてはぼくは出ていないのでなんともいえないが、リンクによると、反響はそれぞれという感じだ)

後半、カヤックの方たちや前田さんも混じって、大きなテーブルになる。

ホテルに戻ると、9時過ぎか。
メールをさばき、ビールを飲む。

たくさん人が集まってきて、ビールで乾杯。
大人数でがやがやと話した。
関西組の人たちにも自己紹介。

みんなが引いたあと、メールを書いたりで、結局夜の2時に寝る。

3/21

今日はシリコンバレーカンファレンス本番。
朝7時に起きて、飯を食べる暇もなく、7時半にロビーに集合して、人を乗せてさあSan Jose State University。
車を止めると、参加者らしい日本人がわらわらといる。
受付をすませて、ネームタグをもらい、適当に席に座る。

まず、梅田さんの話。
表情に精彩がなくびっくりした。
写真でしか見たことはなかったが。
そういえば、他の人から「倒れたらしい」という噂は聞いていた。
話はとても面白い、「時代の力と自分の力」。
しかし、自分が梅田さんに期待していた声とはまったく違う言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「がむしゃらに、なにはなくとも、こっちのほうが面白いからおいでよ」という強いメッセージを勝手に期待していたわけであるが、出てきたのは、時代の力が弱まっているからこそ個人の力を伸ばしていこうよ、という話。

あとで何度もブログにアップされた原稿を読み、昨年度の分も読んだのだが、でも、まだ腑に落ちない。
感覚が違うというのだろうか。
時代の力は、いまこそ強い。個人の力の上に、どんを押しかかっている、そんな印象をぼくは持っている。

村上春樹の壁と卵の話を聞いたからだろうか、時代の力=壁であり、みんなそろって、壁に荷担しようとしている気がする。
だからこそ、ぼくは無謀にもNTTを辞めて、アメリカに渡りたい(今はその準備を東京でやっている)と思ったわけだ。
時代の力に、抗ってやるという意志ばかりが出てくるのだ。

ちなみに、梅田さんの講演のあと、すっと手をあげて、「反時代の力」の質問をしたのは私でした。
あのときは、自分が抗っているものこそが時代の力でそれに乗っかるようにとか、弱まっているとおっしゃるとは何事そ、と思っていたので、いきなり梅田さんにぶつけてしまった。
梅田さんからは、「個人のそういう思いもきっとなにかにつながる」といったような回答をもらった。

講演は、その後大澤氏、金島氏とつづく。
大澤さんの話は、シリコンバレーのVCをめぐる話(ご自身の経験も含めて)から、起業家精神の話まで。起業家にとって、成功とは失敗をマネージすることであり、諦めないかぎり、何度失敗しても成功の門は閉ざされないのだという話がとても印象的だった。

金島先生の話。
* turning-pointが何度もあった
* シリコンバレーでのキャリアアップには、「ひとつの専門性をとことん突き詰めるか、複数の専門性にまたがるか」の道がある
* ひとつの会社ではなくその業界に就職しているというような、プロ野球選手のような意識
* 楽観性って意識しないと持てないよ!
* 様々なスキルを有する人とのコネクションを広げて夢を達成できる機会を最大限に増やしておくこと、
* グローバルで通用する人となって、これからの日本を負って立つくらいの気概を持つこと
* 自分の仕事が明確で、自分を鍛えかつ自分の成果の見えやすい小さな組織で働くこと
そして、最後に、今の日本を引っ張っている政治家や経営者たちの中に、本当に50年後100年後の日本を考えて、真剣になにかをやろうとしている人なんていないと言われて、ぐっと涙が出そうになった。
なぜかはわからないが、上の世代は上の世代が見えている範囲しか世話をしてくれないのだから、自分たちが自分たちの将来を引き受けなければいけない。と胸を熱くした。
午後の時間は、パネルディスカッション。
詳しい話は、<深海さんのブログ>にて。

ぼくと同じICU出身の大先輩雨宮健先生にお目にかかれて興奮した。
昼になって、人混みをさけて、一人遠くへランチに行くと、mootohさんを発見してしまったので、ご一緒する。
もうこの時点で、何にせよぼくはこちらに来なくてはいけないという気持ちになっていた。
mootohさんも本気でそう思っていたようだ。

最後のセッションは、海部美知さんと渡辺千賀さんの対談。
JTPAはカルト集団で、SVCはイニシエーション(通過儀礼)だと暴露される。なるほど、その通りかもしれないなあ。
こちらに来てからというもの、多くの人は何度も何度も同じ問いを自問し続けたはずだ。

「シリコンバレーでチャレンジしてみたいか?」

人と会ったりオフィスを訪問したり、仲間と話したり、あるいは一人で内省しながら、それぞれがそれぞれの答えを探すために時間を費やしたはずだ。
Wikipediaでは、イニシエーションの定義として、歴史家エリアーデの「”a basic change in existential condition,” which liberates man from profane time and history(今まで自分が染まってきた世間的な知識や時間の枠組みを乗り越える”自分自身の根本的な変化”)」という言葉をあげている。
神の存在に気づいたとか、第3の目が開いたという話ではないにしろ、日本にとどまっていてはけして得ることのできない世界を目の当たりにして、そこに入るか退くかの選択を自分を決定するという体験は、答えがYesになるにせよNoになるにせよ、やはり本人の考え方に大きなインパクトを与えるもので、イニシエーションに近いなあと思った。

お二人の話でも、「恐怖心は出てくるが、やってみたら怖くなかった」ということが言われていた。
将来のことはどんなに聡明な人にもわからないのです。
むしろ、知識をたくさん持っている人の方が、できない理由を数え上げることができる分だけ、不利かもしれない。
新しいものを生み出すには、試行錯誤して、悩んで、また試行錯誤していくと茨道しかないわけです。
国を変えるとか世界にインパクトをとかという大きな話もけっこうですが、毎晩寝る前に、「明日は今日よりもよい一日にしよう」とつぶやくだけでも、ずいぶん人生変わっていくに違いありません。

ちなみに、カンファレンスの夜であれば、要求されれば、その場で全財産をシリコンバレー神に、お布施として差し出していたかもしれない。

夜。ダウンタウンのおしゃれなレストラン・バーにて、懇親会。
逆カンファレンスなるものを企画していて、私たちから発表したいことがあれば伝えるという企画だった。
たしか「やります!」と手を挙げていたので、やる。しかも、手書きスライド(昨晩夜の2時までかけて作成)で。
会場が2つに別れていたので、全員に見てもらえたわけではないが、面白おかしく、でも本気でやりたいと思っていることを話すことができた。

懇親会では、いろんな方と話して、コンセプチュアルなところではなく、プラクティカルな話ができたのがよかった。「来たいのか」という問いにはもう答えたので、あとはVISAとか金とかそういう話のことである。VISAが大変に大変だということを聞く。お金はある程度(単身なら100-200万くらい、家族がいるなら300-500万くらい)あれば、留学であってもなんとかなる。なるほどとメモっておいた。

渡辺千賀さんがアメリカでの生活のことを「RPGのようだ」とおっしゃっていたが、全くその通りだと、ぼくはぽんと膝を打った。お金とレベルは待ちの外へでてモンスターを倒しつづければなんとかなる。城へ入るための鍵は、キーパーソンから話を聞いたり、洞窟の中に入っていったり、中ボスを倒したりすれば得られるのである。こなすだけである。さあ、プロセスを楽しもう。

夜、そういえばほとんど食事をしていなかったことに気づいて、近くのスーパーへ買い出しに。みんなのぶんのビールやスナックを買い、晩ご飯にはレンジで調理できるラザニアを買った。

このあと朝の5時まで、くぼけーさんと話しこんだ。くぼけーさんの話があまりに面白いので、つい調子に乗って、いろんな事を質問し、またぼくからも話した。みんなが寝静まったあとでも、彼はつきあってくれた。
その会話は、いま思い出して喩えるなら「暗闇のキャッチボール」という感じだった。
初対面の彼と言葉を交わしてあい、ボールは互いの間を行き来するのだが、ぼくの側に近づいてきたボールだけが目に見えて、相手は遠く暗闇の中。神経を集中させて相手の位置を推測し投げる。正しく測定できたときには彼の元に届く。計算が狂うとボールはどこにもたどり着かない。
いつまでたっても彼の”顔”は見えないわけだが、ボールの投げ方やタイミングなどはだんだんつかんでくる。つかみはじめると、リズムよく話が進む。それが心地よい。だから、彼といつまでも会話をしていたかった。
肉体的な限界を迎えて、5時にベッドに寝てしまうのだが、彼は「いつもベッドで寝ないから」と言って、そのままソファで休みを取った。
2時間くらいの睡眠のあとで、起きた。くぼけーさんをCalTrainまで送ろうと思ったが、彼は「歩いていくからいいですよ」と言った。
1マイル少し。約2キロ弱。徹夜明けの朝で、つい人に頼って車に乗ることもできただろうに歩いていくとは、とことん精神力のある人であった。

舌を巻くばかりだ。

3/22

ほとんど寝ていないので、地続きの話になるが、今日は朝の9時から、なんと渡辺千賀さんのご自宅にて、ブランチの予定。
ドライバーとして人様を乗せて運ぶ責任を負っているので少し不安に思ったが、さいわい宿泊しているホテルから近く、フリーウェイを使わずに行くことができたので一安心。
車の数より人の数の方が多かったので、果敢に2往復させていただきました。
千賀さんの家は、緑豊かな山の麓といったところにあって、閑静でとても美しい住宅地の中にありました。
リビングを囲む窓は2方向に広く開いており、遠く向かいの家や山や空の様子を楽しむことができます。
シックな家具と、快適なソファ。
無駄のないレイアウト、アジアン・テイストの家具、そして、風景。
モダン・インテリアの雑誌から飛び出したような世界にきゅん。

参加者は、はじめは遠慮がちにコーヒーを飲んだりドーナツをかじったりしていたが、千賀さん以外にもJTPAスタッフの方たちも到着するに従い、クラスタができはじめて、6−7人で固まって話をするようになった。
ぼくはといえば、もはや情報の多さと刺激の強さにすっかりまいっていて、ただぼーっとソファに座って、美しい初春のシリコンバレーの自然をながめていた。
脇さんも隣にいて、彼もやはり、インプット過多に食傷気味のご様子であった。
ゆるくチャットした。
庭田さんとプリンストンから来られていた日系企業駐在員の人とも話す。
たわいもない日米比較論などしたわけだが、日本の満員電車の話をしたことだけははっきり覚えている。

繰り返すが、このシリコンバレーの山間の美しい邸宅で朝のブランチを過ごしているのだ(しかもほぼ徹夜明け)。
その状況で、午前八時の新宿駅を品川駅を思い出す。
暗いスーツに身をまとった陰鬱な顔の集合体が無言で早足で行き交い、3m*4m*20mの鉄の箱に身体を押し込んで擦り寄せあって、でも、目だけは合わせないようにしている。もちろん、自分もそこに含まれている。
ああ、帰りたくない。

12時を過ぎて、ホテルに戻る。
カリフォルニアの空は青かったが、ぼくの顔も同じくらい青かったかもしれない。
14時までは空きなので、昼寝などした。

RockYouでは、広く開放的なオフィスを見たあと、会議室で石塚さんとおしゃべり。
面白かったのは、
1. マーケットドリブンかつ数字による戦略決定を徹底していることなど
2. 必要なこと以外はやらずに、さくっとアウトソーシング

詳しい話は、同じセッションに参加されたntakuさん(http://d.hatena.ne.jp/ntaku/20090324/1237868953)に詳しいです。
2について。カンファレンスでも話が出たが、たとえば人事系はその道のプロフェッショナルと契約してやってもらうとか、引っ越しの時のオフィスの決定も不動産プロフェッショナルにいくつか提案してもらって、最後に決めるとか。
自分の前職の会社では、オフィス移転について、経営陣だの役員だのが新宿の本社に集結してえんえんと議論して、ただでさえ給料の高い御仁たちが横浜へ千葉へと繰り出してはオフィスを見て、また戻って侃々諤々の議論をしていたことを思い出したので、印象に残っていた。
人事についても同様だな。
えらい人が、本業よりも余計なことに力に注いでいる会社はもう終わってますよ、気をつけて!
cf: http://www.soubunshu.com/article/113722498.html

FutureArchitectの人たちが写真を撮っていたが、まだもらっていない。欲しい。

続いて、同じセッションに参加したみんなとDennyった。
ハワイから来ている院生の方がおられて、話すとやはり面白い。ネットワーク大切。
ここで稲川氏から電話が入って、なにやらすごい人とコンタクトが取れたので、あなたもぜひ来なさいと誘ってくれた。

これは面白い展開。車に駆け込み、Go.
着いた先は、閑静な住宅街にある一軒家で、そこは、曽我弘さんのお宅。

曽我弘さんについては、JTPAで行われたインタビュー記事(http://www.jtpa.org/sv_info/interview/000031.html)がよい。
略歴を紹介させていただくと、

1935年生まれ。新日鐵にて長く勤められた後、55歳にて渡米を決意。起業を画策するが、扱う製品の権利関係などで新日鐵や日本メーカーとのやりとりの中で立ち消えになる。曽我さんはそこで諦めることなく、1996年61歳の時に、DVDオーサリング機器という当時の先端を行く技術でビジネスをはじめる。Disneyなどの大手コンテンツプロバイダ(DVDを作って売る人たち)をクライアントに持つようになり、後に、Steve Jobsと直接交渉の末、Appleに売却することになる。その後も起業を繰り返されていて、着メロの会社やDNA解析機を扱う会社などを起こす。いずれもすでに事業はたたんでいるが、さらに今年に入って、次の新しい会社をはじめられている

というものすごい方なのである。

光の気持ちよく差し込むリビングにおじゃまして、腰を下ろす。
稲川氏・西塔氏は先に来ていて、もう話をいろいろ聞いていたようだ。

曽我さんは、日本のサラリーマン時代から、シリコンバレーでの起業までの経験をつぶさに話していただいた。
途中将棋の話が出て、ちょうど梅田さんの新しい本もでることだし面白いのであいまいな記憶ながら引用しておくと、

将棋の名人のように、何歩も先の読める人の場合、「あ、自分はもう負ける」と気づいてしまい、そこで勝負を投げ出すことがある。
しかし、ぼくは、そこでは投げ出さない。
王が実際に相手の手に渡るまでは王手ではないのだから。
それに、相手とて、どこか一手でもポカをやらかすかもしれない。
何が起こるのかわからないときは、何かが起こるまであきらめない。

ただし、

負け戦とわかったときに、それに固執するばかりが能ではない。
あ、負けだとわかったときには、先に(事業を)たたむことも大切。
手を引く潮時を逃さないこと

という話も同時に受ける。

また、曽我さんは昨年までバイオ・ベンチャーのサポートをされていたそうで、大量のバイオ系の文献を読んでいらしたそう。
DNAなどの話を織り交ぜて、若きぼくらにこんなことを伝えてくれました。

1. 人間はちょっとやそっとでは死なない。そして、死なない限りは、チャレンジするチャンスがあるわけだから、何度でも本気でチャレンジすればよい
2. 常に新しいことをはじめて、ちゃんと頭を使うこと。そして、それを楽しみ、快感に思えること
3. 人間には、自分の知らない、誰ともちがうその人固有のすばらしい能力がある。それはDNAが語っている。その能力を信じて、自分に自信を持つこと

最後に、ぼくがもっとも気に入った言葉がひとつ。

「人間は自分で自分(の人生)を決められる。これはすごいだよ」

夕方の6時半。日の長いシリコンバレーの太陽が傾きはじめた頃まで、胸を熱くしながら、曽我さんの話に浸っていました。

ホテルに戻って、ちょっと頭のクールダウン。
他の人もさそって夕食をと思ってtweetしてみたが、リプライがないので、稲川氏・西塔氏とサン・フランシスコまでお食事に行くことにした。

昼にRockYouに行ったときに、石塚さんがおすすめのお店を教えてくれていて、その中から、中華の「Yuet Lee」をピックアップ。ついで、バークレーにお住まいの小泉さんご夫妻にもまざってもらう。
ジャッキー・チェンとかヒデキ・マツイの写真が飾られているのが若干気になる中、運転は稲川氏にまかせたと青島ビールをむさぼりながら、シリコンバレーで見聞きしていることの感動をぺちゃくちゃする。

小泉さんは、この日のブログでかかれているように、13歳で起業したAnshul少年の会社、というか自宅を訪問してきたらしい。
彼はアメリカのメディアにもひっぱりだこな中、そう簡単に会うことはできないそうだが、そこをご自宅まで行ってたというそれはすばらしい人である。
しかも、絵柄に注文つけているし。そういえば、「萌え」について教えてきたと言っていたなあ。

夜の11時過ぎにホテルに帰宅。
やらなくてはいけないことをこなす。
- 自分たちの部屋に集まってもらって、ホテル代の精算などする
- 洗濯する。乾燥する。取りに行く
- ビール飲む
- はるばる日本からやってきたバグ報告を読み、デバッグ作業+メールで状況報告
- 妻にもメール

午前3時、はいもう限界。

3/23

だいたいこの頃から、もうぼくはシリコンバレーでは十分すぎるくらい刺激的な経験をしたし、驚くことなどなにもないと思っていた。
今日の予定は、Google, Dropbox, Entrepreneursパーティーの3本立て。

ちなみに、WBCの話はちらほら聞いていたが、なにがどうなっているのかよくわからなかった。韓国と日本がすごいことになっているらしいと言うことは知っていたが。
今日の夜のパーティは、そもそも「韓国系起業家グループと茶話会」みたいなノリだったので、WBCの話とかするんじゃないということを言っていたが、結果的にはそんな話は1秒たりともしなかった。それに、韓国系の人っていなかった気がする…

それはともかく、朝10時にGoogle到着。
cf: http://d.hatena.ne.jp/syou6162/200903

キャンパスに入るなり、いきなりWifi接続できる。しかもその接続ポイントの数がはんぱない。Wifiのシャワーですよ、シャワー。
待ち合わせまで30-40分くらい前に来てしまったので、ガーデンなどを眺めながら時間をつぶしていたのだが、
エリック・シュミットや辻野さんの息子さんがいた。
UbuntuをカスタマイズしたらしいOSがあったので、みんな自分のブログとかを表示して写真を撮るなどして遊んでいた。

ご飯。
トイレ。
オンサイト・ストア。
世間話。

その後サンフランシスコへ。
車を止めて、ユニオンスクエアでひなたぼっこ。羽休め。
そういえば、ぼーっとするのが大好きだったことなど思い出す。

全然関係ないが、大学時代に大学にいかずに裏山にのぼって(思ったよりは高い)、大学のある街を眺めていたことがあったことを思い出した。
というか、今回の参加者に大学生が多いので、彼らと同じ年齢の頃の自分が何をしていたのか、つい考えてしまう。
あのときも今も、ぼーとしているときというのは何も考えていない。
あとから考えていたようなふりをすることはあっても。

ドロップボックス参戦。
CEOもエンジニアでみんな年が近くて、ほんとロックバンドのように、会社をやっているというのはいい。
Dropbox rocks.

その後、前田さん、熊谷さんとカフェでお話。
アメリカで働きたいと言っていたら、非常に賛同してくれて、なにかと面倒を見ていただいた。
ありがたい。

その後、起業家パーティー。
まあ、その控えめに言って、脳天にいかずちですわ。

戻っても、興奮冷めやらず、飲んで話して、へへへへへ。

今日帰国する稲川氏とは、朝の5時まで話しました。また朝焼けですね。

いやあ、世界はワンダフルに満ちているですね。

3/24

10時に起きて、部屋の移動をして、再度寝直す。
同じ部屋にいたmootohさんがMacBook Airから流していたあのヒップでクールなナンバーたちがなぜか今も耳に残っている。

14時くらいに目を覚ました。西塔氏がいたので、アポなしなんて関係ないよと誘って、IDEOへ。
IDEO楽しかった。
何が楽しいってもう…

小泉さん、岡さんも乗せて、サン・フランシスコへ。
メソッドカードなるものを手に入れようとしたけど、住所間違いで、本屋にたどり着けずにタイムアップ。

中華街に移動し、車をちょんと止めて、となりのリトル・イタリーへ。
小泉さんのご家族とカニを食べるおじゃまをさせていただくのだ@グレートイースタン。
いや、うまかったですよ、まじで。

その後はSFバージンなぼくのわがままで、夜のSF観光。
フィッシャーマンズワーフ、Rombert Street、ツインピークで夜景。
ロマンチックですが、男二人です。
あ、男二人といえば、路面電車を待つ停車場で見つめ合い口づけ合うマッチョな二人を見かけた。
彼らには、「世間の目を忍ぶ」といった概念はないのだろうか。

ツインピークからSFの街並みを眺めていると、
「いずれこの街はぼくのものにしてやるぞ」
というあほなことを考えるのだが、まあ、ここにいつかというかすぐにでも来たいと思っていることは確実なので、
照れることなく、言っておこう。
サン・フランシスコをいつか手に入れるよ。

こうして3日連続でサンフランシスコまで出てきたわけだが距離にすると80キロとかあるので、なかなかいいドライブではある。
帰りに、西塔氏と音楽の話をした。
Roberta Flack & Donny Hathawayとかいいねって。
ああ、Chris Brownとかもいいし、今回のたびでは、Estelle feat. Kanye WestのAmerican Boyもよく流れていた。
iPodは持ってきたけど、ほとんど音楽聞いてないな。
今聴きたい曲はなんだろう?

戻ってきたなら、部屋でゆっくりと過ごして寝た。
八巻さんや藤原君がいた。寝ていた。
しばらくは起きて話していたりしたけど、上のベッドへ行き、メールをしたりする。

脇さんが宣伝ジョーズ藤原社長の車に上着を忘れた件について困っていた。次の日、空港で受け取ることにする。
朝9時までにはSFOとのこと。
寝た。

3/25

朝6時半くらいに起床。
マリオットで最後の朝ご飯。
ふじわらくんを車に乗せて、SFOへ向かう。朝のラッシュ気味。
それでも車は気持ちよく流れていく。

8時45分。スーパーチープレンタカー到着。
まだ彼は来ていない。人のまだらなオフィス前のベンチで待つ。
隣の部屋から出てきたおじさんが、スーパーチープの前で待っているぼくらを見かけると、
親切にも、
「いつもなら来てるんだけど、今日はちょっと遅いね。電話してごらんよ?ほらここに番号がある」
と声をかけてくれる。アメリカの電話がないことをいうと、自分からかけてくれた。
応答はなく、すぐにおじさんは来てくれたが、それにしても、こんな優しさって日本ではないなあと思った。

サンフランシスコ空港・国内線ロビー。
勝手がわからないので、車を降りてすぐの外の受付で荷物をチェックインしてしまった。
楽だし並ばなくてよかったけど、余計に$2取られた。
今度からはちゃんと中のカウンターに行こう。

脇さんと合流すべく、ゲートを通過する。
セキュリティのところでは、靴まで脱いで、もう何もかもさらけ出して通る。
みんなやっている。
人権とかうるさそうなのに、みんなやっている。どういう心境なんだろう?
一度検査に引っかかると、しかも疑いようははんぱない。
金属探知機をそれこそ尻の穴の中にまで当てられる。そういうおじいさんがいた。彼は検査官に言われるがままに腕をあげ、上着を脱いで対応していた。
ほとんど容疑者だった。

搭乗口に近いところで脇さん発見。
Peet’s Coffee買って、Bookstoreなど眺めながら過ごす。
小さな飛行機に乗る。ばらばらに予約したので、当然席はばらばら。ほとんど満席。
本を読んだりしながら、1時間程度で到着。

Portlandについて降りた瞬間。
雨。
久しぶりに見た曇り空。
カリフォルニアの天気の良さが異常だったことを思い出す。
荷物を受け取り、nikeショップなどもあるショッピング施設内で平島さんの到着を待つ。
本屋でPortlandの本を買う。
地図を買うつもりだったが、地元の雑誌記者が書いた手作り感あふれる本の体裁と中身が気に入ったのでつい買ってしまった。
内容はまさに、地元っこが紹介するポートランド事情といった感じ。ポートランドではどこにすんでいる?と聞かれると、NE,SEなどと答えるなど
そんなことに詳しい本だ。
$5.レジで$5だけ請求されたのでびっくりして、No Tax?と聞くと、消費税はないとのこと。
これはいいもんである。

レンタカーを借りる。このあたりのことは全部平島さんがやってくれた。ありがたい。
おおきなHighLander。4人乗っても余裕がある。
滝が見たいと私が言ったので、滝を見に行く。
ワッキーナの滝、コロラド川、マルトノマの滝、オレゴン・ワシントン州の針葉樹林広がる。
脇さんに向かって、「ワッキーナの滝」とつぶやいてみたが、軽く流された。

空気の乾いたシリコンバレーに比べ、雨だし滝が注いでいることもあるが、とにかくH2Oが多かった。
マイナスイオンが多いと騒いでいたが、それは気分の問題。

キャリアのこととかビジネスのこととかITのこととかはもう満腹なので、こうして緑の多い場所にきて、
大きな大きな滝、天から落ちるかのような大量の水を仰ぎ、その爆音とミストに身体を浸すのが、あまりに気持ちよかった。

シリコンバレーが父だとしたら、オレゴンは母だと思ったが、たいした意味はない。

滝を上ることになる。流れというやつだ。
ただみんなでひたすら歩いた。
道があるから進んだのだけど、先に何があるのかわからないけど、歩けばなにかあるかなと思って歩いた。
脇さんがだめだとかというけど、愛嬌のようなものだろう。

上り坂が下り坂に変わった先すぐで、道がとぎれる。
そこはまさに、滝の落下開始点!
まさっかさまに落ちる滝を真上から見下ろすことができる。
来てよかったね。

歩き疲れて、下の土産屋で物色などする。
アメリカではよく、というか、ほぼ必ず、大量のTシャツがある。
大学のブックストアでもそうである。
オレゴンとか滝とかスタンフォードとかかれた衣服を身につけることに抵抗がないようである。
ぼくは大阪とか「たこ焼き」とか書いたTシャツを着れるだろうかと自問したが、答えは決まっていた。
アメリカは好きであるが、日本人としてまだ失ってはいけない感覚が若干残っているようであった。

車でダウンタウンへ戻る。
ポートランドの街は、川と高速道路によって区分けされている。
先ほどの本に書いてあったSE, NEとは東西を走る川と南北を走る道路によって区切られた土地のことである。
もっとも栄えているダウンタウンと高層ビル群は、SEにある。

車を駐めて、ショッピングモールに入る。
AppleStoreがあったので、iTunesカードを買ったりする。
平日ということもあり人はまばら。
外を歩いても、For Leaseの看板が目立つし、けっこう景気悪いのではと勝手なことを想像する。

少し散策気味に歩いて、本当に客のいないがらがらのスターバックスに陣取る。
みなさんで、シリコンバレーとかITとかビジネスとか与太話だけど面白い話をする。
記憶に残っているのは、脇さんがいった「今の転送速度の10億倍?とかになりうる可能性ってあるの?」という話。
ぼくは適当にあるあると答えてしまって、その場合にどんなことができるかという想像の世界に足を踏み入れてしまった。
だって面白い。
リアルタイムに人間の目が感知できるのと同じくらいの画像が転送されてくるのではないかといってみた。
その場合、本当に物理的に距離が離れていても、心理的には、ほぼ目の前で話しているのと変わらない感覚を持つだろうと。
つまり、あなたは家にいながらにして、オンラインにいる誰とでも”face to face”でコミュニケーションができるのだ。
あるいは、その時代のGoogle Street Viewを想定してみよう。
現地にいるのとほとんど変わらない感覚でその場にいることができるかもしれない。
動作を感知するセンサがあれば、Google StreetViewの世界を実世界とほとんど変わらない感覚で歩くことができるようになるかもしれない。
面白い。
ただ残念なのは、すぐにそんな時代が来るよとそのときは思ったが、現実的にはそれだけのインフラを整備するには金がかかりすぎるし、
なにより今の市場は下り100MBの回線で十分満足しているから、転送速度10億倍の世界が当たり前になる時代はなかなか来ないかもしれないということ。
大学とか一部の企業内では実現するかもね。

他にも面白い話をしたけどなあ。
飽きることなく話せる人たちでした。

時間が来たわけではないが、スターバックスから追い出されたので、しかたなくモールに戻る。
平島さんが、バナナリパブリックで服を買う。
その間私ときたら、疲れていて、ソファに座ってiPhone三昧。

時間がいよいよ来たので、阿多さんと合流して、Rock Bottomへ。
たまたまLa Jollaにあったので、全米どこにでもあるかと思っていたが、調べてみると全部で20店舗くらい。
ビールがうまいよ、この店。

肉やポテトやビールをいただく。
阿多さんと別れ、ホテルに行く。
一度ナビを間違えて、あまりに訳のわからないところまでドライブしてしまう。
どうやらシアトルのAce Hotelが行き先になっていたよう。
ナビの設定を戻す。
さあ、どうだ!
Rock Bottomからかなり近いところに、ぼくらのdestinationがある。
そういうものだ。

ホテルに着くなり、感嘆の声。
インテリアとかかっこよすぎ。
Ace Hotelのハコ自体は古い建物だが、中のインテリアはすごくこだわりがあって、mid-centuryとかmujiとか好きな人には、おすすめ!
値段も高くないしいいよ!

荷物を開けているうちに財布を車に忘れたことに気づく。
車のキーを持つ東洋さんと一緒に外へ。
いきなりそこで、バーへ寄るという話になる。
飲む。
夜の3時に部屋に戻る。
財布をめぐる長い冒険が幕を閉じる。

3/26

朝7時?に起きる。
昨日の夜のことなどを、脇さんや藤原君にする。
そうだとおもったと言われた。
眠いかなと思ったけど、渡米以来驚異的なHP回復能力を示していて、相変わらず4時間程度の睡眠で十分なのである。

シャワーを浴びて、かっこいいホテルとお別れ。
LUNARRを目指す。
LUNARRはポートランドのダウンタウンというかAceHotelから車で20分程度離れたビジネスセンターのようなところにあった。
緊張気味に入るなり、広い空間が広がっている。

窓が二面にあり、開放的。
濱口さんが迎えてくれる。
コーヒーなど用意して、お話会スタート。

ぼくは終始メモを取っていたのだが、それでも時にはメモの手が止まるほど頭を回転させて話を聞き、また質問した。

記念に調べたところ、こんな面白い発言をgoogleって見つけてしまいました。

What if you had to add one personal law to the “Three laws of Robotics” (by Isaac Asimov)?  What is law number four?

Law 1:  A robot may not injure a human being or, through inaction, allow a human being to come to harm.
Law 2:  A robot must obey orders given to it by human beings, except where such orders would conflict with the First Law.
Law 3:  A robot must protect its own existence as long as such protection does not conflict with the First or Second Law.

Hummm…
Law 4:  A Robot must not “google” me to determine my characteristics / personality and must meet and know me “in person,” as long as that meeting does not conflict with the First, Second, and Third Law.

話が面白くてぎりぎりまで話していたわけですが、その後車に飛び乗り、PDXへ急いでもらう。
ええ、ぼくのフライトが2時半とかそれくらいだったので。

車の中で、気分が高揚していたのはたぶんぼくだけではないと思う。
すごい人にあって、すごく質の高い話をしてもらった。
何度も繰り返して感じてきたことだが、日本から飛び出して、こちらへ来て、世界を舞台になにかを成し遂げたい度がまたあがった。
「今こうしてぼくらが考えていることをそのまま日本に持って帰って、みんなに言ったら、気が変になったかもと思われるかもね」
やはりぼくは興奮していたのだった。

空港にかけつけてもらって、UAの入り口の前でおろしてもらった。
ここで、SVC参加の最後のみなさんともお別れです。

突然ひとりになった。
このときの感覚が新鮮だった。
普段から孤独を愛する人なので、一人でいることのほうが自分にとっては自然である。
今回の旅行では終始人に囲まれていたし、寝ているときにも隣に脇さんがいたので、一人の時間がほとんどなかった。
なので、ポートランドの空港で一人になったとき、声を出さないで、搭乗手続きやコーヒーショップやらをしていることに違和感を感じた。
iPhoneを取り出してなにかをつぶやいた。
人恋しい人間になってる、自分www。
驚きだ。

「集団行動ができなくて苦しんでいた10代の自分よ、君はしっかり成長する」

ポートランドからは、LAX経由で、San Diego。距離にして、1700キロ強。歩くと14日と18時間かかる。
空港で濱口さんの話のメモをもう一度まとめなおした。
LAXでは、Malcom Gladwellの本を三冊とも買った。Tipping Point, Blisk, Outliers。

San Diegoについたのは、夕方の7時くらいか。
日が傾きはじめたくらい。
堀江氏が赤のマスタングでやってきた。びっくりである。

シリコンバレーでの話などする。
オイスターを食べに、海のそばのレストランに入る。
まさかのテラス席(柵の向こうは海)だったが、ご存じカリフォルニアの夜は結構冷えるし、風が強いので、なかなかタフな環境だったが、景色がきれいなのと静かに話せるので、テーブル替えはしなかった。

ビールうまい。
なつかしのSan Diegoであり、なつかしの高校時代の友人であり、シリコンバレーでの刺激を受け終えた後であったので、
なんとなく、ようやくリラックスできた気がするはずだったが、
日本がどうこうという大きな話になり、彼の職業がら、ぼくの知らないことをたくさん知っている彼とそういう話をするのはとても面白いので、また気分が盛り上がる。

彼の家は僕のいた家のほんとに近くで見るものすべてがなつかしいとはこのこと。
あのVonsで買い物などして、あの交差点を曲がって、彼の部屋へ。

ビールやら飲みながら、また話していた。
若手の官僚たちを集めて、なにかやりたいのと僕は言った。できるといい。

2時くらいに寝た。

3/27

朝9時くらいに起床。
ブリトーを買いに、Robertosへ。
名前は変わっていたが、内装やメニューはなにも変わっていなかった。
http://www.yelp.com/biz/rigobertos-taco-shop-san-diego-2
よく食べていたカルネ・アサダ・ブリトーを注文。4ドルくらい。
あったかいうちに、UCSDへ移動。
こんなこともよくやっていたなあと思い出す。

春休みで人気のないprice centerのテーブルで食べる。
うまい。相変わらずすばらしいコストパフォーマンスである。
日本にもあればいいと思うが、きっと流行らないとも思われる高カロリーフードの王道です。

UCSDを散策する。
Mandevilleとかなつかしい。てか、なにより、Geisel。あの図書館こそがぼくのUCSDのすべて。

とか言っているうちに時間になりそうなので、Bookstoreに少し寄ったあと、荷物を取りに部屋へ。

堀江は午後からラスベガスに出かけるなどするらしく、どこかで捨ててもらうことになる。
今日の夜の予定も決まっていない完全自由な計画である。
とりあえず、La Jollaが見たくてしかたなかったので、La Jollaまで連れて行ってもらい、そこでおろしてもらう。
堀江とはここでお別れ。またね。

La Jollaは、本当に美しい街で、海と青い空とレストランがある。
一人になるなり、ぼくは海へ移動した。
5年前、はじめてアメリカに渡ってきた時と同じように、Tシャツに短パンの観光客が多い中で、場違いなほど暑苦しいかっこうをして、
眼前に広がる海を眺めた。
この海は太平洋で、あちら側の最果てには、日本があるのだなあと考えたりする。
しかし、そこで思考がなにか焦点を結ぶことはない。
ただ、日本のことを思い、この1週間で多くの人とはなしたことを思い、これから先の自分の生活を思う。
会社は退職することになっている。これから、もう組織の論理に自分を犠牲にするつもりはない。
たとえ収入がなくなろうとも、猛烈に好きなことをする。
そのことだけが、自分の武器を強くする。
強い武器を持って、世界の舞台に躍り出る。
そこで、最高に刺激的な人と切磋琢磨する。
1日が100年にも感じられるようなそんな濃密な経験をしてみたい。

なにがモチベーションになっているのか?
名誉、収入、知的興奮。それはもちろんあるだろう。だけど、今ぼくがもっとも求めているのは、自分を試してみたい、という単なる好奇心。
自分の肉体、自分の精神、自分の経験、思考、涙一粒程度の能力。
それらを結集させて、強烈なアウトプットに変えてみたい。

10年前、18歳のぼくも同じことを考えていたことを思い出す。
英語を身につけるためにどこかの国へ行って、そこで精神科医になり、人々の悩みを癒しながら、世界を旅する「ヒーラー」になりたかった。
ほとんど宗教的な存在だけど、ぼくはそういう超越的な存在にとても憧れた。

ただ、あのときは、描く夢を実現するために、自分の能力を磨くことばかりを考えていた。
一人でなにもかもやることつもりでいた。
誰もあてにするつもりはなかったし、実際誰もあてにしていなかった。
しかし、10年たって、たくさんの失敗と挫折を繰り返してきて、ようやく自分にできることは限られていることに気づいた。
それだから、仲間を探そうと思った。

カフェでレモネードを飲みながら、考えていた。

La Jollaを満喫した後は、少し早いけど、ダウンタウンへ移動。
路線バスで30分程度である。
Old Townというバスとトロリーの交差する駅で乗り換えて、Santa Fe Depot(サンタフェ駅)へ。
LA Union Stationへの自由席チケットを買って、駅で待つ。水を買う。カメラを構える。
iPhoneをのぞく(Santa Fe駅にもWifiはあった)。
りょうすけに、今からLAにいくと連絡する。

LAまでは電車で2時間くらい。窓から差し込む日差しがあまりに熱い。
向こうには海が見える。延々とどこまでも続いているのだ。
San Diegoの北、Oceansideあたりまで来ると、家もまばらになり、静かな田舎町といった風情を見せる。
ちらほらと保養所のようなところがあり、春休みを利用して遊びに来ている家族の姿などがある。

Tipping Pointを読んでいたが、だんだん眠くなる。
というより、思考が一点に止まらないで、あちこちへと流れていく。車窓の景色のように。
本を閉じて、外を見ていた。

LAにつくと、少し日が傾いていた。
りょうすけに電話して、「迎えにきて」
金曜日だし、渋滞していることもあって、1時間くらいかかる。
その間ぼくは、UnionStationをくまなく歩いて、Free Wifiを探したが、徒労に終わった。
なにもそこまでWifiにこだわらなくてもいいのにとは思うけれど、これは完全に中毒である。
ないと不安になっている。
困ったものだ。

しぶしぶ待合室へ戻って、本を開く。

りょうすけと会う。
いったい何年ぶりだろうか。あまり変わっていない。20代後半にもなると当然ながら、見た目も思考も話し方も劇的に変化するはずなどない。
ただ少しずつ大人びてき、少しずつ老いていくだけなのだ。

今晩食べる料理の話、小籠包に決定。
San Bernerdoという地区へ向かう。おそろしいほど大きなチャイナタウンがあるのだそう。

りょうすけの家にいく。
近くには、マジック・ジョンソンのプロデュースしたスポーツクラブや、Fridaysがあった。
どうやら彼の育った所らしい。

家には、2匹の猫がいた。
ひとなつっこい小さなメス猫がアラシ、人見知りするけれどマイペースでおっとりしているオス猫がホノオ。
猫アレルギーなので、だんだん体がかゆくなってきた。
とはいえ、めちゃくちゃかわいい。
毛がついてしまうにもかかわらず、抱いてしまったり。
あれから、iPhoneの待ち受けはずっとアラシ。

夜は1ー2杯ビールを飲んで寝た。
疲れていた。

3/28

朝は、カオリ・りょうすけとその友達を交えて、tokyo77で朝ご飯へ
ベーコントーストのようなものを食べた
友達は、韓国系。ゲームプロデューサなどをしているらしい

その後LACMAへ。
現代アートから、クラシックアートまでたくさんあった。
FranzWestという現代アーティストの特集があった。
鑑賞者が作品に触れることのできるインタラクティブな作品も多かったが、あまり印象にはない。

いちばん記憶に残っているのは、ジェフ・クーンズ。
バスケット・ボールが水槽に浮いている。
あと、戦争に関連した作品。
無傷と言われたアメリカでさえ、これだけアーティストたちに影響を与えたWWIIはやはりものすごい悲劇だったのだ。

南米アートなど地域のアート作品もあって、とにかく広かった。

カフェでコーヒーを飲んだ。

その後もぼくのわがままにつきあってもらって、Chinese Theaterへ。
たくさんの仮装した人が、たっていた。
一緒に写真を撮ったときのチップを稼ぎにきているらしい。
パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウは、クオリティ低くてびっくりした。

クリント・イーストウッドの手形に合わせて写真を撮った。
ああ、彼のように寡黙で、しかし、大切な発言ばかりは逃さない男になりたい。

ビアード・パパで、シュークリーム・ブレイク。
おいしかった。
日本のお店で、カリフォルニアで成功しているビアード・パパ。
ただし、Chinese Theaterのところは$1.00くらい高いらしいよ。

ゆういちと連絡がとれた。
San Diegoで、一緒に音楽の話とかをしていた大切な友達。
しかし、ずっと連絡が途切れていた。
りょうすけが、「彼もLAに住んでいるよ」と連絡してくれて、無事会えることに。
ゆういちがKoreanだったことを思い出して、純豆腐のお店へ。

会うなり、ああ、と思った。
この「ああ」を説明するのは難しい。
あえていうなら、学生時代のころは、とても不思議な魅力を備えていて、それは、社会性はなくとも個人の特別なオーラでそれがカバーされているタイプの魅力であった。
あの頃から数年たち、大学というプロテクトされた場所から放り出された僕達は、たがいの目や格好や髪型でおたがいの現状をさぐりあう。
その間1秒。
そのときの、ああ、なのだが、ゆういちはゆういちとして、変わってはいなかった。社会に対して自分を磨り減らしたりしているわけでもない。
ただ、その代わりに、定職についているわけではないようで、収入であるとか立場であるとか将来のことに対して、孤独な戦いを自分に強いたタイプの摩耗を感じたような気がした。

彼は、ぼくと握手した。
ぼくの近況を聞いた。
エンジニアになったこと、シリコンバレーのこと、アメリカで働きたいのこと。
おう、と驚いていた。
ぼくは、彼の目から見れば、ずっと部屋や図書館に閉じこもっていて、「BRUTUS」ばかりを読んでいたとのこと。
BRUTUSなり他の雑誌社にでも入っていると思っていたらしい。

カルチャー雑誌の編集者に憧れたことを思い出す。
~~~
僕は、しかし今、エンジニアとして、Webサービスを作る人になっていることに対して、すごく誇りと喜びを感じている。
「それはなぜ?」
「自分の思いを込めたものを、丹念に磨き上げるようにして作り出したいのだと思う。たとえば、小説を書くようにWebサービスを作り出すことができればいい」

ほう、とうなづいた。
彼は今でこそ運輸系のアルバイトではあるが、いつかジャーナリストとして一人立ちしたいとのこと。
誰とて夢はあるのだ。

昔・今、どちらをとっても、ぼくはゆういちが好きなんだと思う。

一度部屋に戻った後、もう一度外へ出る。
ゆういちに誘われて、クラブにいくことになった。
リトル・トーキョーにあるクラブ。いい音楽を聞かせるらしくて、ゆういちおすすめとのこと。

まずは人もまばら。
喫煙室のようなところで、雑談。
だんだん混み合ってくるとフロアへ出る。
ゆういちの幼なじみで、「ちひろ」さんという人がいた。
彼女がこの場では顔が広く、いろんな人と話している。

彼女は聞くところによると、別名が「audrely kawasaki」と入って、アーティストとして活躍しているらしい。
あとで、日本に戻ってからサイトを見たのだけれど、彼女の画風は、いわばデカダンかな。
少女をモデルにした絵で、エロティックで攻撃的で、夢想に耽溺するような世界。
覗いてみたいけれど、怖くて覗ききれない、あるいは、知ってはいけない少女の世界を垣間見る快楽。

実際に話した彼女はとても物腰の丁寧な、社交的で気配りのできる女の子で、
ゆういちに紹介されると、「日本では都会ばかりなのでどこかゆっくりしたいところがあるのだけれど…」と
とてもスムーズに話を切り出してくれた。

ちひろクラスタで、輪を作って、何人かで一緒に楽しく踊った。

酒を飲んで気持ちよくなった1時すぎ頃に、りょうすけに声をかけて戻ることにした。

3/29

クラブから帰ってきたら、かおりもちょうど戻ってきたくらいだった。
ここから、バータイムスタート。
何を話したのかあんまり覚えてないけれど、りょうすけのこと、おたがいの今まで来歴など、とりとめもないことをずっと朝まで話していた。

次の日、9時くらいに起きて、りょうすけにLAXまで送ってもらう。
いろいろほんとうにお世話になりました。
ありがとう。

飛行機の中では、本を読んだりぐっすり寝たりして、これからの生き方などを自分に期待しつつ、日本へ向かった。
みやげを買うということになかなか意識が上らなかったことを思いだして、帰りの機内で森伊蔵を2本買った。
お父さん用と会社用なり。

本当に、これほどたくさんの体験を矢継ぎ早に経験できたこの2週間は、人生にとって、とても大切な変換点になるだろう。
その意味をこれから探っていきたい。

(Photo is found at http://www.flickr.com/photos/57688343@N00/263998307/

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