* シリコンV(3)会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った

Posted on June 8th, 2009 by tomoya. Filed under 思った, 行った.


ぼくが、シリコンバレーカンファレンスに参加しようと思ったとき、同時にもう一つ決断したことがある。

会社を辞めることだった。

ぼくは大学を一度中退した後、別の大学に再度入学しなおしている。1年の交換留学にも参加し、18才の春からはじまった長い大学生活を終えたのが、2006年の6月だった。

28歳という年齢の割には会社員生活は短いほうで、正社員としては雇われてからは2年しか経っていない。この2年間でぼくが得たものはもっとも重要なもの、それは、エンジニアとしての基礎体力だ。

会社に入るなり、チャレンジングな内容の案件が次から次へと与えてもらうことができた。
飽くことなく、新しい分野に取り組み、未経験の分野をひとつひとつ踏破してきた。

入社前には、ほぼプログラミング経験を持っていなかった。

大学では、人類学・哲学・音楽学・美術史などを主に専攻しており、図書館にこもっては古文書のような資料を読みふけっていた。コンピュータ・サイエンスは、たまの空腹に食べるクッキーといった程度で、プログラミング言語を覚えようと情報科学の開架にいっても、その近くにあるコンピュータ哲学?の本にばかり食指が伸びてしまい、夜中にひとりで「サールの部屋」に興奮しているありさまだった。

(ちなみにぼくが最初にふれた教科書が、「やさしいコンピュータ科学」という本で、入門書なのにもかかわらず「電気回路」「トランジスタ」から「並列計算」「人工知能」までが目次に踊っているというすばらしい本である。この本にOOPやFPの章を加えて、使う言語をRubyやHaskellに変えれば、今でも十分に使える本だと思うのだけれど)

とにかく、「概念好んで実装を嫌う」そんな性質だったので、プログラムの腕は一向にあがらなかった。チューリング完全だのなんだのと口から唾を飛ばしては論じただろうに、いざPCを目の前にすると、いつだって「Hello, World」ばかり。

このようなぼくに積極的に仕事を与えてくれた当時の上司には、本当に頭があがらない。

ところで、ひとたび仕事として任せてもらうと、絶対にこなしてやろうと負けん気が芽生えてきた。
ほんとは右も左も分からないけれど、会社ではクールに「やりますよ」なんて言った手前、やるしかない。

昼夜、パソコンと教科書に向かって、コンピュータの仕組み(CPUってなに?とか2進数とかそういう話)・プログラミング言語・ソフトウェアデザイン(「再利用性」「構造化」「インタフェース」とかそういう話)など広範なエリアを集中的に学んだ。
さらに業務内容が音声音響分野であったため、付け焼き刃ながら、FFTやその他信号処理の勉強もした(あれは頭が痛かった…)。

振り返ってみると、梅田望夫さんが「高速道路」と表現したその道をまさに、ぼくも時速100キロ超で駆け抜けた気分だ。
新しいことをスピード感を持って集中的に学ぶというのは、得も言われぬ陶酔感があり、ほとんど麻薬だった。

会社での2年間は「学習→アウトプット→フィードバック→修正」が実にうまく回っていて、新しい仕事をするたびに新しく何かを学ぶことができた。後で聞いた話だけど、ぼくに次に何をさせるか上司たちは十分に考えていてくれたらしい。くり返すばかりの作業にならないように、新しい言語・環境の仕事をぼくに当ててくれていた。そういった配慮も、本当にありがたい。
一歩間違えれば、2年間ずっと、Cで書かれた音声処理プログラムの浮動小数点値を、音声の劣化の最も少ない整数値に修正する「固定化」に自分の時間を費やしていた可能性だって十分にあったのだから。

機会(と肩書きと給料)を与えてくれた会社には本当に感謝している。新人は給料が安くてこきつかわれている、なんて話を耳にすることもあるが、今後の人生において活用できる経験知に比べれば、金銭なんて問題にならない。

だけれど、これから何年もこの会社で働きたいかと言われると、まるでそう思えなかった。

完全な会社などないことはわかっているし、隣の芝生が青く(いや青どころかゴールデンに)見える心理作用が働いたこともわかっている。けれど、蒲団をたたけばホコリが出るように、会社を叩けば”ボロ”が見つかり、組織の構造への失望や憂鬱ばかりが飛び出した。

まわりの人はどうやって会社の不満なところと向き合っているのだろう?

誰もが心の底から満足している会社などありえない。

0と100のあいだのどこかで、なにかしら折り合いをつけているのだろう。
あるいは思考停止しているのか、諦観しているのか。

ぼくだって、現実を折り合いをつけることはわかっている。
30年近くも生きていれば、嫌なことに手を染めざるをえないこともあるし、「Aさんに殴られるか、Bさんに蹴られるか」の理不尽な二択から一つを選択しなくてはいけないこともある。

しかし、将来への希望が感じられない生活はやはり息苦しい。
はっきりと天秤にかけたものがあるとすれば、「年収数万円の安心感よりも、自分の欲しいものを絶対に手にするための挑戦権」ということだろうか。

2年間、ちょっと片足をつっこんで覗いてみた「会社組織」なるものが、思った以上に悲惨な闇だったというのが、ぼくの印象だった。

具体的な現象は個々の会社によって異なるだろうが、総じて言えるのが、組織の影響力が強い場所では、一人ひとりの個性は抑圧される傾向にある、ということだ。

個人的な事情よりも、会社のルールが優先される。コミュニケーションは、人と人というよりは、「営業部と経理部」といったある定型化されたフォームの上でなされる。

当たり前といえば当たり前なのかもしれない。組織を維持するには膨大なエネルギーが必要で、いちいち社員ひとりひとりの事情を鑑みていてもいられないのだろう。
しかし、それを不自然に感じ、闇に思ってしまった。

そこに気づいた後、ぼくは、会社を変えるなどといわずに、荷物をまとめて、さっさと逃げることにした。
その逃亡中に出会ったのが渡辺千賀さんのブログで、シリコンバレーカンファレンスの告知が掲載されていた。

「これこそ、まさにしるしだ」
ガクッと膝が震えるほどの戦慄を感じた。わけもなく、人生が変わることを直感した。

シリコンバレー。

エンジニアとして2年間腕を磨いてきたぼくにとって、その地名はとても輝かしい。
Google, AppleをはじめとしたIT業界で燦然と輝く名だたる企業が集まっている。Stanford, UC Berkleyなど一流大学もある。
なにより、世界中から、金を名誉を知識を人脈を求めて、人が集まってくる。

「そんな激流のなかに自分を放り込んでみたい」

本気でわくわくとしてそう思った。

ぼくにとって、シリコンバレーカンファレンスに参加するということは、単に観光に行くわけでもなければ、企業訪問するわけでもなかった。

自分の人生のターニングポイントなる楔を打ち込む、というつもりだった。
3年後5年後の自分が2009年3月を振り返ったときに、たしかにそこが転換点だったと思えるような楔を打ち込んでおこうと。

シリコンバレー訪問の成果を先行して定義しておくのであれば、

  • 行動的な側面: シリコンバレーの環境で働くための具体的なパスを描けていること。帰国後、そこに向かって一つ一つのステップを確実にこなしてはじめていくこと
  • 心理的な側面: 靴紐をしめて、立ち止まることも振り返ることもしないで、ただひたすらに見定めた道を走り出す(ための気持ちのギアチェンジをしてくること)

と整理できる。
もちろん、本当に3月前半の出国前の自分がここまで考えていたわけではない。
あの頃は、「アメリカで働きます」としか人には言ってなかったし、実際それくらい単純にしか考えていなかった。

直感というのは怖いもので、ある種自分を洗脳している感覚だ。

あの頃のぼくは、「アメリカで働きます」と念仏のように唱えていたにちがいない。
そして、本当に会社に辞表を提出し、妻や家族を驚かせたまま、きらきらと目を輝かせて、シリコンバレーへ向かった。

次から、そのシリコンバレーでぼくが見てきたものについて、5つのテーマで書いていきたい。

(Photo : http://www.flickr.com/photos/24841050@N00/3502673/

目次

  1. はじめに
  2. 二度目のサンディエゴの空
  3. 会社組織を覗き込んだらそこは闇だった、シリコンバレーにはなにかあると思った [SVC参加について]
  4. エンジニアですか、それ以外のなにかですか? [自己紹介について]
  5. 声をあげよ! [コミュニケーションについて]
  6. ビジネスを走らせる [起業について]
  7. たとえリーダーはいなくとも [仲間について]
  8. 風向きは変わった。さあ、どうする? [時代について]
  9. 種をまく – 消えることのないもの
  10. 旅行記

Tags:



Trackback URI | Comments RSS

Leave a Reply