* 「自虐女子」の誕生をいかにして防ぐべきなのか
Posted on January 16th, 2009 by tomoya. Filed under 思った, 読んだ.
日経ビジネスオンラインに、深澤真紀さんによる「平成女子図鑑」という連載が掲載されているのをご存じでしょうか。都会で生きる独身女性のライフスタイルや思考傾向などを、日経ビジネスの 主たる読者層であろう20代後半〜50代のサラリーマン男性に解説している興味深い読み物連載です。
深澤さんはベテランの編集者さんのようで、取材対象である女性たちを、非常に面白い視点で描いておられます。補助線の引き方がうまいとは、まさにこのことで、男性からの食事などのおごられ方を切り口にしたこちらの分析などは私も興味深く読んでいました。
当初は、さすが雑誌の編集者らしく、造語がうまいなあ、それに世の姿をよく観察されているのだろうなあとしきりに感心しながら読ませていただいたのです。
しかし、この1ヶ月で次々に配信される記事を見ていると、少し違和感を感じるようになりました。
—ちょっと造語が行き過ぎでないか…
1月16日に配信されたこちらの記事「自虐女子」と「自爆女子」で、その不安が自分の中ではっきりとした危機感に変わるのを感じました。
“人を形容するキャッチーなワードが蔓延させることで、世の中の人たちのライフスタイルを大きく変えることができる”
という歴史的証明をふと、思い出したからです。
業界人にしろ、ボビ夫にしろ、ニートにしろ、そういう用語が人口に膾炙される前は、そういう人物像は存在しなかったのです。もちろん、ハワイのことをワイハと呼ぶ放送局や広告代理店勤めの「個人」はたくさんいたでしょうが、それ以外は取り立てるほどの共通点はなかったのではないでしょうか。
ところが、どなたか言葉を巧みに操る方が、
「Youたち、今日から業界人ネ」
と大々的に宣言してしまうと、磁極に砂鉄が集まるように、イメージ先行の集団が形成されるのです。そして、そのワードに群がった「個人」は、それぞれ、業界人・ボビ夫・ニートという新しい服を着て、生活を始めるようになります。
この傾向は、しかし、問題ではありません。人はどう人に見られるかに非常に敏感に生きていますから、自分が「業界人」だと見られていると感じた瞬間から、その人は業界人の振る舞いをなぜか模倣してしまうのです。これは、世間の視線を振り切って我が道を行くよりも、自分の名刺代わりになるワード「業界人」を受け入れ、素直に「らしく」振る舞った方がよっぽど楽に生きることができるからです。きわめて自然な生存戦略だと思います。
深澤さんの記事に話を戻すと、深澤さんは、たとえば、
「自爆女子」は基本的に、謙虚で感じのいい人と思われたいし、誰からも好かれたいと思いがちです。上司に理不尽な命令をされて、「こんなのはおかしい」と思っていても、「ここは私さえ我慢すれば」と安請け合いしてしまいがちです。すると、上司からは「自分の意見に賛成している」ように見えます。すると上司はますますいい気になって、もっと理不尽な命令を出してきたりします。
ずっと今まで理不尽な命令に我慢していた「自爆女子」は、突然キレてしまって、会社を辞めたりして「自爆」してしまうのです。
しかも、その後さらに、周りに「ご迷惑かけてすみません」と謝ったりします。自爆してしまった後ですら「いい子」でいたいし、爆発した後でますます「いい子」になってしまったりします。
と、臨場感あふれる描写をされています。ストーリー性があり、すいすい読み流すうちに納得してしまいそうです。
しかし、このエピソードを、「自爆女子」を「30代男性」に、「いい子」を「いい人」に置き換えて、もう一度読んでみてください。
—あれ、ぜんぜん違和感がない。
ある特定の女性たちの思考の傾向を書いたと言うより、なんだか聞いたことのある、自分自身で経験したことすらあるような出来合いのストーリーが、実は、主語を置き換えられて語られているだけです。
でも、誰にも当てはまることを書いて、どうして説得力があるのでしょうか。
それは、まさに、このエピソードが誰にでもあてはまる、共感を寄せることのできるお話だからです。
逆に本当に特定の人たちだけに当てはまるエピソード、たとえば、「理不尽な上司の命令をされると、即座に弁護士と所属事務所に言いつける」ような「訴訟女子」の話であれば、
「そんな人聞いたことないわよねえ」
と、なかば冗談のように受け止められ、世間の共感を喚起することなく、水の泡となって消えていくでしょう(いずれ、出現してしまう可能性は多分にありますが)。
ところが、上のような話は、非常に納得感がありますから、
「自爆女子なる人はいてもおかしくないかもなあ」
みんなが、そう思っても不思議はないですよね。
そのうち、みんなが自爆女子の話をすれば、にょきにょきと雨後の竹の子のように、なぜか自爆女子を名乗る女性が出てきてしまいます。 「負け犬」という言葉が流布された状況と同じように、です。
ちなみに、深澤さんの記事は、
「自虐」も「自爆」も自分を傷つけてしまうだけですから、まずは「こうありたい自分」という像を見直した方がいいのです。
と締めくくられています。 え?と、驚きました。残念すぎる終わり方です。
タイトルで人の心を引き寄せ、 記事前半で 「YOU、今日から自爆女子ネ」 とがっつり読者をアジテートし、 最後に「そうならないでね」と逃げ去る姿に、
—それはないよ…
これはないですよ。
いえ。
これが、苦労を買ってでもやりたい「滅私奉公女子」や、3度の飯より国会中継が好きな「政治娘」の記事であれば、アジテートするような論調であってもいいと思います。 この国の未来は明るいと思えるような女性たちがたくさんいるのだなと、世間に広めることができるのですから。
そうであれば、ぼくだって、なんの危機感も持たなかったと思います。
ところが、「自虐」「自爆」という言葉は、あまりにネガティブな印象が強く、けしていい気味はしません。 損得ばかりが世じゃありませんが、「自虐」「自爆」のレッテルの貼られた(あるいは自分から身につけた)女性が増えて、誰が得するのでしょうか。
今の多感な10代の女の子たちが、この言葉を知り、仲間内で、同意を求めるように、
「あたし、自爆女子だから、キレちゃってばっかり」
そんなことを互いに言い合うようになってしまったらと思うといてもたってもいられません。特に、「自虐」「自爆」は並べて書くと、ある別の、切実なキーワードが連想されてします。
…
結論というか、僕の主張にうつりましょう。
発言力の強いライター・ブロガー・その他言論を行う皆様にお願いです。
どうか、安易に、おもしろおかしさや新奇性だけで、世の中の人のことを、特に、若い人たちのことを、キャッチーな造語でカテゴライズしないでください。
その言葉は、発した本人の想像を超えて、受け止めた人の中で増殖し、生き方・考え方まで変えてしまう危険性を持っています。
特に、ビジネスとして書き物をされる方は、ネットでの、閲覧数とかランキングとかトラバ数といった、定量的なものばかりに目がいきやすいのではないでしょうか。
それがライターとしての実力として評価される仕組みがあり、収入やポジションにかたく結びついている方もおられるでしょう。
注目を集めることに必死になるあまり、「おもしろおかしく」ばかりに意識がうつっていませんか。
あなたがお持ちの発言力は、社会のため、今という時代のため、または未来のために、どうか有効に使ってください。
人をアジテートするのであれば、人が心を奮い立たせて、立ち上がり、未来に希望を持てる、そんな気持ちになれるように、アジテートしてください。
どうか、こんなくだらない言葉が、さっさと銀河の彼方まで消え去り、もっと自分のことを楽しく表現できるワードが世間を賑わせますように。
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